統一運動《12/18 今日は何があった?》
1965年 韓国、地方8カ所の聖地選定のための全国巡回 全州
1968年 第1回日韓親善狩猟大会、済州島
1971年 アメリカ、ワシントンDC到着 👇
1971年 「リトル・エンジェルス芸術団」公演観賞、ケネディセンター・オペラハウス 👇
1973年御子女様 (譽進様、 孝進様、 仁進様、興進様、恩進様 顯進様 國進様)と洪順愛女史到着。午後6時より歓迎和動会
1975年 アメリカ、上下院招請講演、国会議事堂 👇
1980年笹本正樹宣教師(1800双)タンザニアで殉教 👇
1981年 国際少数民族協会結成 米国
1981年 「国際平和財団(FPI)」創設
1983年 第1回「世界平和教授アカデミー」世界大会、リトル・エンジェルス芸術会館 日本から尾脇準一郎氏、菊谷清一氏らが参加した 👇
1985年 総合月刊誌「ワールド・アンド・アイ」発行 👇
1990年 ソ連と東欧圏政治指導者招請晩餐、イースト・ガーデン 👇
1996年 「世界平和武術人連合」創立総会、モンテビデオ、ビクトリア・プラザ・ホテル
1999年黄善祚世界平和統一家庭連合世界会長が広島 大阪・東京の各教会を巡回、真のお父様のメッセージを伝える (~20)
2002年金孝南訓母様の日本巡回(~20)
2005年 「天宙平和連合」創設記念世界巡回大会 バルバドス、ブリッジタウウン、ロイド・アースキンサンディフォード・センター
2007年 「天宙平和統一アベル国連」創設歓迎決意大会、ワシントンDC、シェラトン・ナショナル・ホテル
2021年シンクタンク2022インターフェイスフォーラム(韓国・孝情文和苑および全世界)
《1971年 アメリカ、ワシントンDC到着》
真の父母経p631
4 カナダで数日だけでも延長されたとすれば、入ることができません。それを見て、悪の勢力、見えないサタンの勢力が、神様のみ旨を成就しようとするその道に、あらゆる手段で反対していることを如実に感じました。そうして、カナダからワシントンDCに行こうとするのですが、希望する時間に飛ぶ飛行機がありませんでした。
当時、「リトル・エンジェルス芸術団」が、一九七一年十二月十八日にケネディセンターで公演するその時間までに、そこに行く約束をしていました。何としてでも、その時間に合わせて到着しなければならないのですが、飛行機がないので、仕方なく双発機に乗って非常に低く飛び、山合いを通りながら六時間もかかって到着しました。このようにしてアメリカに入ったのです。
《1971年 「リトル・エンジェルス芸術団」公演観賞、ケネディセンター・オペラハウス》
真の父母経p1070
第一節「リトル・エンジェルス芸術団」
リトル・エンジェルズの創団と公演
真の父母様は、一九六二年五月五日、「リトル・エンジェルス芸術団」を創団された。 リトル・エンジェルスは、子供たちだけで構成された韓国伝統芸術団であり、韓国の美しい文化芸術と韓民族の平和愛好精神を世界に知らせることにおいて先頭 に立った。リトル・エンジェルスは一九六五年九月、アメリカのゲティスバーグでアイゼンハワー元大統領のための特別公演を起点に、今まで六十回以上にわた り、六十数ヵ国を歴訪しながら公演を行ってきた。特に、六千回以上の国内外での舞台公演と、五百回以上のテレビ出演記録を立て、四十数ヵ国の首班たちとの 面会を通し、「平和使節団」としての役割を十分に遂行した。また、一九九〇年四月七日から十七日までのソ連のモスクワ公演、一九九八年五月四日から七日ま での北朝鮮平壌公演、二〇一〇年六月から二〇一一年十一月までの、国連平和軍聖戦追慕連合会とともに行われた、六・二五動乱参戦二十二ヵ国巡回報恩公演な どは、特別な関心の中で実施された。
10 統一教会は、リトル・エンジェルスを通して、世界的に、黙々と大韓民国の宣伝をたくさんしました。今もそうです。日本の東京の銀座で一番大きな劇場を借りて、四十日間、昼と夜に公演をしています。
