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【HIV】投薬開始と思わぬ副作用

前回のnoteからまたしばらく空いてしまいました。
いろんな方から生存確認の連絡をいただきましたが、
元気にしていますので、ご心配なく。
心配していただいた方々、ありがとうございます😁

さて今回はHIV治療のための投薬開始について書いていこうと思います。

🐜のHIVに対する考え方は前回のnoteをご覧いただければと思います。

治療開始

HIV治療は基本的に投薬治療となります。
当時はHAART療法(Highly Active Antiretroviral Therapy:多剤併用療法)といって、
病状や既往歴などから検討された複数の薬剤を組み合わせ、
処方された薬を服用します。

人によっては2錠以上を服用することもあったようですし、
今でも複数の薬剤を服用されている方もいらっしゃいますが、
医学はどんどん進歩していて、
🐜は今現在、ビクタルビという薬をたった1錠飲むだけで、
日常生活が送れるようになりました。

🐜が最初に処方されたのはツルバダとストックリンという組み合わせでしたが、
🐜が通院していた病院の方針として投薬初期は経過観察のため、
入院必須と言われていました。

先日のnoteにも書きましたが、
通院するきっかけとなった梅毒の治療のためにも入院しており、
かなりの出費がかさんでいました。

それらの負担を軽減するために自立支援医療(更生医療)の手続きを済ませ、
準備万端で入院することになりました。

前回の入院は緊急入院だったため、大部屋に空きがなく、
特別室への入院でしたが、
今回は計画的な入院だったため、
4人部屋の窓側の小さなベッドで、結果的に2週間過ごすことになりました。

今であればスマホやタブレットなどがあれば暇潰しができますが、
当時はまだスマホも黎明期。
スマホを持ってはいましたが、暇を潰せるようなコンテンツも少なかったため、
母が心配して10枚ほどのテレビカードと数冊の本を持ってきてくれました。
しかし、心配には及びませんでした。

たった2錠の薬で

入院初日は処方された薬の説明、入院中の生活の流れの説明、
投薬前の状態を確認するための採血だけで終わりました。

2日目から投薬開始となりましたが、
飲んでも特に何の変化もなく、
“ああ、こんなもんか“というのが正直な感想でした。

しかし3日目から異変が起きました。
ふと目が覚めると朝食が置かれており、
あ、朝食の時間か、と思いましたが、
眠くて起き上がれないのです。

とりあえずちらっと携帯を見ると既に11時。
え!と思って困惑しながら眠気で微睡んでいると看護師さんが現れ、
ようやく起きましたね、ご飯食べられますか?と聞かれ、
寝ている間にバイタルだけ測らせてもらいましたよ、と言われました。

血圧や体温を測られていたなんて全く気付くこともなく寝入っていたことにビックリしましたが、
今はお腹が空いていないから、というようなことを伝え、
申し訳なく思いながらも食事を下げてもらい、
そのまま深い眠りにつきました。

次に目が覚めたのは夕食を下げなければならない時間で、
主治医に揺り起こされました。
“大丈夫ですか?“と聞かれ、
大丈夫だけど、なんだかとにかく眠たいんです。
ご飯はいらないので寝かせてください、とお願いしました。

翌日からは毎朝採血があることになっていました。
しかしそれも起きることができず、
なんとか声をかけられながら採血をしてもらい、
とにかく寝る、という日々を繰り返していました。

それまで毎日母が見舞いに来ていたようでしたが、
それにも気付かず、4日目に声を掛けられ、
母が来ていることにようやく気付きましたが、
それでも、とにかく眠くてしかたない、
心配しなくていいから帰っていいよ、といい、
母を帰らせた覚えがあります。

採血の結果は特に悪いものではなかったようで、
主治医と薬剤師からは、副作用による眠気で、
体がなれるまで、これが続くかもしれない、と、
母に伝えらたようです。

途中、差し入れられた果物や、パンなど、
寝ぼけながら食べた覚えがありますが、
ほとんど飲まず食わずです。
主治医からの指示で点滴がなされていました。

当初、入院は1週間の予定だったのです。
しかし多少まともに起きて食事が採れるようになったのは、
入院から7日目。投薬開始から6日目のことでした。

経過は問題ないものの、副作用の影響がどの程度続くのか、
様子を見るために退院が見送られ、
もう1週間入院することになりました。

薬ってこんなに目に見えて効果が出ることがあるんだ!
それがそのとき思った正直な感想です。
たしかに覚せい剤を使用していたのですから、
目に見える効果は今までにたくさん経験していたはすなのに、
不思議なものですね。

副作用としては他に、とにかく変な夢(嫌な夢)を見ていました。
どこで、誰と、なにをしていても、最後はいつも逮捕される夢。
これが昼夜問わず、寝ている時には現れました。
最初は自分が罪悪感を感じているのかな?と思いましたが、
何気なく回診で主治医に嫌な夢ばかり見る、と伝えたところ、
精神面への副作用が起こることがあり、
悪夢や、それによる不眠症を引き起こす可能性もある、とのことで、
辛いのであれば、睡眠薬を処方しましょう、ということになり、
比較的強い(と後で知ったのですが)レンドルミンを処方され、
ようやく嫌な夢をみることがなくなり、
睡眠薬により深く、長く眠ることで、日中の睡魔にも襲われることがなくなりました。

そしてトータル2週間の入院を終え、
無事退院することになったのでした。
テレビカード、ほとんど使いませんでした😂

忘れた頃に思わぬ副作用

そこから数年、ツルバダとストックリンを服用し、
普通の日常生活を送っていました。

途中1度転職をし、新しい会社、新しい社長や上司、
新しいポジションでラクではない仕事でしたが、
毎日生き生きと生活していました。

しかしある日の会議中、とにかく止まらない滝のような汗と、
激しい動悸に見舞われました。
自分が異変に気付く前に、上司が気付き、
そのまま帰宅するように言われ、帰宅したのです。

