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『選挙の根っこ』~地面の下の動き




選挙期間中、大声上げて獲得できるのは「浮動票」
そして、この浮動票の奪い合いなどで終始している現状では何も変わらない。

いかに「根」を張って大樹と成るか・・・・
それが組織の拡大であり、より広大に大地深く根を張ったものほど大樹と成る。


かつて・・・
民主党が政権交代を果たした時、地面の下が大きく動いた。
常に自宅の壁や塀に「公明党」の議員のポスターを張っている創価学会の人であるが、あの時、そのポスターが「民主党」に変わっていた。
それが多くの家々で起きていた現象であり、それは「岩盤支持層」であるはずの「岩盤」が『崩れた』ということである。
そして、その雪崩の先に受け皿となったのが民主党であった。

たとえ一時のこととはいえ、岩盤支持層が崩れる・・・という事実が政権交代を可能にしたのであろう。
公明党支持層だけでなく、自民党の支持層も崩れ、それが民主党に流れた。
その時、それを受け止めるだけの「受け皿」となり得たから成ったものである。

枝葉や花の部分ばかり見て「地面の下」がどのようになっているのかを見ないと、結局は「元の木阿弥」となるだけである。


岩盤支持者は選挙の時「だれに投票するか」など悩まない。
自分が信じた「道」一筋である。
それが善いとか悪いとか、そんなものはない。
善いだの悪いだのと誰もが「自分にとっての正義」の押し付け合いをしているだけであり、一人一人の「正義」は全く違う。
けっして同じものは無い。


とてつもなく巨大であった自民党の根は、年々小さくなっており、だからこそ弱くなっている。
そしてここ最近、自民党の根っこは掘り返され、寸断されているのである。
そこに、従来の岩盤支持層ではないものが大量に入り込み、だから「土壌」が変質したため木の質までが変質している。
大企業という支持層が商店主や中小企業や自営業者というかつての「岩盤支持層」を追い出し、「政策」そのものの『乗っ取り』をしているわけである。

政党は「支持者」の声と応援で生きている。
支持者の声が変わり応援が変われば、政策は変わるのは当然である。
そして、自民党と言う組織自体が「支持層」を変えているということだ。


政治家は支持者の代弁者でしかなく、それは変わらない事実である。
支持者の声を聞かないなら、次から指示されなくなるからだ。
だから「支持者」を見れば「政党」の色合いがわかるというものだ。

だが公明党のようなところは少し毛色が違う。
他の政党の支持者のような声は上げない。

だが、あまりにもひどいされようが続けば、以前のように「地盤」が崩れる現象が起こる。



アメリカのテレビで「カマラ・ハリス」が話しているその後ろに「池田大作」の写真が飾られていたことがある。
アメリカに於いて創価学会は民主党支持である。

次の大統領選でドナルド・トランプが大統領になれば、日本にも余波が来る。
それは「支持層」に余波が来るわけで、アメリカが民主党政権であった「恩恵」を受けた者を支持層としている今現在の自民党は、地盤が大きく揺らぐだろう。
そして創価学会も・・・・


現在の自民党の支持層は、維新のそれとそっくりである。
だから過半数割れしたところで維新とくっつけばいいと思っていることだろう。
かつての「保守」という支持層を追い出した自民党・・・
それが総裁選に顕著に現れたわけである。


では、彼らの「受け皿」となれるのはどこだろうか?
追い出されたかつての「岩盤支持層」である。

だから「浮動票」の取り合いばかりしている『蔦草』のような政党では受け皿とはなれない。
「根を張った」ところでしか『支えられない』のである。


公明党も同じであろう。
さすがの岩盤支持者もワクチンの怪しさに気付き始めていることだろう。
そして、それを最も率先して牽引してきたのが学会である。
だから意地でも「ワクチンは安全です」と言うしかない。


ところで・・・
河野太郎さんのあからさまな嘘の言い分を聞いていると、もはや彼は自暴自棄になっているんじゃないかと思えてくる。
ワクチン担当大臣になり、次にデジタル担当大臣になり、だれもやりたがらない「ババを引かされた」わけで、そのせいでもはや「総理」になる芽は無くなってしまった。
それまでは頑張っていたはずなのだが、ワクチン担当大臣になってからの彼の行動は変質したように見える。
中国企業のロゴの入った用紙を使っていたり、デジタル庁では情報漏洩をさせたり、「わざとやっているのか?」と疑いたくなる。
ワクチンに関してもあまりにもあからさまな嘘の言葉で、何なら「嘘ついてますよ」とわざとアピールしているようにも見える。
まぁ、本当のところは本人か近しい人間にしかわからないが・・・・

河野家とはそのようなことをしなければならない家なのだろうか?
北方領土返還を台無しにした祖父といい、慰安婦問題をややこしくした父といい、常に「ババを引かされる」家計としか言いようがない。
まぁ、だから早く引導を渡してあげた方が本人にとってもいいのではないかと思う。



選挙で応援するなら、選挙戦が始まった時にはすでに投票先が決まっていなければ「岩盤支持者」ではないだろう。
選挙で「何を言っているか」よりも以前に、誰がどのような人物で、支持するものを信頼して「託す」ことをしなければならない。
たとえ途中で違う行動をしたとて、それが政治の駆け引きというものであるかもしれず、そんな駆け引きが出来なければ政治家としては使えない。
だから上辺の言葉を見るのではなく、人物の「根っこ」を見なければならないわけで、それを良しと出来たならあとは任せきることである。

自分が逆の立場だったらどうだ?
もしそれが結婚相手だったらどうだ?

自分の正義ばかり押し付ける人など嫌だろう。
そうすると正義の押しつけ合いで喧嘩になり、いずれは破局するだけである。

それよりも、信頼してくれるほうがありがたいだろうし、頑張れるというものだ。


自分の一票を「浮動票」とするのか「不動票」とするのか・・・
「不動票」のほうが当然重く、貴重な一票だろうと思う。

盤石な根っこ程、大樹と育つのだから・・・・

そして、浮動票では蔦草である。
あっちフラフラこっちフラフラしている限り、自分も相手も大きく育つことは無い。
それは全ての人間関係に言えること。


蔦草として大樹に巻きつくのがオチである。





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