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待ってみるのもアリってことで… 516
朝起きてすぐ、なかなかエンジンがかからずにボーッとすること、結構な数の人があると思うのだけど。
世の中的にはなかば「仕方のないこと」のようにカウントされているし、実際「取るに足りない」ほど小さなことみたいに扱われることも多いと思う。
わたしも小さな頃からそんなだったので、体感としてよくわかる。
なんならその「ボーッと時間」込みで起きる時間を決めるたりしていた。
「パキッと目が覚めるよ!いつも快適!」みたいな人も時々耳にするけれど、実際お布団から起き上がった瞬間からご一緒しているわけではないから、正直どんなだかわからない。
あ、これは「…ホントに起きてるの?」みたいな疑いってことではなくて、パキッと起きるという現物を目の前にしたことがないっていうことなのだけど…
そこまで周りに気がいっていなかっただけで、もしかしたら目の前にそういう人物がポロポロと存在していたかもしれない可能性に今頃気づいたりもする。
さておき。
どっちがいいとかの話をしたいのではなくて、今日はそのことについてポコっと思い浮かんだことがあったので、そのことを書いてみようと思う。
朝起きてエンジンがかかりにくい、ボーッとしてしまうということは…
つまり、身体に意識というか魂が追いついていない状態、一緒にいない状態ってことじゃないの?と思いついたところから始まった。
これってよく聞く、飛行機で時差のある距離を移動した時のそれと同じことで、肉体は現地に着いたけど魂はその移動速度についてこられないと時差ボケが起きるみたいなことだと思う。
この「時差ボケ」も「起き抜けのボーッとした感じ」もつまるところ同じこと(寝てる間は魂は抜け出てどこかに行っている…とも言うよね)で「身体と魂のズレ」で起きているとして。
このふたつって、怒りが伴うかどうかは個人差があるとして、大きく「不快感」ともくくれるんじゃないかと思ったのだ。
ということは逆に、わたしたちが「不快感」を感じたときって「身体と魂がズレてますよ」のサインってことじゃない?と思ったのです、はい。
イラっとしたり、不安になったり、焦ったり、その状態から無理に抜け出そうとしたり…
体感とごっちゃにしがちな「感情」に反応してしまいがちだけど、もしその状態がサインなら…?
「反応」に「反応」して不快感のドツボにハマるより、「なるほどサインか…」というか「今、身体と魂がズレてる」、もっと言えば「ただズレている状態にある」ってことで、その状態が醸し出すものをただ目の前を過ぎゆく景色のように眺めてみるっていうだけでずいぶん違ってくるように思ったのです、はい。
寝起きがよくないのは…
早寝しなかった自分のせい
日々の食生活がよろしくないせい
ストレスの処理をできていないせい
体調管理が…
なんて言い出したら、もはや落ちる矢印しか生まれないじゃないか。
それなら「眺める」という動作じゃなくても、魂が身体に追いついてくるのを「待つ」ことをすればいいってことじゃない?
コンディションがよくないってことは、何かが「ズレてる」ってことなら、ズレが小さくなるまで「待つ」ってことを自分のために(できれば誰のことも、何も責めることなく)できるといいなぁと思ったら、ちょっと「解決せねば」モードから力が抜けた気になって気が楽になったのでした。
自分で解決に持っていけることもチカラ。
自分が整っていくことを待てることもチカラ。
形は違えど成熟のカタチではなかろうか。
ってね、もはや寝起きはボーッとしたまま動くことが普通になっているので、いつかの自分のようにそのことを落ち込んだり、責めたり、改善を目指したりもしなくなってはいるんだけど、この「気が楽になる」って心に、からだに結構大きいよなぁなんて思ったのでした。