ブルーアーカイブ アビドス対策委員会編3章でアホほど泣いたオタクの話
この記事はブルーアーカイブ対策委員会編3章の深刻なネタバレだけで構成されています
まだゲームをプレイしていない方は絶対に読まないでください
自分の中にある感情を整理したくてただひたすら並べてるだけの文章なので読みやすさとか全然考えてません
いきなり話題が飛んだり文法もおかしいところありまくりです
それでもこのゲームを体験して感じたことを吐き出さずにはいられなかった「おれはこんなにもブルアカというコンテンツに狂っているんだぞ!!!」という悲しきオタクの証明書みたいなものです ご了承ください
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人間ってこんな涙出るんだってぐらい泣いちゃった
この物語の終着点が、あれだけ冒頭からずっと大事なアイテムとして描かれていた「たのしいバナナとり」が「必要ないもの」とする結論にめちゃくちゃ震えたし涙が止まらなかった
とんでもないよブルーアーカイブ こんなにも綺麗で哀しい物語を
葬儀
どうしたらホシノを救えるだろう?どうしたらホシノはこの苦しみと後悔から救われるんだろう?という長い長い疑問は、彼女自身の心の中にあるユメ先輩との思い出と向き合うことだった
過去には戻れない。死んだ人は生き返らない。では残された人はそのまま悲しみ続けるのか?という誰もに起こりうる人生の命題へひとつの道筋を描いてくれたようなとんでもないシナリオ
手帳が見つかるかどうかは問題じゃなかったんだ、大事なのはホシノがユメ先輩の死という「もう覆らないこと」と向き合うことだったんだ
そんな当たり前のことにシナリオを読んでいる間は気づかず、手帳はどこに?とか言ってた自分をマジでブン殴りたい
ユメ先輩が生き返らせるなんて夢のようなことはなく、幽霊になったユメ先輩が語りかけてくれるなんてこともなく、ただひたすらに「乗り越える」ことをひたむきに描き切ってくれたストーリーにもうずっと涙止まらんかった
いやすごかった シナリオの構成力とゲームでの表現力がほんっっっとにすごすぎて言葉を失う
演出とかBGMとかで彩られたすごさももちろんそうなんだけど、単純に物語としてこれを伝えたかったのか!!が腑に落ちすぎて膝を叩きまくって骨折した
もしかしたらクライマックスに手帳が見つかって、ホシノのことを救うメッセージがちゃあんと書いてあって、
何があったのか全部わかってホシノの気持ちが救われる、ユメ先輩いままでありがとう、という物語にもできたのかもしれない
なんならそっちの方がウケは良かったのかもしれないとさえ思う
でもそれをしなかった!!できたのにしなかったんだよ!!!!!!!!!!!!過去と向き合うことがどれだけ理不尽か、辛いものかを描き続けながらも前に進んでいく
そしてそれは他にもある大切なもののおかげ、ということを過去のアビドス生徒会→今の対策委員会という関係をもって描き切ってくれたことに心から拍手してしまった
大前提としてユメ先輩への想いや後悔を地下生活者から増幅させられている状態で、『ユメ先輩ならそうした』と言い続けながら列車砲シェマタを破壊することにひたすらこだわり暴走していたホシノ(エピローグで「記憶が曖昧なんだけど」と言っていることからも明らかに普段の状態ではない)。
そんなホシノが最後に出会ったユメ先輩が、ナラム・シンの玉座が生み出した混沌の領域で見せた存在なのか、ホシノの中で信じるユメ先輩の言葉だったのか本当のところは誰にもわからないしあえて曖昧なように描かれていると思うのだけれど、
「誰よりもユメ先輩を知っているホシノ」が黄昏の砂漠で「ユメ先輩ならきっとこう言ってくれる」と信じて過去を乗り越えていくの、あまりにも切なすぎて頭おかしくなるところだった
(自分の解釈では)あのシーンで現れるユメ先輩は先生が言うように「ホシノの中にある思い出のユメ先輩」を想像した時に彼女ならこう言ってくれるだろうな、こう叱ってくれるだろうな、こう褒めてくれるだろうな…とホシノが解釈したユメ先輩だと思っていて、
最後に一人きりになってしまったホシノの姿はまさしく『ユメ先輩はそこにいない』ことをはっきりと描写しているのだと思うんですけど、
自分の中のユメ先輩との対話を経て「繋いでくれたもの全てを、大切にします」と言う姿が「ユメ先輩はもういない」「それでも前に進んでいく」ことを決意したあまりにも悲しく、あまりにも美しいシーンとしてめちゃくちゃ涙が出てくるんです
「会いたいです、ユメ先輩」の一言はまさにホシノがこの世界から、生から手を離してユメ先輩の元へ行きたかったという悲しい言葉なんじゃないか?
