![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/160861406/rectangle_large_type_2_903708e640a2ae1348975da49cd605d7.png?width=1200)
便利さと不便さは背中合わせでは?という話 505
別に初めての経験だったわけじゃない。
確かに「あんまり自分と相性のいいものではなさそうだ…」という記憶というか印象はあった。
そうはいっても、初体験の時からすると時間も経っている…
わたしの知らないところで世の中も進化・改良を重ねているかもしれない…
だから、できるだけフラットに向き合おう、手にしよう、接しようと思っていたのだけど…どうやら無理っぽかった。
残念ながら「やっぱりそうなんだ」と改めて認識したもの、それは…
タブレットで提供されるメニューのこと。
今日のお昼、ランチに入ったのはカジュアルなイタリアンのお店でナチュラルな感じをテーマにしているように見えた。
店内は女性客が多く、広くてシンプルな作り。
オープンキッチンで厨房の中が見えるようになっていて、サラダバーやドリンクバーに並ぶメニューはたくさんの見た目もおしゃれで体に優しそうなものだった。
「なるほどなるほど…」とサラダバーや先客の皆さんの様子を眺めながら案内された席までいくと、「こちらどうぞ」と言いながらテーブルにゴトっと置き、店員さんはいなくなった。
置かれたのは…そう、タブレット。
そのお店はメニューをiPad大のタブレットで1テーブルに1台配していて、そのメニューを見ながら全てのメニューを客席から厨房へ送信するシステムになっていた。
今までの記憶や失敗を繰り返すまい…と意識はすれど、一度に3名でメニューを眺め、決めるには窮屈さが伴ってしまう。
そして、やっぱり同じような違和感を感じ始めるのだ…。
ひとりずつ眺める時間を取るのも、使い方に明るい人ばかりなら順番でスピーディーに回っていいかもしれない。
でも、扱い方がよくわからない人へのインフォメーションも含めながら行うメニュー決めは、なかなかにハードルが高い…というか、食事前の手間としては結構ヘビーに感じてしまう。
周りに気を使ってしっかり選ぶことをあきらめたり
そもそもタブレットの画面、小さくて見えづらい…とテンション下がったり
メニューを見比べたくても、画面いっぱいに単体のメニューがどどんっ!と現れるだけで、複数を見比べようとするには記憶力をフル稼働させないといけないという「まさかご飯を食べに来て、そんな能力を使用しないといけなくなるとは…」なんていう状況になったりする。
「メインが来る前にサラダバーやドリンクバーをご自由に取りに行ってください」
みたいなインフォメーションもないので、「ここのシステムはどうなっているのだ?」と周りをうかがうのも…地味にしんどいw
結局、都度店員さんに確認するという手間はまぁまぁの体力気力を削いでいくモンだな…と改めて体感したのだけど。
こんな「人を介さないシステム」が世の中に現れ始めた時、人でなくても成り立つものかも…と思えたのは「配膳」だった。
テーブルまでロボット?が運んでくれて、自分たちで料理をテーブルに置く。
これはいわゆるイベント化しても、居酒屋やファミレスみたいに場を選べば大して問題ないように見えたし、なんならロボットがペットみたいでかわいい!みたいな反応も起きたりしていて、いわゆる「ありか?なしか?」でいくと「あり」のようにも思えた。
もちろん、食べ方だったりさまざまなインフォメーションが料理を提供する時に必要な場合は人を介さないと無理なことはすぐわかるのだけど、配膳に比べて「注文時の簡略化色々」は場所によっては地味に満足や楽しみを削ぎ、それが不快な方へ大きく響くのではないか?ということがジリジリと見えてきた。
慣れていないお店での店員さんのインフォメーションは安心につながるし、メニューを見て選ぶ時間に自分のペースでページをめくりながら過ごせるのか?不完全燃焼になるのか?は、まぁまぁ大きな楽しみの時間の質に関わるように思う。
ちなみに「びっくりドンキー」の大きなメニューは、注文が通るとすぐ片付けられちゃうけれど「できればゆっくり眺めていたい…」という要望はよくよく耳にすることで、メニューを眺める時間って結構バカにできない…と個人的には思っている。
そんなわけで、今日のランチは食事の内容よりもその周辺が妙に気になってしまって、つまるところタブレットと生黒胡椒の風味くらいしか頭に残っていないのだけど…←生黒胡椒、フレッシュな香りが鼻に抜けておいしかった!
これを「時代の流れについていけてない事象」くらいに片付けちゃうと、なんだか結構なものが失われていくように感じちゃうのはわたしだけじゃないはず…と思いたいところなのだった。