これは、韓国のためにしているのです。統一教会のためではありません。民団は、金日成主席の主体思想を宣伝する朝鮮総連に巻き込まれています。この ようなときに、韓国は文化民族であり、日本人までも感動して敬服する古代文化があることを知らせて、韓国の権威を高めるのです。私たちは、そのようなこと をしてきています。ですから、私たちのすることはうまくいかないように見えましたが、神様が助けてくださり、今まで冒険の道を経ながら成功を収めてきまし た。私たちのためにしたことではないからです。それで発展したのです。私たちが犠牲になり、善のために生きたからです。
《1975年 アメリカ、上下院招請講演、国会議事堂》
真の父母経p684
アメリカ議会招請講演
真のお父様は、アメリカ議会の招請により、二度にわたって講演をされた。当時、真の父母様に対する関心が高まる中で、上下両院議員が招請したのである。一九七四年十月八日、真のお父様は、国会議事堂のダークセン上院ビルにて「神様の摂理の中にあるアメリカ」というテーマで講演された。この日は、上下両院議員百八十五人が参加し、み言を傾聴した。この講演は、九月十三日、上院外交分科委員長などが、上下両院議員十二人の連署による招請状を真のお父様に送付し、上下両院議員全体に公文を送ることによって実現した。二回目は、一九七五年十二月十八日、上下両院議員たちの招請を受け、アメリカ国会議事堂のコーカス・ルームで、二百人が参加する中、「アメリカを中心とした神様の計画」というテーマで講演された。
1 私は、アメリカ国会に行って講演する準備を今まで(渉外チームに)させてきました。これまで六カ月間訓練してきたのは、その目的のためです。それで、一九七四年十月八日に、私が国会に行って講演をすることになっています。ところで、アメリカ社会では、「レバレンド・ムーンは神秘の存在だ」と言っているのです。国会の上下両院議員たちも、一度も私の講演を聞かないまま、どこかに行ってお父様に関する話が出たとき、答えることもできずに口を閉じていれば恥をかいてしまう、そのような段階に入ったというのです。
今回、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデン大会で、そのような雰囲気が相当に高まりました。上下両院議員が来ることができなければ、その補佐官でも必ず送ることにしたというのです。「どのような話をしたのか知らなければいけないので、送ることにした」という報告を聞きました。ですから、「レバレンド・ムーンに対して、上下両院議員の皆さんが協助してください」と言えば、間違いなくワシントン大会のために協助するだろうと思います。
2 ホワイトハウスから、国会の上下両院議員たちとアメリカ国民たちが統一教会の思想をもって武装すれば、どのようになるでしょうか。建国の中心に当たるキリスト教が没落するこの時に、キリスト教を再起させることができ、破綻しかけている家庭と倫理を再起させることができ、青少年を再起させることができ、すべてのものを復活させることのできる原動力になるでしょう。
個人的にそのような人になれば、世界的代表者になり、家庭的にそのようになれば、世界的代表家庭になり、アメリカ国民がそのようになれば、数多くの国家を代表する歴史上になかった国民になり、アメリカがそのようになれば、世界はその圏内で一つにならざるを得ないと考えるのです。
この国会にいらっしゃる上下両院議員の皆さんは、この思想がレバレンド・ムーンの思想であるとは、夢にも考えないでください。これはレバレンド・ムーンの思想ではありません。これが、神様のみ旨の中で人類に通告しなければならない、一つの深奥な真理であることを知り、これを国会に適用し、この国家、国民に対して国民思想として適用すれば、アメリカがそれこそ「神様のもとの一つの国家」という言葉のように、名実共に世界の主体的国家になることは間違いないと思います。
そうすれば、その国こそ、地上天国に違いありません。そこに、真の理想と真の愛と真の幸福と真の真理が存在できるのです。
