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改めて感じた「紙のチカラ」  563

昨日、カレンダーが好みだと毎日うれしい!と散々書いたのだけど…。
引き続き「紙もののチカラ」みたいなものを話してみたいと思っていて。

「紙」って音も同じだから「神」も関係していて…
みたいなことは、あんまり詳しくないので書けませんが…0じゃないとは思ってます、はい。
紙が作用するというより、紙を通して作用が起こる「媒体」としての紙はポピュラーだよねとは思ってる。
お札とか、紙垂とか水引もだよね。

個人的には学生の頃、ピラミッドとか壁画とか青いカバを見ながら萌え萌えするほどエジプトにハマった時は、パピルスのしおりなんかを買って、使う度に「んふふ」と愛でていたから、そもそも自分は「文具」に弱いということはわかっている。

わかってはいても、いや、わかってはいたんだけど…
それを忘れていたことをわかっていなかったことに気づいたのは最近のことだった。


カレンダーでもその一片をしっかり感じたけれど、もうひとつ鮮やかに「そうだった」と思い出すきっかけとなったのは…そう、年末年始のお菓子の数々だった。

思えばその種まきは年末から始まっていて。
毎年お歳暮とは別に、年末に小さなプレゼントで一年のお礼をお伝えする方々が数件あるのだけど、わたしはそのプレゼントを準備するのが好きなのだ。

タイミングがタイミングなだけにクリスマス寄りにするかお正月寄りにするか毎年考えるところなのだけど、今年はクリスマスに寄せてみた。
そうしたら…手元に届くクリスマス仕様のお菓子たちのパッケージのかわいいこと!

包装紙からお菓子を入れるための紙袋までクリスマス仕様だったのだけど、特に印象的だったのはそのお菓子を入れるための紙袋だった。
その紙袋にはゴールドのクリスマスツリーが描かれていて、ツリーのそこここに丸い小さな穴がわざと開けられている。
その紙袋に入れるお菓子はグリーンとゴールドの包装紙で包まれていて、お菓子を入れたらその丸い穴からちらほら見えるグリーンやゴールドがツリーの飾りのように見えるのだ。

もちろんね、おいしいと思うお菓子を選びはしたんだけど、もう「このパッケージがかわいくないですかっ!」って言いたくなるのを何度飲み込んだかw
誰かにあげるものでも十分わたしがうれしくなれてしまうものだった。


そしてお正月。
まずはいただきものの虎屋の干支羊羹。
今年は巳年だから渋めの赤い和紙の箱にシンプルなヘビさんが描かれている。

もうね、虎屋さんのオシャレ度というか洗練され方なんて、わたしが語るようなものでももはやないのだけれど…本当に、パッケージを見ただけでパァっと笑顔になる、うれしくなる、「かわいいっ!」っていう言葉を飲み込めない。

わたしはお菓子をいただいた後に、そのパッケージを上手にリユースする才能が乏しいのでもてあます人間なのだけど…それでも、そういうパッケージが手元にやってくる、目にすることができるって、濁ることなき「うれしさ」なのだ。
おそらく、魂に栄養するレベルに。

そしてもうひとつは定番の鳩サブレ。
サブレも大好きなのだけど、社長さんの心意気だったり、グッズの展開も楽しくてすっかりお店のファンでもある。
そんななので、贈り物がてらお正月を理由に我が家にも久しぶりにお越しいただいたのだけど…。

もうね、包装紙を止めているシールの渋さからいい。
定番の黄色い缶もマットな手触りで、マット好きなわたしにどストライク!

そして、缶を開けサブレをいただき始めて現れた上段と下段を分ける紙。
ハトのイラストの分厚い紙なのだけど、それがハートやハトの形に切り抜けるようになっていて、しかも、そのガイド通りにやっていくとクリップになっちゃうというかわいさ。

これね「いや、こんなデカいクリップの実用性って…」みたいな言い方もできるんだろうけど、ただの中敷で終わらせない心意気というか、「楽しもう」「楽しませよう」の心というか、そういうものにこちらは「にまっ」としてうれしくなるわけなのです。

きっと、パッケージでしかできないものじゃなくて、いろんな場所、いろんな場面でこういう「ちょっとうれしい」は無限にできることでもあるんだろうな。


本も漫画も電子で読めるようになって久しいし、年賀状だって「今年で最後に…」っていうものが、年配の方じゃなくてもたくさんあった。
情報を「形」に乗せない伝え方がいよいよ現実に、主流になっていくということなのかもしれないけれど、その流れに反してというか、だからこそというか、久しぶりにこういうパッケージの、「紙のチカラ」を受け取ってすんごいうれしくなったことがより印象的な年末年始だったのでした。





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