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今までのチャクラ、これからのチャクラ  565

昨日書いた「今までの世界は第1チャクラと第3チャクラの強い人が引っ張ってきた時代」という話、本当になるほど納得だった。

第1チャクラは社会性や群れ、安定を表していると聞き、なるほど今までの日本は確かにそのままだよね…「みんな」で力を合わせて、「みんな」で仲良く…って。
そのリーダーになっている人に憧れるとか従うとか。

わたしが小学生の頃のテレビCMでは「とっもだっち100人でっきるっかなー♪」みたいな歌が流れていたけれど、それを聞きながら「そもそも同級生100人いないし…」なんてさっぱりかわいくないことを思っていたけれど、今思えば社会性も群れる技も頑張らないと発動しない人間だったから、そりゃ「ケッ」って言いたくなるのも仕方ないのだ。

群れや安定でこそ守れて創れたものをみんなが享受した時代だったってことなんだな。


そしてもう一つの構成要素第3チャクラが表すもの。
これを、わたしは聞きかじりの知識で「第3チャクラは自尊心や自我」を表すものだと思い込んでいた。

でも、Kaiさんの説明は全く違っていて。
「自尊心」という表現は遠くはなかったけれど、「自己肯定感」を表すということだった。
それだけなら「当たらずとも遠からず…」でよかったのだけど、なんとこの自己肯定感は「=(自己の)容姿を肯定している」という意味もあるとのことで…思わず「マジで⁉︎」と声も出たしのけぞった。


わたしの記憶ではチャクラで国を表すと第3チャクラはアメリカみたいなことを聞いたことがあったのだけど。
実際自分が見たアメリカは100%の人々ではないにしても、まさに第3チャクラがしっくりくる国だと思っていた。

ドヤったりするために使う人もいたけれど、とにかく揺るがない自信というか自己肯定感を持っていると感じられる人や振る舞いが主流のように感じたし、日本人のそれとは比べ物にならないくらい揺るぎがないと感じていたことを思い出す。

だから海外の方の露出が多い服装っていうのはこのチャクラの影響が大きいという話もすこぶる納得。
(その逆が今の若者の体型を拾わないファッションだったりするのか?)

いつだったか「海外の人の『恥』は自分に対して矢印の向かった恥、日本人の『恥』は周りに対して矢印の向いた恥」という話を聞いたことがあったけれど、あれは第3チャクラの質だったのかも…なんてことも浮かんできた。


他にも第3チャクラが表すことに「怒り」があるというのも初耳だったし、なるほど面白いと思えたこと。
というのも、「怒り」や「溜め込んだもの」が大きいとみぞおちが詰まる・固まるというのはよく言われていることで、肝臓が「怒りの臓器」と呼ばれるのも位置的に近くて納得だった。

説明の例えとして「だから海外ではデモが多いでしょ?」っていう話に「なーる!」の連発だったし、その話に関連して第3チャクラは「動物的」なチャクラでもあるという説明にも「なーる!」だった。

実際アメリカで暮らしたときに、日本人よりもずいぶん感情というか表現や受け取り方がとてもシンプルで根源的だと思ったことがたくさんあった。
「こんな子供だましのことでこんなに盛り上がるの?」(失礼)とこちらが驚くくらい、シンプルなゲームやイベントでキャーキャー盛り上がり喜ぶ。
大人も子供も。

それを見ながら20歳になったばかりのわたしは自分のスレたというか汚れたというか老けたココロを恥ずかしく、そして、その反応を心の底からしている彼ら彼女らをうらやましく感じていたことを今でも覚えている。

ちなみに、Kaiさんの説明の中には日本人は逆に怒れないからデモも少ない(海外に比べれば)という話もあって、なんだか第3チャクラはグーンと走れるエンジンでもあり、ガッツリ引き止めるブレーキでもあるんだなぁ…と両極を感じた。

でもそれはおかしなことではなくて。
例えばアロマの世界でも、ホルモンが多すぎて起きる病気とその同じホルモンが少なすぎて起きる病気に処方されるオイルは同じオイルだという話を聞いたことがある。

これも、整え方というか目指すところは真ん中ってことの表れだと思う。


そんな真ん中を歩くように作られているとも言えるわたしたちは、この先第6チャクラと第7チャクラの時代を歩いていくらしい。

いわゆるスピや感覚を表すもの?みたいなイメージだけど、AI化や意識の世界とも言えるんだと思っていて…ということは…
第6チャクラや第7チャクラとバランスする第1チャクラや第2チャクラを改めて問われてくる時代ってことだとも言えるよねぇ…なんて、ひとり考えを巡らせている。


今までと違う下位チャクラの活性って?

そういえば、お話の中で「見るだけで第1チャクラが癒されるドラマ」の話が出てたっけ。(「まいこさんちのまかないさん」というドラマをおすすめされてた)
それは、上下動の少ない淡々とした話で、とにかく日常のなんでもない食事のシーンがたくさんあるという話だった。

それを聞いて「…ということは?」なんて浮かんだのは…そう「すいか」w
あとは「かもめ食堂」とか「プール」とか「めがね」のあたり。

現代人はそのあたりを「癒し」って呼ぶことが多いけれど、わたしは個人的にその呼び方が好きじゃない。
それはきっと「癒し」になるほど、その人が人としての暮らしから距離ができているって話なんじゃないか、なんて思っている。


そんなことを考えているタイミングで、ひょこっとおススメで上がってきた俳優・江本佑さんのリール動画。
彼は一人暮らしを機に「布団を畳んで片付けること」「用事がなくてもとにかく着替えること」そのあたりをただただやるようになってから、俳優としての仕事の落ち着きが変わってきたという話をしていた。


そんな色々の話を思いながら、やっと根っこを整える時期かもしれない…なんて思っている日曜の夜だった。






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