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思った以上に甘くない、首のジリジリ  419

今日、明日のお墓参りの為の準備にお墓に行く時(←こうして文字にしてみると変な話だな)「そうだ首!首を守らねばっ!」といそいそと薄手のパーカーをカバンに突っ込んだ。

もう「日焼けが気になる…」「黒くなるのが嫌ー!」みたいな切実さは数年前に消え去り、というか日焼け止めを卒業したら肌のリカバーが早くなったという助けもあって長らく日に当たる時にしかガードしなくなったのだけど、今回は久しぶりに真剣だった。


というのも…

7月下旬に同じくお墓へ行った時、快晴だったけれど「ま、すぐ終わるでしょ」とタカをくくって半袖、髪アップ=うなじ全開で出かけたことがあった。

いつものコース、日陰ばかりじゃないけれどそれでも勝手知ったるでスムーズなペースで進んだお墓参りだった。
確かにジリジリ感は肌に感じたけれど、それでも赤くなったり腫れたりもしなかったし、日差しのキツさで熱射病は頭をよぎったものの、そうなるには時間が短かかったし、まぁ総じて大丈夫!と元気に帰ってきたつもりだった。

にも関わらず、帰宅後の疲労感がまぁヒドい…
何がこんなに消耗する原因だったのかさっぱり心当たりがない…と思ったのだけど、ないことは…ないんだよね。


お墓を歩いている間中「首の後ろジリジリするー!」を連発していたし「なんで襟のあるものを着てこなかったんだ?」「なんでタオルの一枚も持ってこなかったんだ?」なんて、そういえば思った…と今更ながら思い出す。

腕や顔はほてったり赤くなったりと不快感はほぼないのだけど、首の後ろのジリジリの後味はうなじに、後頭部に確かに残っていたようだった。


そうかー…日焼け止めを「これでもかっ!」と塗っていた時は、完全に顔・腕みたいな前側・服から出ているところに注意が向いていた。
もっと言えば、首や腕のような「簡単に服で隠せるところ」はそもそも隠していた。

でもそれは「日焼け」から肌を守る為であって、最近よく聞く日射病・熱射病・熱中症を思ってやっていたことじゃなかった。


そのことに気づいてから合点がいったのが、ここ数年?十数年?ほど前からある時急に幼稚園や保育所のみんなの帽子の後ろにびらびらが付きだしたこと。
「兵隊さんの帽子みたいだな…」なんて思いながら見ていたら、それは現在でも続いていて、どうやら全国的にそうなっているように見えるほどみんな身につけている。

「ちびっ子だからそうなんだ」と思っていた首のガードはどうもそうでもないらしく、首の後ろに一枚布があるかないかでその後の消耗度の違いたるや驚くほどだということがわかった。


そんなことがあってからの本日。
カバンに入れていったパーカーを羽織り、フードも頭に引っかけてお墓参りを無事済ませ帰宅したところ…

熱のこもり方、肌のヒリヒリ度共に全く比べ物にならないほど快適だった。

なるほど…日本の保育園児をはじめ、アラブやエジプトの砂漠の民が布で顔、体を隠す理由がよーくわかった。
ミステリアスとかそんなぼんやりした理由じゃない、わりと現実的な理由だよね、これ…と妙な「わかるよ」感を覚えていた。


その後「首の後ろの日焼けがなんでこんなに体に響くのか?」と色々調べてみたけれど、決定的な理由を見つけることはできなかった。

自分の体感としては腕や顔も日焼けすると辛いけれど、首の後ろがジリジリした時の体力の消耗たるや一番こたえたかもしれない…なんて思う。

日差しの質が秋に傾いてきたとはいえ、まだまだ十分のジリジリ度を含む太陽の光。
みなさんもぜひ「薄くても何か一枚布もの」を太陽と自分の間にはさんで、無用な体力消耗を防ぎ、元気に残暑を乗り越えていただきたいなーと思うお盆の一日だった。





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