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季節は来るもの創るもの?  393

快晴の島に、九州から友人が遊びに来てくれた。
9ヶ月ぶりの再会だったけれど、まるで先週の続きみたいな時間だった。

九州でも標高の高いところに住んでいる友人には、とにかく島の気温も湿度も高かったようで…
「なんでこの暑さで普通の顔してられんの?」
とキレ気味に言われたけれど、だって…こないだよりは涼しいんだよね…くらいの理由しか浮かばない。

とはいえ、ここ数年の暑さは今までとは違うように感じているから、出来ることはしっかりやりましょう!のココロではいるけれど。


そんな友人の来訪で、久しぶりに島を一周することになった。

普段、あまり行かない場所にも久々に行ったりして、ちょっと行かない間に景色が変わっていたり(建物がなくなっていたり、新たなものが入っていたり)で、思った以上にこちらが楽しんでいた。

この週末には夏休みが始まるらしいけれど、そのせいもあってか島の中にはそこここで「夏休みの準備」が行われていた。


夏休みのイベント用に足場を組み始めていたり、お祭りの時に使う船が出ていたり。

そんな街中を見ながらちょっと不思議な感覚になった。


もちろん外は暑い。
いくら天気予報では梅雨真っ只中とはいえ、今日は青空のもときつい日差しが降り注いでいる。

ずっと、こんな「お天気が」「水温の変化が」「カレンダーが」夏を連れてくるんだと思っていたけれど…それってホンマにそれだけなん?なんて思えたのだ。


夏休みが来るから、そこでイベントが予定されているから、そのイベントの為に足場を組んでいると思っているけれど…
実は、足場を組むから夏休みを、イベントを呼んでいるんじゃないの?と。

ラジオ体操のカードを見て「夏休みが来たー!」と思っていたけれど、ラジオ体操のカードを…って

ん?ちょっと違うか。
「呼ぶ」んじゃないのか…「迎える」ってことか?

お正月を、お盆を「迎える」みたいな、来ることに手を差し出すというか、ほんのり手繰り寄せるみたいな…そんな感じ?

そう、一方向じゃない、両方向からの「呼応」みたいなことが、目に見えない矢印と人間が動かす現実の矢印がお互いの方へ近づくように動いている、そんな感覚を島の中の色々を眺めながら感じていた。


そう思うと、季節って「来る」し「迎える」し「創っている」ものなのかもしれない。
特にあっつい夏なんて「避けられないもの」くらいの思いで「来るねー…」なんて眉間にしわを寄せながら受け止めている印象があったけれど、こちらからも矢印を出せるって…ちょっと救いかもしれない。


能動的に季節と向かい合うと言えるかもしれないし
とにかく「ノっとけ!」みたいな勢いウェイウェイかもしれない。

とりあえず「自分も一枚かんでいる」というこの意識。
季節にまで影響を与えているかも…なんて思うと、ちょっといつもの夏と違うように感じられるかもしれないよね…と可能性を感じつつ、炎天下の砂浜でヘルメット姿で足場を組んでいたお兄さんたちにエールを送っておいた。




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