帰宅すると、多少症状は緩和されましたが、
翌日も本調子とは言えず、翌日も休みを取りました。

当時の社長は所謂根性論でモノを言う人で、
病欠するのにも苦言を呈するタイプの人。
病院の領収書を提出するのはもちろんですが、
サボり防止のため、病欠時に、他の社員が出先で見つけたら即クビというような、
今では考えられないような会社ルールが存在するような会社でした。
ブラックですよね。

それを考えると休んで横になっている時も、
明日出社できなかったらどうしよう、
また会議で同じようなことが起こったらどうしよう、と、
答えの出ない不安と、どうしようもない体のだるさ、
息苦しさに襲われるようになりました。

ひとまず病院に行き、疲労でしょうと言われ、
そうなのかなー?と自分に言い聞かせながら、
会社へ出社を続けていました。

しかしその後も会議のたび、本社で社長に会うたび、
社長に会わなければいけない用件ができるたび、
同じような症状が現れるようになりました。

その時の🐜はこういう時にどこの病院に行けばいいのかもわからず、
とりあえず領収書を提出するためだけに、ただ普通の内科に行き、
その度の不整脈だ、疲労だ、などと医師にいわれ、
よくわからない漢方を処方され、それを飲んで出社していました。

しかしある時、とうとう会議中に倒れてしまったのです。
そのまま救急車で運ばれ、救急病院に運ばれましたが、
身体的な異常はなく、心因性のものでしょうと診断されたのです。

そして上司の指示で、翌日精神科にかかることになり、
抑うつ状態であることを伝えられました。

その当時の🐜はメンタルヘルスについて知識がなく、
あぁ、クヨクヨしてしまう自分がダメなんだ、
社長の期待に応えられていない自分がダメなんだ、
と、ひどく落ち込み、気持ちはより沈みました。

これらの診断は上司を通じで社長に伝えられ、
休職するようにと指示され、
ただただ家で沈んでいました。

1ヶ月だったかな。
周りの友人が心配してくれて、
食事や飲みに誘ってくれたり、
ドライブにでも行こうと連れ出そうとしてくれていましたが、
完全にブラックな自社ルールに囚われていた🐜は外出して同僚に見られたらどうしようという不安が強く、
誰からの誘いにも乗ることなく、
家と週1回の通院だけの日々を過ごしていました。

休職がそろそろ終わる、というころ、
病院から告げられたのは、社交不安障害と鬱という病名でした。
メンタルのトラブルって、すぐに病名は付けられないんですね。
その時、ようやく付いた病名がこれでした。

社交不安障害は、対人場面で過剰な不安や緊張が誘発されるあまり、動悸・震え・吐き気赤面発汗などの身体症状が強く発現し、そういった場面にはなかなか慣れないため、対人関係がうまく築けず集団の中で孤立してしまったり、たとえしなければならないことであっても、対人場面を次第に避けるようになり、日常生活に多大な影響を及ぼす

Wikipediaより

基本的に🐜は若い頃から社交的な人間です。
性格も明るい方です。
ただ、きっと社長の圧に耐えられなかったのでしょう。
今ではそう思うことができます。

でも当時の🐜にそんなことを考える余裕なんてなかったんですよね。
世間的にも今ほどメンタルヘルスやセルフラブを大切にする風潮ではなかった。

復帰直前、上司が食事に誘ってくれ、
戻れるか?やめるか?無理はするな。
今までにも同じように辞めていった社員がたくさんいる。
と、言われ、それを先に言ってくださいよ、と、
言葉を失いました。

しかしそれでも生きていかなければいけません。

後に退職することになりますが、
復職し、仕事に戻ったのでした。

全てはストックリンのせいだった

それを知ったのは、
🐜が2度目の逮捕で拘置所にいたころ、
刑務官に車椅子に乗せられ、手錠をつけられ、
主治医の元に診察を受けにいった時のことでした。

その時、🐜は1年ほど投薬を自己中断していました。
メンタルの病気だと診断されて以降、
何事にも前向きになれなくなっていました。

なぜ来なかったのか、心配していた、と主治医は言ってくれましたが、
主治医にとっても刑務官に見張られながらの診察など初めての経験だったでしょう。
言葉少なめでしたが気にかけてくださいました。

その時、🐜は、
もうどうでもよくなってしまって、
社交不安障害になり、鬱とも言われた時期もあり、
死んでもいいや、と思うようになってしまったんです。
と、答えました。

すると主治医は、それはストックリンの副作用のせいかもしれませんというのです。
あぁ、自分がクヨクヨしてしまう性格のせいじゃなかったんだ、
そういえば精神面への副作用があることもあるって言ってたなぁ、
と思い返し、気がつくとふと涙が溢れていました。

もちろん覚せい剤による影響もあったと思います。
自分のもって生まれた気質のせいもあると思います。
でもその時の主治医の言葉に随分救われたのを覚えています。

ストックリンは現在販売中止になっています。
他に副作用の少ない薬がどんどん生まれているからです。
ストックリンに悩まされた、という方のお話は、
よくSNSでもお見かけします。

皆さんも少しでも異変を感じたら、
なるべく早めに主治医に相談してくださいね。

今回もちょっと長くなってしまいましたが、
今回は投薬と副作用だけをまとめたnoteになっています。

途中、おや?と思われた方もいらっしゃると思いますが、
この間に、覚せい剤を再開し、2度目の逮捕を経験しています。

それについてはまた次回のnoteでお話ししますね。

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