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EP14.【宮下武虎#11】
雄々しさ溢れる19歳
果たす想いは恩返し
親子で目指すプロへの世界
野球一家の四男として生まれた宮下。
彼が目指したプロ野球選手への道のりは、親子で挑む過酷な挑戦だった。
“野球をやりたい”
ハッキリと口にしたのはまだ保育園に通っていた頃。
「兄の少年野球を見てのこと。父も兄も野球をやっていた。」
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小学校入学と同時に少年野球チームへと入団した宮下は、2年生にはすでにピッチャーというポジションを任されていた。
今でも魅せる度胸満点なプレースタイル。
肝が据わった物怖じしない性格は、子供の頃より磨き上げられていた。
「一緒にいる分父親から野球を教わることが多かった。兄貴からも。試合中には父親の仕草をサインにピッチングしていた。」
少年野球というものは、どこの父兄も帯同することが多い。
宮下の父親は熱心に我が子の試合を観戦する中、時折見せる意味深な仕草でサインを送っていたという。
そんな環境で育ってきた宮下は、小学校6年生の時にはチームのエースに。
地区大会優勝の肩書きを掲げボーイズ界へと門を開いた。
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「中学の時からプロ野球などの動画を見て勉強するようになった。できることが増え始め、野球漬けの生活も案外楽しいと思えるようになっていた。」
新たな環境で抱いたギャップと父親・兄貴との変わらぬ日常。
変化球や打球の質が一転した別物の野球に、むしろ好奇心を膨らませた宮下はさらなる魅力に翻弄されていた。
「メンタル面が一番成長を感じた。配球面も色々教わってきたと思う。」
父は野手で、兄は捕手。
野手目線での指導も多かったのだろう。
中学時代より配球のことを頭に入れ、試合を振り返りながら相手と対峙する姿勢には素直に感心した。
大きな結果こそ残せなかったものの、身も心も逞しく成長。
卒業する時には170cm後半まで身長も伸びていた。
「父と兄と同じユニフォームが着たかった。兄は背番号をもらえなかったから、自分は何としてでもらいたかった。」
父と兄の背中を追いかけて。
かつての伝統校へと乗り込んでいった。
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願い叶えて返す恩
念願叶い、袖を通した憧れのユニフォーム。
代々引き継がれた伝統校さながら、厳しい練習にも耐え抜いた。
「練習がきつかったのは兄貴の代まで。自分たちの頃には緩くなっていた。」
口ではそう言うものの、オフ期間には走り込みの日々が続いていた。
2年生の時点ではバッティングを買われ、つけた背番号は“3番”。
この時点で兄の思いを晴らしていた。
「ちょっと打てるようになってきたら(バッティングも)楽しい。本格的に投げ始めたのも2年の秋から。」
自分たちの代へと移り変わり、悲願のエースナンバーを背負うことになった。
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早々にピッチャー一本となっていた宮下。
まだまだ上がる見込みのある球速は、2年秋時点では120km/h後半ほどだった。
「2年の冬に走り込んで鍛えられた。寮生活だったので、父親にはLINEでピッチング動画を送って指導してもらっていた。」
家は離れても親子の二人三脚は止まらない。
仕送りを受け取る日にも共に練習をしていたという。
「ピッチングは父、バッティングは兄から教わっていた。3年夏には134km/hまで上がった。」
夏大後、BCリーグ球団へのトライアウトを受験するも惜しくも叶わず大学へ進学。
熱烈なラブコールをいただき入部した野球部だったが、一年経過を機に退部することとなった。
「NPBへ行くなら少しでも近い環境でやりたい。(和歌山ウェイブスの)存在は知らなかったが、父親が調べてくれて勧められた。」
OP戦を見学しに来た宮下はその後トライアウトを受験。
地元和歌山へと舞い戻ることとなった。
19歳が挑む独立リーグ。
入って間もない宮下が得た経験はすでに計り知れなかった。
「コントロールが良くなった。あとはコミュニケーション。」
大学とのレベルの差に苦戦したシーズン前半。
甘く入ったら簡単に打たれるリーグで戦うべく、自ずとコーナーをつく制球力が身についたのだろう。
今となっては試合の後半、大事な場面での起用が目立ってきた。
「緊張はめっちゃする。勝ちたいが強いから、自分のランナーでなくても返したくない。」
勝利数に一番のこだわりを持つ宮下は、来年和歌山で“7勝”することを目標にしている。
さらには自分がマウンドに上がっていない試合で勝つのが悔しいと、つい本音を漏らしてくれた。
「素直になれない部分もある。こいつより成績上げてやろうと。」
実にピッチャーらしい性格だ。
19歳らしからぬマウンド捌きにも納得がいく。
また年の差最大13も離れてる和歌山には、豊富な年齢層の野球人が所属している。
年上ばかりと相手することもあれば、数少ない年下メンバーである橘と戯れ合う姿もよく目にする。
そんな宮下にある質問を投げかけてみた。
“なんでプロ野球選手になりたいのか?”
普段の態度とは打って変わり、帰ってきた言葉に感心した。
「育ててもらった親に恩返しがしたい。親にも普段から伝えている。」
家族で追いかけたプロへの夢。
父親という道標を頼りに、この先待ち受ける険しい道を歩んでいく。
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父親の仕事も片手間に
「趣味・特技:野球」
和歌山ウェイブスの選手名鑑をお持ちの方は今すぐ開いてほしい。
宮下のプロフィール欄のにはきっとこう書いてあるだろう。
物心ついた頃から野球漬けの毎日を送ってきた宮下は、目ぼしい趣味が思い浮かばない。
休みの日にも、父親の手伝いに実家まで帰省するというほどだ。
的屋を営む宮下の父は、和歌山ウェイブスのホームゲームにも出店していただいた過去もある。
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そんな父親の手伝いを片手間に、普段は同じボーイズ出身の小﨑らとともに練習に励んでいる。
和歌山ウェイブスが誇る04世代トリオの一角。
持ち前の若さと勢いで地元和歌山を盛り上ていく。
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