もしかしたらホシノにとっての救い、苦しみからの解放って「もう何も考えずにユメ先輩の元へ行くこと」だったんじゃないか?
「でも、ホシノちゃんにはまだやることがあるでしょ?」
「後輩を守ってあげないと、ね。」
目の前に現れたユメ先輩は虚構と現実が入り乱れるナラム・シンの玉座が見せた甘い幻なのか、ホシノの想像が生み出した妄想なのか、
それとも本当に奇跡が起きたのか?
長きにわたってシナリオ上でユメ先輩という存在がホシノにとってどれだけ大切なものかを描いてくれていたからこそ、あの微笑みが尊くて哀しくて泣いてしまう
でもきっとあのユメ先輩が本物だったのかなんて実はどうでもよくて、大事なのはホシノが自分の中できちんと向き合って前に進めたっていう事実だけなんですよね
ホシノの心理描写としてこういう描き方をしてくれるのほんとずるいしすごいゲームだと思う 泣くもんあんなの
その後に描かれる「対策委員会」のみんなが映った光景、入学した時の嬉しかった思い出はまさにホシノが前へ進むための理由だったんじゃないかと思い返してる今もずっと涙止まらん
後輩を守ってあげてね、と言っていたユメ先輩を知るホシノにとって、ノノミやシロコ、そしてセリカやアヤネが入学してきたことがどれだけ嬉しかっただろうか!!
それぞれの後輩に伝えていたホシノの言葉は本心だったと思うし、だからこそ「戻って」こられたんだと信じたい
この物語はホシノの物語であり、対策委員会の物語だったんだ
そうして大切な仲間、後輩を守るためにテラー化から戻ってきてセトの攻撃を「ホシノ(臨戦)防御タイプ」として防ぐのマジでゲームとしての実装がうますぎる!!!!!!!!!!
攻撃タイプの鬼神の如き強さはゲーム中で何度も描写されていながらガチャで2タイプ実装っていうギミックをこのクライマックスでこんなにかっこよく描写してくれるんだもん マジでシナリオをゲームシステムに落とし込むのがうますぎて吠え散らかしちゃった
シナリオでしっかり殴りながらゲームとしての展開でも殴ってくるのは最終編の戦闘ギミックとか脱出シーケンスとかで散々やられてたけどまだ引き出しあるの??って呆然としてる このゲームが怖いよ
「非有の真実は真実であるか」
"なら、そこにはきっと"
"ホシノの信じる言葉が残されていたはずだよ。"
ブルーアーカイブというゲームは劇中のテーマをシナリオに組み込むのがうますぎるんですよマジで
敵である地下生活者がずっと言っていたこの古則が最後の最後で物語としての根幹にブッ刺さってくるのあまりにも天才すぎませんか???
対策委員会の、後輩たちとの会話を経てから先生からの「手帳はもうない。それでも信じられるものはあるよね」という悲しくも優しい一言でどんだけ我に帰ったか
手帳に執着していたのは、ユメ先輩本人の言葉に執着していたのはホシノであり読んでいる我々ユーザーだったんだ
そうなるように描かれてきた物語がここにきて一気に大逆転するカタルシス
ああこれは、この物語はユメ先輩とのお別れの儀式なのだと気づいた時の気持ちはもう言い表せない
この先、手帳はずっと見つからないかもしれないし、出てくるかもしれない
ユメ先輩の死についてさらなる真実が見つかるかもしれない
でも今のホシノならきっと大丈夫だと、対策委員会のみんなと一緒にいるホシノならもう大丈夫だと思うことができるエンディングであったと私は思います
それはきっと、ユメ先輩なら応援してくれるとホシノ自身が信じることができたから
地下生活者、もうひとりの先生
ブルアカやっててあの2重になった選択肢で泣かないやつおる??????????????????
