統一運動《11/21 今日は何があった?》
1946年 真のお父様、大同保安署釈放
1968年第4回関西学生大会(京大)3000名結集
1972年 第四次世界巡回(1973年7月22日まで)
1972年真のお父様、崔元福女史御来日。リトルエンジェルス公園3日目のご観覧
1973年 第2回「科学の統一に関する国際会議」で真のお父様が講演、東京、帝国ホテル
1983年「全国学生幹部1500人大会」(江戸川総合文化センター)
1986年 アメリカ、統一神学大学修士号課程認可
1993年 「真の父母と成約時代」宣布世界巡回講演 ロシア、モスクワ、クレムリン宮殿大会堂
1998年「家庭盟誓」(1994年5月1日に制定)の7番の文に「為に生きる生活を通して」が追加
2001年第1次「世界入籍祝福家庭夫(男性)特別修練会」(~11/28 韓国)
2007年 アメリカ12カ都市巡回大会 ニュージャージー、ヒルトン・メドウランズ・ホテル
2007年 アメリカ12カ都市巡回大会 ニューヨーク、マンハッタン・センター
2017年「孝情 Family Festival in Osaka」(日本・大阪府門真)
2018年「Peace and Family Festival」(ジンバブエ・ハラレ)
2021年天の父母様聖会希望祝祭(青年学生を中心に開催、韓国・前天苑教会および全世界)
《1946年 真のお父様、大同保安署釈放》
真の父母経p223
キリスト教指導者たちの不信と大同保安署での受難 平壌で真のお父様の教会が、恩恵深い役事によって活気を帯びるようになると、篤実なクリスチヤンたちが自分の教会に行かず、真のお父様がいらっしやる所にばかり来るようになったため、彼らが所属していた教会の牧師と長老たちが、真のお父様の集会所にまで来て、狼藉を働き、一部の教会員を拉致していったこともあった。のちに、彼らは、自分たちの思うとおりに解決されないと見るや、共産党当局に、真のお父様が南から来た怪しい人物であり、不法集会を行う者であると告発し、真のお父様は、一九四六年八月十一日、大同保安署に収監された。そのような中でも、大同保安署の中で神霊教団の教主に会うことを霊的に察知され、そこに入られたのである。大同保安曇には、腹中教の教主である許浩彬と、その人に従う幹部たちが収監されていた。許浩彬は女性で、真のお父様とは違う監房にいたが、男性の幹部は真のお父様がいらっしやる監房に入っていたため、その人と多くの会話をされた。当時、腹中教は、主が許浩彬の腹中にいると考え、おなかが振動するたびに出てくる言葉を通して、信徒たちを指導していた。真のお父様は、その信仰を否定し、監房から釈放されなければならないと伝えたが、許浩彬は真のお父様の言葉を信じなかった。そのため、真のお父様は、最後の手段として、秘蜜裏に紙切れを許浩彬に送られた。許浩彬は、真のお父様の言葉を信じるか、無視するか、二つに一つを選ばなければならない立場に立たされた。しかし、彼女は、真のお父様に会ったこともなかったため、結局、真のお父様のみ言より、自分の信仰を守ることが、自分の侍っている王に対する道理であると考え、その紙切れを捨てようとした。 真のお父様のことをメシヤと分かれば、その紙切れを大切に保管したはずだが、それが分からず、無情にも捨てようとしたのである。そうして、その紙切れが保安署当月に発見され、真のお父様は厳しい拷問を受けて、瀕死の状態で保安署の外に放り出されてしまった。このような真のお父様を、景昌里教会の食口たちが教会にお連れして、この上ない精誠で看護したのである。これにより、真のお父様は健康を再び回復なさることができたが、許浩彬と幹部たちは、その後、獄死するなど、凄惨な最期を迎えた。
18 お父様が許浩彬氏の集団と関係があるとして監獄に入っていた時、許氏に紙切れに書いた手紙を送りました。お父様は「この手紙を書いた人は天の使命をもった人物である。あなたは祈ってその人がどのような人なのかを調べなければならない。もしあなたが啓示を受けたすべてのことを否認するなら、あなたは釈放されるだろう」という内容を書いて送りましたが、その紙切れが看守に発覚しました。それで、お父様はひどい拷問を受けました。一九四六年九月十八日、午後二時のことです。
その時、韓国にいるアメリカ軍のスパイとしても告発され、ソ連の調査官によって尋問を受けましたが、無罪であることが判明しました。それで、お父様は、一九四六年十一月二十一日の午後に釈放されました。許浩彬氏とその追従者たちは、お父様の言葉に従いませんでした。一九五〇年に「六・二五動乱」が起こった時、彼らはすべて虐殺されてしまったのです。その集団の失敗ゆえに、お父様はほかの人たちを探し求めなければなりませんでした。条件的な数を探し出せるまで、活動したのです。
《1968年第4回関西学生大会(京大)3000名結集》
日本統一運動史(光言社)p290
1968年11月21日、京都大学において、 京都大学原理研究会主催で関西学生大会が3000名余りの学生を集めて開催されました。
大会は『暴力を排斥し、愛と対話の学生運動を』 という統一スローガンのもとに、暴力の嵐の吹き荒れる大学紛争の問題に乗り出そうという新しい学生運動を提唱しました。
講演では奈良女子大名誉教授の岡潔先生が 「現在の日本を救い大学を救うには、高い宗教的基盤に立って、 国際共産主義より日本を守らなければならない」と訴えました。
《1972年 第四次世界巡回(1973年7月22日まで)》
《1972年真のお父様、崔元福女史御来日。リトルエンジェルス公園3日目のご観覧》
真の父母経p605
世界宣教の基盤造成
