EP5.【河田岳晴#6】
野球は楽しむものじゃない
24歳で飛び込んだ憧れの独立リーグ。
“お前じゃ無理だ”、“成功しない”
側から見ると遅すぎる挑戦に、周りの反対は大きかった。
「(関西独立リーグの)試合には何度か観に来ていた。スタンドで眺めていた選手と一緒に野球をできることが楽しみだった。」
自分に自信を持てずに歩んできた野球人生。
思い返してみると、中学生の頃からの厳しい指導が今でも影響を受けている。
当時90人近い部員数がいる中、正捕手としても試合に出場していた中学時代。
関東大会出場など、華やかな成績を収めている一方、周りとの実力に引け目を感じることもあったそう。
その反動もあり、高校では出場機会を求めて県立高校とへ進むものの、名門へ進んだ元チームメイトが甲子園で活躍する姿に改めて刺激を受けた。
「周りの人よりも長く野球を続けたい。」
活躍する選手が輝く期間は短い。
負けず嫌いな性格が表立ち、とにかく長く野球を続けようと思い立った。
しかし競技継続への熱は上がったものの、大学入学時には硬式野球部のセレクションに不合格。
軟式野球部への入部を余儀なくされた。
「中学以降野球を楽しいと思ったことがない。」
その想いは社会人での野球を経験した現在でも払拭しきれていない。
昨シーズン、怪我の影響もあり出場した試合数はわずか23試合に留まる。
年間48試合開催されたリーグ戦の約半分のみの出番で終わった。
「結果が出ている人、レギュラーで試合に出ている人が野球を楽しいと言うのはわかる。人に言われたことが自分にはできない。」
その強い自覚が、常に考えて行動しないとダメだと胸に刻ませている。
反対してきた周りの人に認められたい。
今まで出会った人たちを見返したい。
その反骨心だけが野球を続けられている原動力となっている。
誰よりも長く、泥臭く。
挑戦に遅すぎることはないことを証明する。
秘めたる想いはホームラン
人には決して明かさない。
それでも内に秘めた想いは熱い。
「ホームランが打ちたい」
昨シーズン放った11本のヒットは全て単打のみ。
中学・高校ともに1本ずつしか打てなかったホームランには、強い想いが込もっていた。
「自分の全てを出し切るつもりでシーズンを終えたい。ホームランを打てたら今年で(野球人生が)終わってもおかしくない。」
そう語る目には憧れの想いが滲み出ていた。
開幕スタメン+フル出場を目標に掲げて和歌山へ入団。
淡路島時代に感じた、和歌山ファンの熱量の高さがきっかけだった。
昨シーズン怪我による途中離脱も経験していた河田は、運営のサポートや選手の手伝いを積極的に行なっていた。
感謝されることの喜びや励ましの声に感銘を受けたと言う。
そこで“支えるスポーツ”のやりがいを実感。
一時期裏方の仕事へ就くことに興味を持つほどだった。
しかし同時期、和歌山ファンの方からも声をかけられることがあったそう。
「他球団と比べても、(和歌山は)ファンとのコミュニケーションが濃い。和歌山に来てからは、人に見られる意識が高まった。」
野球をやるか辞めるのか。
踏ん切りがつかない迷いの中、人の温かさに心奪われ、新天地にて野球を続けることを決意した。
新たに入団した和歌山では現在最年長。
年下メンバーとやる野球も良い経験だと語る。
「最初はコミュニケーションに苦戦することもあった。先輩面しない配慮は心がけている。」
学生時代感じた周りとの劣等感からか、同い年・年下メンバーにも敬語を使っていた初期と比べると、徐々に見せる笑顔も増えていった。
若い選手の勢いに引き上げられて、
今年こそグランドで自分の全てを表現する。
1人へのこだわり
「歴史が好き」
地方や観光名所へ出向くことが好きだと語る河田は、城跡巡りや御朱印集めが趣味だと言う。
文化財や博物館へも見学に行くほどの趣味は基本一人行動。自他共に認める女好きも、こればかりは一緒に行くと気を遣うらしい。
共同(寮)生活において長時間電話をしている様子は、この上なく周りに気を遣わせているとは思うが、本人は気づいているだろうか。
地元(神奈川県)から出たく、大阪や北海道でのクラブチームにセレクションを受けていたことも確かな影響を受けている。
関西在住期間には、徳島や香川の野球観戦に加えて近くの観光地へと赴いた。
初めて関西へ越してきた際には、慣れるまでに時間がかかったと振り返るが、気づけばもう3年もの月日が経っている。
温厚な人柄に温暖な気候。
穏やかな土地に包まれながら、今年こそ遅咲きの花を咲かせるか。