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統一運動《12/31 今日は何があった?》
1954年 「成和基督学生会」結成 👇
1960年新宿区西五軒町の三崎荘2階に本部教会を移転 👇
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1965年 ソウルの俱盡峰、仁王山、黒石洞、泰陵の聖地選定
1971年 アメリカ第1回原理修練会
1976年「ニューズ・ワールド」発刊(米国)1978年「私の日」宣布(米国、ベルベディア)
1984年 真のお父様、正月休暇のためダンベリー連邦刑務所出所(5日間)
1986年米国カウサ会員1000万人署名達成(署名は9/1から)2004年本殿聖地上棟式(韓国京畿道加平郡雪岳面)
《1954年 「成和基督学生会」結成》
真の父母経p400
第二節 「成和青年会」
「成和」の意味と「成和青年会」
一九五四年十二月三十一日、協会に初めて「成和基督学生会」が出帆した。「成和」という名称は、真のお父様が直接、命名してくださったものであり、以後、多くの団体にその名称が活用された。み言によれば、「成和」は、完成と和動、すなわち互いに和して完成していくという意味である。「成和基督学生会」は、一九五五年三月二十七日、「成和青年会」に名を変え、一九六〇年まで協会活動の中心となった。この日、機関誌「成和」創刊号が発刊された。
1 皆さんは、「成和青年会」というこの字の意味を知らなければなりません。「成和」という言葉は、何かの刺激によって受動的な立場で和合しなさいということではありません。能動的に和合しなさいということです。
このような意味を中心として出発した皆さんなのに、朝は喜んでいても、夕方には泣いて騒ぎ、また夜になれば自分のしたいようにすべてしています。それではいけません。神様のみ旨を知る人たちであれば、朝に泣き、夕方や夜には喜ばなければなりません。それにもかかわらず、皆さんは、初めは喜んでいても、あとになって「ああだこうだ」と言って多くの条件を付けるのです。
ですから、成和学生の卒業生たちに苦労をさせるのです。皆さんを最前線に送り出して、倒れさせ、死の淵に追い込んでこそ、民族を救えるとすれば、そのようなことをさせなければなりません。
《1960年新宿区西五軒町の三崎荘2階に本部教会を移転》
日本統一運動史(光言社)p142
1960年12月31日、本部教会を飯田橋駅から徒歩で15分ほどの新宿区西五軒町4の三崎荘二階の四畳半の部屋に移転しました。 当時は「飯田橋」と呼んでいました。 この部屋は、 草創期を支えた姜淳愛さんの息子さんが借りていた所です。講義所に、再び雄鶏舎二階をかりる
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