真の父母様は、一九七二年十一月二十一日に韓国を出発し、日本を経由して、二十三日にアメリカに到着された。第四次世界巡回というタイトルで韓国を出発したが、実際には、アメリカに滞在して宣教活動を集中的に展開し、八カ月後の一九七三年七月二十二日に帰国された。このときのアメリカ訪問の目的は、世界宣教の基盤造成と世界統一十字軍(国際伝道機動隊)の再教育てあった。第三次世界巡回当時に編成された世界統一十字軍の実績を検討し、国家を超越して世界的な舞台で活動ができるように、拡大、改編したのである。また、真のお父様は、一九七二年十一月二十三日から二十六日まで、ニューヨークで開かれた第一回「科学の統一に関する国際会議」において、「世界の道徳啓蒙に対する統一科学の任務」というタイトルで基調演説をされた。
18 父母様はそう遠くない将来、第四次世界巡回路程に出発するでしょう。これからニューヨークに行けば、一九七二年十一月二十三日に、「科学の統一に関する国際会議」で講演しなければなりません。それは、私が創設しました。世界的に優秀な人々を、韓国に呼び集めなければなりません。そのようにしてこそ、韓国を生かせるのです。統一教会員たちが、今後、世界に行く道も築いておくのです。
世界的な環境ができるのも、そう遠いことではありません。父母様は、世界巡回に出発すれば、何カ月間か滞在し、また帰ってくるでしょう。韓国を完全に離れるのではありません。アメリカに早く統一教会の食口をたくさんつくり、韓国人を家庭ごと連れてきて一緒に住みたいと思うような状況にしておけばよいのです。ですから、そのような基盤を造成しなければなりません。
日本統一運動史(光言社)p331
1972年11月21日、真の御父様は、崔元福先生、 金榮輝先生と共にご来日され、23日にアメリカへ向かわれました。
リトルエンジェルス公演御観覧(1972.11.21、日劇)
御言 『今を守れ 』 (1972.11.22 本部教会)
「だから 「瞬間」 を守れ。 『今』 を守れ。 神様は遠くにいるのではありません。 今を喜ぶ神を迎えられない者は、永遠に喜ぶ神を迎えることはできません。 今、 勝利の神を迎えない者は、永遠の勝利は遠い。今が問題だ。 今を無視する者は、永遠の勝利の神の世界を無視する者である。 今の瞬間というものは、永遠を判決するその支点だ。 そういうような、毎日の瞬間が続いていく人生行路の道に立っている。そう思った場合、真剣に生きる。 一挙手一投足、 これは実に生命がけである。
・・・自分の一瞬に日本の運命がかかっている。 自分の一歩も動かす方向によって日本の将来・・・が左右される。 ・・・この一瞬を逃がしてはいけない。74年まで総動員して、今の時間をこれを死守しなければならない。」(抜粋)
《1973年 第2回「科学の統一に関する国際会議」で真のお父様が講演》
平和経p718
現代科学と人間の道徳的価値観
日付:一九七三年十一月二十一日
場所:日本、東京、帝国ホテル
行事:第二回「科学の統一に関する国際会議」
https://cafe.daum.net/ckatkfkdrhdqn/V1yi/68?svc=cafeapi
日本統一運動史(光言社)p344
閉講式での真の御父様のメッセージ (11.21)
『科学の目的は愛の実現』
「歴史の背後には、絶対者の存在がある。もし人類がこの絶対者を認識したならば、 科学の目的である、 愛を中心とした幸福な道徳的世界が実現されるであろう・・・」
《1986年 アメリカ、統一神学大学修士号課程認可》真の父母経p1057
統一神学大学院、ブリッジポート大学と世界大学連盟
真の父母様は、一九七四年四月三十日、アメリカ、ニューヨークのハドソン川の川辺、 ベリータウンにある敷地七万坪(五十八エーカー)のカトリック神学校を引き継ぎ、一九七五年十月二十日にアメリカの統一神学大学院として開校された。そし て、一九八六年十一月二十一日に認可を受け、神学科と神学教育科の修士号課程を新設し、カトリック、プロテスタント、ユダヤ教などから教授たちを招聘し て、超教派大学院として運営された。続いて、一九九二年四月十五日にブリッジポート大学を引き継がれた。アメリカのコネティカット州、ロングアイランド海 峡沿いに位置するブリッジポート大学は、一九二七年に設立された由緒ある大学である。真の父母様は、世界の大学が国家や理念、宗教の壁を飛び越え、人類が 追求する共同価値の実現に当たって先頭に立たなければならないと考えられ、一九九六年一月、ウルグアイのモンテビデオで世界大学連盟の結成を宣言された。 そして、国際的な人材を養成し、国連を通して世界の指導者クラスの人脈ネットワークを構築するため、国連大学の設立を提唱された。また、「これからは、学 校という空間より、誰もがそれぞれの場所で教育を受けられる映像通信教育時代に入るようになる」と語られた。
19 ベリータウンの神学大学院に対し、一九八六年十一月二十一日に設立認可が下りました。統一神学大学院です。そのために十一年間闘いました。ニューヨーク州 の教育委員会を相手に、行政訴訟を起こしたのです。学校設立の規定に従って、施設から教授と学生たちまで、すべてのものを備えたのに、なぜ認可してくれな いのかというのです。アメリカでは、そのようなことはあり得ません。
訴訟を起こし、私たちが一審で勝ちました。向こうの控訴で二審に進んだのですが、二審でも勝ったというのです。三審まで進みました。ニューヨーク州 の立場からすると、三審でも負ければ国の面子が立たないので、そこで棄却したのです。「ニューヨーク州の教育委員会と統一神学大学院が話し合って、良い方 向に向けて解決しなさい」と言って棄却してしまったのです。それが棄却されてから四年目に認可が下りました。