説明もビジュアルも一切ないのにブルアカを今までプレイしていた先生なら明らかに見ただけでわかる『今ここにいる先生はひとりではない』という表現
今まで普通に見てきた先生のセリフとしての選択肢をまさかあんな風にさあ、泣くしかないじゃんこんなの
対策委員会3章の全編において「プレナパテスの世界線」を意識させてくる描写をこれでもかと散りばめておいて、最後の最後にこんな、今もういない存在と二人一緒に戦うシーンなんて全人類みんな好きなんだから………
プレナパテスが伝えたかったこと、目指したかった世界、それを引き継いだ責任をずっと感じながらボロボロ泣いてしまうのは間違いなくこのゲームをずっとプレイしてきたからこそで、これこそが小説でもアニメでも映画でもない「ゲームだから」できる表現なんだと思う
「大人のカードを取り出す」というブルアカを象徴するシーンの興奮をまさかこんなにも更新してくるとは思わなかったわ
過去にやったあのゲームやこのゲーム(名前を出すとネタバレになってしまうので言えない)でも大切な存在が憑依して主人公と一緒に戦うシーンでボロ泣きしまくってる自分にとってマジで反則級の演出で、クォーテーションマークの有無に気づいた瞬間に雄叫びみたいな声出て泣いた 一人でプレイしてて良かったマジで
プレナパテスから受け継いだ意志、「これ以上アビドスの誰も悲しませはしない」という決意のシーンは、ああやっぱり先生は先生なのだと何度目かわからんぐらい惚れ直した
ただ…………地下生活者、ほんっっっっとにガチで最悪なレベルでの利己的かつ邪悪な存在だったのだけれど、彼の最期があまりにも哀れでなんか知らんけどすっごく悲しくなってしまった
もしかしたらあれは(周りが見えなくなったオタクの末路として)遠くない未来の自分の姿なのかもしれない
とはいえブルアカ世界の先生が「生徒の自主性と幸せを最優先して未来ある子どもの気持ちを利用したり踏み躙ったりする奴は絶対許さん全力後方腕組みマン」である以上この結末は避けられなかったのかなって…ほんと悪い大人にはとことん容赦のない先生…
シロコ*テラーの存在
vol.4更新読み終わって「これマジで日曜のブルアカらいぶでシロコ実装あるんじゃないか…?」と思ってはいつつも、実のところ個人的には"ない"と思ってたんですよ
全然関係ない周年キャラが実装されるんじゃないかと、彼女をシャーレに招き入れるのはまだ先なんじゃないかと
なのでブルアカらいぶでの実装発表あったときマジで声出せずに気がついたら蹲ってしまった 人間ってこういう風に声を失うことあるんだってぐらい絶句しちゃった
だってこの子が実装されるってことは数時間後に更新されるVol.5で向き合うことになるもの!!!このシロコ*テラーというたったひとりで頑張ってきた女の子と向き合うことになってしまうんだもの!!!!
編成画面にいたとき「ほんとにいる………」ってガチ泣きしちゃった
プレナパテス見てるか シロコはこっちで元気にやってるよ
ホシノがずっと抱えていたユメ先輩の最期のことば、自分がしてしまったことへの後悔、それによって「傷ついたであろうユメ先輩」という認識
それらはすべてホシノが、そしてユーザーの我々の「そうだったらどうしよう」という不安の具現でしかなく、シンプルに、ホシノの記憶の中のユメ先輩ならそれを増幅させてきたのが地下生活者の手口だとしたら本当に陰湿かつ見事だ
手帳を探し当てることがホシノを救うことだとずっと思ってたしおそらくそういうミスリードですらあったんじゃないかとすら感じる
そうした大切な人の死と向き合う、というあまりにも重いテーマを解決するにあたって、我々がこの物語で一番よく知っている『現時点での登場人物で一番その気持ちを理解できる存在』であろうシロコ*テラーと対峙させるのあまりにもシナリオ運びがうますぎるでしょ
リリース当初から対策委員会編があって、いろんな物語や経験を経て最終編に辿り着き、そして迎えたアビドス第3章でこの形に収束していくなんて誰が考えられる??