3 何としてでも、韓民族の将来のためにアメリカの朝野に影響を及ぼし、私たちの基盤を拡大していかなければなりません。ですから、ニクソン大統領を支持した問題を経て上下両院の基盤をつくり、国連の舞台で活動し始めたのです。何としてでもアメリカ議会に足を踏み入れておこうと、彼らの前に行って講演までしました。それとともに、政治(家)だけではなく、政治的影響力をもった人々を通して国民との関係基盤を確保し、世論全体の基盤が必要だったので、そのような世論基盤を築き、今やアメリカで私は相当に有名になりました。
私が最初に彼らに会った時、「二年間でこのような旋風を巻き起こすが、あなたは信じるか」と言うと、「信じられない」と鼻で笑いました。アメリカで自分こそが実力者だと考え、二十年以上の功績を積んで、今や上院議員の立場にいる人々なので、「外国から来た青二才のレバレンド・ムーンという人物が、アメリカで二年間に何をどうするのか」と、鼻先でせせら笑ったのです。
しかし、今や彼らが信じるほどになりました。私が話すことは、うそではないと考えているというのです。この間、私がしたことは、大したことではありません。しかし、彼らに同情される統一教会の文某になっては絶対に発展できません。私が助けてあげなければならないのです。ですから、何はともあれ、助けになることをたくさんしたのです。
平和経p1318
アメリカを中心とした神様の計画
https://cafe.daum.net/ckatkfkdrhdqn/V1yi/148?svc=cafeapi
日付:一九七五年十二月十八日
場所:アメリカ、ワシントンDC、国会議事堂コーカス ルーム
行事:第二回アメリカ国会上下院議員招請講演会
《1983年 第1回「世界平和教授アカデミー」世界大会》
真の父母経p1011
世界議長団の「一二・一八宣誓決意文」
第一回「世界平和教授アカデミー世界大会」が一九八三年十二月十八日、世界七十二ヵ 国の議長団七十数人をはじめとする五百五十人以上が参加する中ソウルのリトル・ンジェルス芸術会館で開催された。この日、真の父母様は、創始者として、 「世界平和教授アカデミーと我々の決意」という題名で激励の辞を述べられた。七十二ヵ国の議長団は、真の父母様と共に、「神様の正義の善主権」、「神様の もとの一つの民」、「神様のもと、一つに統一された平和世界」、「宗教による新しい人格変化を受けた人類」、「神様の心情と愛に基づいた新しい文化世界の 建設」などの目標を実現するための宣誓決意文を採択した。また、彼らは、十二月十四日から二十三日まで、韓国の八大都市で開催された勝共決起大会に参加し た。
16 私たちが一九八三年に勝共決起大会をする際、アメリカのシカゴで「科学の統一に関する国際会議」を終えた教授たちを動員しました。
彼らは十一月二十八日から帰る予定だったのですが、韓国を訪問するようにしたのです。彼らに何をするのか説明もしないままそのようにしておいて、ど れほど動くか見ていました。その時、世界に「世界平和教授アカデミー」の七十二の支部があったのですが、その代表たちが韓国に来ました。年末なのでスケ ジュールがあったにもかかわらず、みな参加したのです。
そうして、その人々を中心に勝共決起大会を行いました。それほどの基盤を学界にもっているのです。
17 一九八三年、第一回「世界平和教授アカデミー世界大会」に参加した議長団が、勝共決起大会決意文を採択しました。その時、七十二ヵ国の「世界平和教授アカ デミー」の議長団が韓国に来て、決意文を採択したのです。そして、彼らを集めておいて、全国八大都市で勝共決起大会を行いました。十二月十八日の決意文 は、歴史的な記録です。
今後、歴史時代にこの教授アカデミーが何を誇るのでしょうか。平和世界を建設するとき、世界を指導しようとすれば、資料がなければなりません。ですから、このような資料を私がつくってあげなければならないというのです。
