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FP9.【三井将輝#45】

長き葛藤を抱えた苦労人
感謝を胸に、周りの期待を超えていく


心躍ったTV中継

一体これはなんの試合で、誰がピッチャーで誰がバッターか。
理解が及ばないまま眺めていたTV中継で、唯一認識できたのは、これが“野球の試合”だということ。

この世界に魅力を感じ、瞬くうちに同じ道を歩みたいと感じるほど全身に衝撃が走ったのは、わずか5歳の頃だった。

その後先輩に誘われ、実際に野球を始めたのは小学4年生の時。
初めて“野球”という存在を認知した当時より、少し遅れてのスタートとなった三井は、この頃にはもうすでにプロ野球選手になりたかったのだ。

怪我などを懸念した周りの意見より、ずっと野手に専念していたものの、中学卒業とともに投手へ転向。
小学校のコーチに勧められたことがきっかけだった。

速い球を投げたい
周りの人に認められたい”。
思ったところに投げて抑えたい
転向して間もないうちから投手の面白みにハマっていった。

ウエイトを始めた高校一年生の頃、みるみる上がっていくのを実感した球速は、当時130km/hは悠に超えていた。
チーム内でも上位を張るほど。

しかし、このまま右肩上がりに成長できないのが野球の難しいところであり、面白いところでもある。
調子良く練習に励んでいた三井だったが、オーバーワークによる肘の炎症を誘発。
痛みこそ1,2ヶ月で消えはしたものの、練習復帰後にはもう球の勢いが消えていた。

もう一度あのボールを投げたい

故障前の輝きを取り戻すべく、以前のフォームへ固執していた三井。
過去の栄光を追いかけて進んだ道のりは、のちにイップスへとつながる大迷宮への入り口だった。

「高三の頃にはバッティングピッチャーすらもままならなかった。周りにもキツいことを言われてきた。」

今ではキャッチャーの練習相手も難なくこなす

その後公式戦デビューを飾ることなく高校野球を引退。
大学でも競技継続を誓ったものの、不安定なフォームとメンタルが改善されるまでには時間がかかった。

「紅白戦で投げても四球の連発。1アウトも取れずに交代することもあった。」

練習中には初速より終速の方が速くなるという訳のわからない珍現象が起きたこともあったが(世間に出回る球速は初速の方)、共に過ごすメンバーに支えられ、明るい兆しが徐々に見え出したのだった。

イップスを乗り越え、いざ独立リーグへ

“ポテンシャルは人一倍ある。絶対諦めるなよ。”

過去お世話になっていた恩師や同級生。
とにかくたくさんの人から励ましの声や期待の想いを受け取っていた。

「本当に人に恵まれてきた。根拠のない自信を持ち続けられる所以です。」

大学時代所属していた野球部では、とにかく自分と向き合っている人が多かった。

自ら調べ、考え、練習に取り組み、反省する。
このサイクルが当たり前のように部内に浸透していたことにより、三井自身も情報を集めるようになった。

「本当に少しずつだけど、球速もコントロールも良くなっていった。取れなかったアウトが一つ、二つと増えていった。」

大学三年生の頃には130km/hまで球速を戻し、ようやく紅白戦でも1イニングを投げ切れるまで到達。
周りのレベルの高さに大学でもリーグ戦出場は叶わなかったものの、やはり“野球を辞める”という選択肢は頭になかった。

BCリーグ、新潟アルビレックス・ベースボール・クラブでのトライアウトでは結果が実らなかったものの、さわかみ関西独立リーグの合同トライアウトを受験した際、和歌山ウェイブスより晴れて一位指名を受けた。

入団してからは首脳陣(特に西村監督)や先輩方にいろいろと声をかけてもらい、少しづつでも貰ったアドバイスを体現できるようになってきた。

「コロコロとやるべきことを変えるのが一番よくない。軸は変えずそれでも変化させる部分も加えながら練習に取り組みたい。」

目指す目標は“145km/h”。
まずは1イニング1イニング、与えられた回をしっかりと押さえたいと意気込んでいる。

「チームの勝利に貢献したい。チームが勝てたら嬉しいし、そこに自分が関わっていたら尚嬉しい。」

上手くいかない日々が多かった野球人生。
周りの人に支えられ続けてきた過去を経験しているからこそ、口にできる言葉なのだろう。

チームのため、人のため。
いただいた恩の数の分だけ、三井を突き動かす原動力となる。

転機の契機

品行方正でストイック。
三井を二言で表すならこのワードがしっくりくるのではないだろうか。

それでも手に負えない小学生時代を過ごしていたというのだから信じられない。

授業が始まっても席に座っておけない。
友達のことを叩いたり、引っかいたりもしていたという。

なぜウェイブスの選手は皆やんちゃ坊主だったのだろうか。
もしかして動物園…?

悪さをしては先生に叱られ、呆れられる。
大概の先生が怒るだけで終わっていた中、唯一話を聞いてくれた大人がいた。

5年生、そして6年生の頃に担任だった先生だ。

悪さをしてもそのワケを聞き、ただ叱るだけでなく自分と向き合ってくれた。
自分の話をまともに聞いてくれる存在が嬉しかったのか、おかげで教室でも次第に落ち着き払うようになったそう。

頭ごなしに怒られてばかりじゃ面白くないのが小学生というもの。
かえって非行に走ることもあるだろう。
改心しないまま大人へと成長していた三井は想像もつかないが、ここまで応援しがいのある人間にならなかったことだけは違いない。

この頃より出逢う大人に恵まれていた人生。
受けた恩をいつの日か、自分が送り届ける大人へと変化してきている。

“自分はこんなもんじゃない。”

寄せられた周りからの期待を胸に、未完の大器を磨き続ける。

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