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その場に合う音  574

昨年の12月頃からだったか、晩ごはんを作る時に流しておきたい音がさっぱりわからなくなった。

台所に立つ時に音が欲しくなることは多いのだけど、いつからか歌詞のある歌が苦手になり、だったらインストとかクラシックとか?と思うとこなのだけど…あんまり興味がわかない。
「さぁどうしたもんだ?」なんて思っていたんだけど、友達から勧められた動画やラジオを「この際だから…」と聞く時間になっていた。

一人暮らしの時はよくラジオを流していたけれど「それってどうしてだった?」なんて改めて考えてみると…「音楽が好きだから」とか「面白いから」とか以上に「安心したから」もあったんだと今なら思う。
人の声や音があることが。

学生の頃の一人暮らしを寂しいと思ったことはなくて、気楽でいいと思ってた方だったから「寂しい」という友人のことは「その人はそうなんだ…」「家族と仲良しなんだなー」くらいのことしか考えていなかった。

でも、今ならいつもの景色に電気がついてなかったら…寂しいと言葉にならずとも「どうした?」なんて思う…ってことは気になってるってことだ。


さて、料理を作る時の音はどうするか問題。

これを眺めていると、色々見えてきた。

まず、昼間=明るいうちに料理するときは音なしで料理することが多いことがわかったし、音があると逆にうるさく感じるということも改めて理解した。
夕方以降で料理が始まると「何か音…」と探し始めるということも。
夕方の何か焦る感じ…暗くなっていく感じ…それをかき消すための音?なんて標準的なことを当てはめてみるも「それそれ!」とは反応できない。

スピっぽい話、学ぶ系の話、ドラアグクイーンの皆さんの話、瞑想音楽にジャズ…歌詞のないさまざまな音楽…いろんなジャンルを「これ?」「こっちはどう?」と再生してみるも、どれも開始まもなく「はい、ありがとう」と止めている。

「自分は何を探してるんだろう?」「何を欲してるんだ?」なんてまじまじと考えてしまうほど動画を探すも「そんなことしてる間に料理した方がよくない?」ってことでゴソゴソと作業に戻るを繰り返していたある日、ポロッとYoutubeで始まった動画に
「…これ、しんどくないかも。ただ楽しいかも…」
なんて思ったのが…サンドイッチマンのコント動画だったw


まったく予想外の着地に、自分が何を求めていたのかちょっとよくわからなかったのだけど…とにかくただただおもしろい。
ストーリーの流れも言葉もなめらか、上手(←プロに失礼)、ただ楽しめる、ただ笑ってられる、キツさがない…

なんだか定番中の定番に戻ってきたようで、ちょっと驚いた。
「わたしの耳が求めていた音ってこういうことだったのか?」と。


で「なんでサンドイッチマン?」という問いの理由がよくわからないままだった最近、haruka nakamuraというピアノを弾く方を知ったわたし。

ミュートピアノで奏でるその音も「あ…聞いていたい音」と思ったけれど、そのアルバムの説明の文章、その空気感に完全に撃ち抜かれ「そうだ、こういう静謐な空間に触れ続けたいと願っていた」ことを思い出すこととなった。


で、料理の時の音問題は一応の解決(?)はみたものの、ものは試しということで…その静かな音を料理をする時に流してみた。
もちろん、その時に聞きたい種類の音ではないと思いつつ…。

結果「うん、ここじゃない」ということは即わかったのだけど、そこでハタと思ったのは「そもそも作業自体の周波数が違うってことじゃないの?」ということだった。

なんだ、この今更感は…。

そう、静謐な時空間っていうのに触れていたいという時にあるといい音と、食事にまつわる動作の時にあるといい音は違う。
ということは、そのもの自体の周波数も違っていて、そこでサポートになるような音=同じ周波数の音を欲していたってことでは?という推測が出来上がった。

確かに料理する時に静謐って…場違いだ。
邪魔ではないけど、もっとエネルギーと楽しさが欲しい。
逆に、頭を休めたい時や体を休めたい時のサポートになる音はきっとそれぞれ違うはず。


そう思うと、わたし達は一体いくつの周波数の階層を無意識に移動して、そこここで馴染み、切り替え、移動しているってことなんだろう…。

当たり前といえば当たり前かもしれないけれど、今になってやっとこんなことに気づいた一日だったのでした。

それにしても…サンドイッチマンのなじみの良さには驚いたな、ホント。




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