18 お父様は、韓国に南北を統一できる基地をつくりました。アメリカと日本、全世界の運勢を集め、韓国に連結しておきました。今回おもしろかったのは、イスラ エルで高い地位にある人がお父様のところに来て、国に影響を及ぼす役割を果たしてくれるように願ったことです。また、アメリカで将来の運命を懸けた運動を している人々も来て、お父様と一つになって世界の問題を解決することを願いました。その基盤の上に韓国が立つのです。そのようにしながら、全世界の知識人 たちを、「世界平和教授アカデミー」を通してすべて集めたのです。世界七十二ヵ国の碩学たちを集め、世界の運勢をもっていって韓国に連結したというので す。
「六・二五動乱」の時、十六ヵ国の国連軍が韓国統一のために闘いましたが、統一させることはできませんでした。しかし、今日、全世界の自由世界の国 民たちが一つになって総結束し、統一成就のために協助しなければならない世界的時代に入ってくるというのです。ですから、この七十二ヵ国の学者たちが韓国 に行って、勝共という命題の前に宣誓して決意したことは、歴史的な事実です。
19 一九八三年に韓国で開催された「世界平和教授アカデミー世界大会」は、イスラエル民族の中でイエス様が失った国家と教会の基盤を蕩減すると同時に、七十二 門徒が一つになれないことによってイエス様が亡くなったのを蕩減することになります。ですから、世界七十二ヵ国の「世界平和教授アカデミー」議長団を韓国 に連れていき、韓国民族が協助せざるを得ないようにしたのです。その大会では、メシヤ宣布をするとともに、「民主世界であろうと共産世界であろうと、私の 言うとおりにしなさい」と言いました。
七十二ヵ国から来た議長団は、私に対する証し人たちでした。アメリカが反対するのに、自由世界の指導層にいる人々、顧問の立場にいる人々が一つに なって支援するというのは、世界的な事件です。その基盤の上で、サタンが今まで原理結果主管圏内を中心として支配していたすべての事実、今まで国と世界が 行く道を、国で塞ごうとし、世界で塞ごうとしていたことを、取り除いておいたので、サタンは永久に地球星から退くようになるのです。今や、このみ旨は、真 の父母と統一教会の能力でなければ成就されない運命に置かれたのです。
20 国家のトップたちの組織である「世界平和のための頂上会議」と教授組織である「世界平和教授アカデミー」を中心として、既に数十年前から彼らと関係を築 き、世界の多くの学者たちと国家のトップたちを束ねてきたので、彼らがお父様を宣伝してくれるのです。今になってはその国の大統領たちがお父様を歓迎する 段階に来ました。また、その国の大学総長や言論界の代表たちがお父様を歓迎する段階に入りました。世界的に今、いかなる分野でも、世界のトップの人々と接 触していないところがありません。政治、経済、文化など各分野で、いくら有名な大学を出て、博士号をもっているとしても、お父様が指示した方向に従うよう になるのです。
平和経p766
世界平和教授アカデミーと私たちの決意
https://cafe.daum.net/ckatkfkdrhdqn/V1yi/76?svc=cafeapi
日付:一九八三年十二月十八日
場所:韓国、ソウル、リトル・エンジェルス芸術会館
行事:第一回「世界平和教授アカデミー世界大会」
日本統一運動史(光言社)p398
1.御言
「世界平和教授アカデミーの目標である平和実現は、 理想と理論の基準からではなく、実質的方法による実践によって到達できる目標です。 私は、 国際文化財団と世界平和教授アカデミーの基盤を通して、世界大学連盟の理想を抱いてまいりました。 今や実現する段階となり、6大州に少なくとも70個の総合大学を順次的に設立し、 高い次元から若い世代を育成、 指導するでしょう。 大学相互間の交換教授制度、交換学生制度、 共同研究等を通して、 世界性を帯びた教育によって、 人類が一つの兄弟となる世界平和の理想を実現しようとするものであります。 そして、 国際文化財団のシニアコンサルタントには、 絶対価値に立脚した大百科辞典編纂計画をすでに発表したところであります。 現在、 権威ある大百科辞典がないことはありませんが、 一貫した価値観に立脚して集大成された新しい大百科辞典は、後進たちのための絶対的要請なのです。 … 全世界の世界平和教授アカデミーの会員たちが動員され、この歴史的な作業が成就されなければならないと思います。 それのみならず、 生活を通した大衆教育のために、世界的な新しぃ月刊雑誌を85年1月から刊行する予定で、 すでにその準備作業が始まりました(実際には86年1月より 「The World & I」 が刊行された)。 一千余ページの膨大な内容が収録されるこの雑誌は、一度見て投げ棄てるような内容ではなく、生活全般にわたって知恵の泉となる指針書であり、 生活教育書になるものと期待しています」 (1983.12.18)