「どう考えてもシロコ*テラーしか適任がいないよ」となる説得力!!!しかもその納得感はこのゲームをしっかり読んでいればいるほどわかるものだし、
この平和なブルーアーカイブという世界において彼女こそ「過去は変えられない」を体現するたったひとりの女の子であり、「過去と死」というテーマにおいて絶対に向き合わなくてはならない存在だもんな
彼女が経験してきたことをエピローグ含めて最後まで「あえて」描写しないのもブルアカが好きなところのひとつなんですよね
必要なコンテクストは用意して、細かい部分はプレイヤーの想像で補ってもらう、読み手の読解力と想像力を信じてくれているようなシナリオ作り
対策委員の4人とホシノとの対話では起こらなかった「あなたはそれを捨てられるの?」という問い。
実装されたシロコ*テラーのスキルから敵対していた時のアビドス武装がなくなっていること、最後の砂漠でのシーン…
ずっとホシノという女の子が過去へと向き合う物語だったはずなのに、いつのまにか最終編から続いていた「シロコ*テラーへの救いの物語」になっていったのだと気づいて叫んでしまった
エデン条約編の4章がアリウスの物語だと進めておいて「ミカ」という女の子への救いと赦しを生み出す物語であるかのように、このゲームのシナリオは「実はこういうテーマもあったんですよ」という書き方を後から認知させてくるのがうますぎる……………
セトの憤怒・制約解除決戦というギミック
次回予告に「制約解除」の文字が出てきた時の「ああああああああそういうことだったのか!!!!!!」ってなる瞬間のためにゲームやってるマジで
地下生活者がまさしく「チート」として呼び出したおそらく現時点では出会うことのないバグみたいな存在に対して、ユーザーの我々ですら「ええぇっこんなことできるのブルーアーカイブ!?」となった『10人編成』というイレギュラーなギミックを
「これが私たちの新しいコンテンツだよ」
この一言でどれだけ震えたことか
エデン条約編でのタイトル回収といい「大人のカード」が示す自キャラ編成といいこういう「メタ演出の究極」みたいなことやられるとほんっっっとゲームを愛していて良かった………このブルアカというコンテンツがゲームという手段をとってくれて本当に良かった…………となりました ガチで
地下生活者がなんやかんや言ってる時にもう「そうなんだよ我々ユーザーはもうコイツ(セト)との戦い方を"知っている"!!!!!」と一人で盛り上がってしまっておりマジでもうボコすぞ!!!!!!!!!!という勢いになってるのほんとゲームの作り方がうますぎる
制約解除決戦のBGMが本編でずーーーーっと先生の反撃時に流れてるのもマジで良すぎて………かっこよすぎるんだよなあ かっこいいしか言えないもう
ソシャゲという媒体でこのシナリオを実装する意味
すっっごく下世話な話になっちゃうんですけどソシャゲって売り上げとかを考えなきゃいけないわけじゃないですか
そんなソーシャルゲームっていう媒体でホシノっていうキャラクターにフォーカスを当て続けて、その大切な「ユメ先輩」ときちんとお別れするためのシナリオをアニメや戦闘ムービーや演出をゴリゴリ入れて40話以上、いやもう対策委員会編1話から数えたら3年以上をかけて描き切ってくれたという事実にめちゃくちゃ感動してしまうんですよね
だってソシャゲなんだからここで「ユメ先輩実装!!」とかやったらそれなりに盛り上がって課金もされると思うんですよ
でもそんな安易なことをせず、批判も覚悟の上でしっかりと「死と別れ」を表現してくれたことに心から敬意を表したい
読み手であるユーザーのことを信頼していないとできないと思うんだよなこういうシナリオも売り方も
いろんな意見や感想があるだろうけど自分はほんっっっとに感動したしガチ泣きしたしこのゲームやってて良かったと思った
この気持ちはずっと大事にしたいからこうしてまとめました まとまってないけど
最後のシーンがホシノの後ろ姿なの、対策委員会編2章のラストが笑顔で「ただいま」を言うホシノだったことを思い出してしまい
なんだか、言語化できない気持ちになった
以下ここ好きスクショ
全部にきまってんだろ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
ここに貼るためにスクショ見返してるだけで泣いてるんですよ もう異常者すぎるでしょ
公式のこの画像を持って私の中のアビドス対策委員会編は完結を迎えました