EP11.【清水泰貴#21】
異彩を放つ若人
高校を卒業して挑んだ独立リーグの世界。
今年20歳となる清水が所属した球団は和歌山ウェイブスですでに4球団目となる。
一所にとどまらない放浪主義な気質は、学生時代より頭角を表していた。
高校一年生の冬。
一学年上の部員が1人しかいなかったこともあり、この頃より主将を務めていた。
当時ファーストをメインに守っていた清水は、周りを鼓舞するべく少々荒れた声がけをすることもあったという。チームのためを思って。
しかし次第に周りとの熱量に差を感じ始めた清水は、当時の監督に退部届を提出した。
「高一の11月〜2月くらいは練習に参加していなかった。(周りの熱量が低く)温度差が生まれて気まずかった。」
やんちゃな子も多かった高校時代。
周りに流され、学校にもいかない時期を過ごしていたこともあったという。
ちょうど“ROOKIES”も観ていたらしく、厨二病心がくすぐられたのだろう。
それでも色んな大人に囲まれて説き伏せられる形となった。
「“こんなんで終わっていいのか”と煽られた。煽られたら燃えるタイプです。」
これを機に、2年春より野球部へと復帰。
しかしサボっていた代償は大きかった。
その年の夏の大会、練習不足が露呈した清水は脚を攣りながら試合に出場していた。
「こんな惨めな思いはもうしたくない。」
それ以降暑さ対策にサウナスーツを着ての練習。
なんと自転車で通学中にも着用していたという。
そんな姿勢が周りに伝播したのだろう。
2年秋には再び主将となりチームを牽引することに。
「それまでは努力が嫌いで自分に甘えていた。他人に言うからには自分もやらなければいけない。」
腹を括った表情に、野球観の変化が読み取れる。
迎えた高校三年生の春。
実はこのオフよりピッチャーの練習も始めていた清水が、公式戦初登板となる試合で18個の三振を奪い、大会記録を樹立した。
「元々高校で野球は辞めようとしていた。けれども上手い人たちと野球がしたいと言う思いが込み上がってきた。」
夏の大会は惜しくも二回戦敗退となってしまったが、次なるステップアップは見据えていた。
選ぶなら自分の実力で。
人が敷いたレールを歩みたくない清水は、参加していた野球塾で居合わせた選手の影響で独立リーグの世界に興味を示すことになる。
様々なトライアウトを受験した結果、“淡路島ウォリアーズ”に合格。
後に大きく羽ばたく独立リーグ人生が開幕したのだった。
4球団を経て、目指すは世界へ
初めて所属した淡路島ウォリアーズでは高卒一年目ながら開幕投手を経験。
OP戦での結果が光っての抜擢だった。
それでも怪我の兆候が見え始めていたことも相まって、、二ヶ月ほどで退団した清水が次に向かった先は北海道・すながわリバーズ。
5月に開幕する北海道は、他のリーグと比べると少し遅めの球春。
開幕前にチームへと合流したものの、抱えていた痛みがピークを迎えた清水は、開幕早々に戦線を離脱することとなってしまった。
しばらくして引いてきた痛みを乗り越え、なんとか規定投球回まで到達することができた。
「怪我は気持ちで治る。」
叩き込まれた根性論を遺憾なく発揮し、北海道でのシーズンを終えた後に目指した先は九州・大分B-リングス。
「色んなことをいっぱい吸収してきた。周りのレベルも(今まで経験してきた中では)一番高く、嬉しさと悔しさの両面を味わった。」
ソフトバンクとの練習試合など、NPBとも平然と野球をする環境に刺激をもらっていた反面、思うような結果を残せず悔しい思いもした。
裏方に回ることも多くなってきた日常に嫌気が差し、退団することを決意。
この時には野球を続けるかどうか、路頭に迷っていたという。
そんな時に現れたのが武田洸人(現和歌山ウェイブス)という存在。
実は武田とは淡路島ウォリアーズ、すながわリバーズでともに汗を流した戦友。
すながわ在籍時には寮の部屋が隣同士だったこともあり、親交が深かった武田に相談も兼ねて連絡したという。
その時に和歌山ウェイブスへの誘いを受け、テストを受験。
晴れて4球団目の入団に至った。
「メンバーは個性だらけ。可愛げがある。」
和歌山の印象を聞いた時、返ってきた答えに疑問が浮かんだ。
メンバーのほとんどが年上という環境で、“可愛げがある”と返ってくるのは清水が達観しているのか、それとも周りが幼いのか。
おそらく両方の意味が含まれていることを証明するかの如く、成績でもマウンドでもチームを牽引している。
「(前半戦終了間近で)すでに去年の倍くらい投げている感覚。投げれば投げるほど学べることが多く、すごく充実している。」
7月14日現在で3勝はチーム内トップ。
試合中にも元気よく、声を上げながら腕を振っている。
そんな清水に今後の目標を聞いてみると、思いもよらない答えが返ってきた。
「NPBにももちろん行きたいが、それ以上に海外野球に興味がある。色んな文化に触れることは自身の経験値にもなる。」
大分在籍時、初めて外国人選手とプレーしたことを機に、さらなる視野が広まったという。
「来年には行きたいと考えている。ヨーロッパを視野に入れているが、最終的には記念にアメリカへと渡ってみたい。」
自由をモットーに駆け回る19歳。
無限に広がる世界を目指し、自由の国へと飛び立っていく。
いかなる黒歴史も笑いのネタ
卒業アルバムとは、大人になってからも見返す機会の多い思い出品。
そんな記念に残る写真撮影の場で、全力でふざけ倒すことができるのは感服する。
高校時代、一度野球部を退部しようとしたことですらも、今では満開の笑みを浮かべながら振り返っていた。
カメラを向けるといつだって無邪気で可愛げのある笑顔で応えてくれる清水。
誰よりも負けず嫌いで誰よりもよく笑う。
全力で振る舞う生き様が、周りの気持ちも盛り立てる。