《1985年 総合月刊誌「ワールド・アンド・アイ」発行》
真の父母経p1026
第三節 「ワシントン・タイムズ」
創刊の背景と主要な編集方針
真の父母様は、一九八二年五月十七日、アメリカのワシントンDCで総合日刊新聞「ワ シントン・タイムズ」を創刊された。「ワシントン・タイムズ」は、左翼系進歩主義の攻勢からアメリカを保護する保守言論を目指した。「ワシントン,タイム ズ」は、進歩派の言論の代表格である「ワシントン・ポスト」と共に、ワシントン地域の二大日刊紙として、アメリカ政府の政策に対する論評により名声を得 た。特に一九九二年四月十二日、金日成主席に単独インタビューを行うなど、多くのスクープによって注目を浴びた。また、「ワシントン・タイムズ」の姉妹誌 として真の父母様は、一九八五年に総合月刊誌「ワールド・アンド・アイ」と時事週刊誌「インサイト」を創刊された。
6 「ワールド・アンド・アイ」の内容は、一般の新聞記者たちが書いた内容とは異なります。「ワールド・アンド・アイ」は、記事を書く場合、未来に対する方向 を提示するのです。ところが、一般の新聞記者は、そのようなことはできません。学者たちの膨大な知識を通して、「アジアの状況はこうであり、アフリカの状 況はこうであり、アメリカの状況はこうであり、ヨーロッパの状況はこうだから、このような結果になる」と、言論界を未来追求の方向に導いていくのです。
最初はそれが分かりませんでしたが、年がたつにつれて、そのような方向に学者たちが意見を集め、結論を出したすべての内容が、そのまま実現されます。ですから、世界の様々な方面の政策に多大な貢献をしてきたのです。
7 有名な学者たちが研究したことが、大学の図書館に埋もれています。ですから、世界の人類にとってどれほど損害でしょうか。それを即刻発表し、すべての知識人たちが活用できるようにしなければなりません。
世界的な研究資料は万民のものです。特定の学校の図書館の隅にのみ保管すべきものではありません。それを一九八五年十一月、「科学の統一に関する国 際会議」の時に宣布しました。今、八十二ヵ国に「世界平和教授アカデミー」が編成されており、数万人の学者が連結されています。ですから、学者たちは、 三ヵ月に一度ずつ原稿を送るのです。自分が所属する専門分野の系列で研究したもの、世界の問題を解決するに当たって役に立ち得るすべての資料を、即刻「ワ シントン・タイムズ」の「ワールド・アンド・アイ」編集部に送るのです。この雑誌を私が一九八五年十二月から始めました。そうして、先頭を走る世界のすべ ての碩学たちが寄稿するので、教育界でこれを即刻、教えなければなりません。時代の先端で、世界の碩学たちを束ねて方向性を提示して前進しなければ、世界 が滅びます。それは、アメリカにいるどの学者、どの言論人も、夢にも考えなかったことです。
8 私は、アメリカと法廷闘争をするテーブルの上で、「ワシントン・タイムズ」を創刊する資金の決裁をしました。「インサイト」と「ワールド・アンド・アイ」 もつくりました。アメリカを生かすために、これらのことをしたのです。お父様がアメリカに責任をもつ立場に立ったことを知らなければなりません。アメリカ を保護する立場に立ったというのです。いくら金城鉄壁のような悲哀の関門が迫ってきても、それを踏み越えるための、責任者としての使命と任務を全うしまし た。中心存在は、責任を負わなければなりません。また、保護する責任があります。アメリカを保護しなければならず、その次には、指導しなければなりませ ん。自由世界の数多くの国家の運命が、ここにかかっているからです。
9 「ワシントン・タイムズ」は、時事解説を通して、アメリカが共産主義に対処できるように方向を示してあげ、「インサイト」は、国会議員たちが日々発言する 内容に関して一〇〇パーセント、統計を出して発表します。どの国会議員がどのようなことを言ったかを、毎週紹介するのです。そうして、国会議員の左翼的な 発言と国家にとって害になる発言を防止するのです。そして、「ワールド・アンド・アイ」は、世界の有名な学者たちを中心として、分野別に未来の方向性を示 してあげ、アメリカが進むべき方向を指導しています。このようにして、一つの世界に進めるように努力しているのです。
《1980年笹本正樹宣教師(1800双)タンザニアで殉教》
日本統一運動史(光言社)p381
◇ 妻、 笹本知恵子さんの証し
「彼からの手紙で、 タンザニアのビザの問題や伝道活動の厳しさなどを知り、私は『同じ苦労するならば一人よりも二人のほうがよい』と思い、 『タンザニアに行きたい』 と彼に手紙を書きました。 それから慌ただしく出発の準備が始まり、 切符を手配しているうちに、私の部屋に泥棒が入って、パスポートを入れたハンドバッグを盗まれてしまったのです。 それでもう一度パスポートを申請しているうちに、予定より遅れてしまいました。
やっと準備が整い、 4日後に出発を控えた12月20日のことです。 ザンビアの大使館の人が突然訪ねて来たのです。 「あなたの御主人が亡くなったという連絡が入りました』。 私は信じられず、相対者がかわいそうで、 泣けて泣けて仕方がありませんでした。 日本大使館の計らいで、翌日すぐにタンザニアに飛び、 死体安置所で彼と対面しました。 どんなにか彼は私を待っていたことでしょうか。この少し前に私は「クリスマスには行ける」 という電報を打っていたのです。 「待っていたでしょう』と言って彼の顔を見ると、 彼は笑っていました。 「あなた、 笑っているの?・・・・・・」。 その後すぐに郭先生がアメリカに招いてくださり、真の御父様にお会いできるよう計らってくださいました。 真の御父様は 『ああ、あんたか。 先生は前からあんたのことを知っているよ。 死んだ者のことは心配しなくていい。 地上の世界は一瞬なんだから。 あんたがアフリカに行くことは良いことだよ。 がんばるんだね」。 そして 『お金がいるだろう』と言ってサイフを取り出し、そこに入っているお金を全部くださったのです。 私は 『御父様、 タンザニアの地をありがとうございました。 生きて御旨を果たせなくて申し訳ございません。 これからは私を通してがんばりますから」。 それは言おう言おうと準備していたのではなく、何かしら言わされたという感じでした。 真の御父様も涙ぐんでおられるようでした。」 (抜粋、 『ファミリー』 1983年11月号)
《1990年 ソ連と東欧圏政治指導者招請晩餐》
真の父母経p908
19 お父様は、ソ連のゴルバチョフと偶然に会ったのではありません。会わざるを得ないようにして、会ったのです。その夫人にまで会い、その指揮下にいる重要な 人々にすべて会ってきました。十二年前からそれを計画しました。彼らは、ソ連の衛星国家を啓蒙した人がお父様であることを知っています。ソ連の共産主義 が、お父様によって今そのようになったことを、すべて知っているのです。
一九八八年にゴルバチョフがアメリカに来た時、国会で演説することになっていたのを、誰がさせなかったのですか。お父様が背後で「ワシントン・タイ ムズ」を通してさせなかったのです。二年前にそのようにしたのですが、その人が、お父様を自分の奥の間まで親切に案内せざるを得ないことを理解したので す。
今やお父様が黙っていても、ソ連はお父様に付いてこざるを得ません。それで、ソ連政府の重要な幹部二百人をアメリカに連れてきて、教育することを計画してきました。有名な教授たち、経済学の博士たちを連れてきてプログラムを組み、教育することを約束してきたのです。
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