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統一運動《8/29 今日は何があった?》

1966年全国父兄研修会 👇
1983年真の父母様、龍山区漢南洞に公館移転 👇
1991年還故郷総動員宣布、統一グループ指導者特別集会、世界日報社国際研修院 👇

2002年天地父母統一安着生活圏日本大会 東京
2009年「日韓米 拉致監禁解放のための特別集会」(教会本部)

《1966年全国父兄研修会》
日本統一運動史(光言社)p235

 1966年8月29日から9月1日まで、 箱根のホテルに180名の父兄が集まり、 全国父兄研修会が開かれました。

《1983年真の父母様、龍山区漢南洞に公館移転》

漢南洞の公館へ移転(一九八三・八・二九)

漢南洞公館購入(ソウル市龍山区漢南洞一~九)

 世界の人々が献金して三清洞に三十九億ウォンで公館を買いましたが、私がそこに住んでみると、その場所がとても良いのです。「青瓦豪よりも良い」と誰かが言いましたか。それを大統領が使わなければならないということで譲ってあげました。そのお金で全斗煥の基盤を築いてあげたのです。国のことを思って助けてあげたのです。
 このような人(全斗煥氏)は、この世的に見れば怨讐ではありますが、政権を安定させてあげました。勝共連合を通じて第五共和国(注:全斗煥政権)を安定させてあげたのです。家を売ったお金で第五共和国の土台を固めてあげたのです。国を助けてあげなければならないのでしょう! その時は橋を渡らなければなりません。冒険をしなければなりません。
 この漢南洞の家はいつ買いましたか。それ以前には青坡洞に住んでいました。新門跡の家も私が買いましたか。「祝福記念として買おう」と言って自分たちで買ったのでしょう? ですから、これは私の家ですか。これは私が買った家ではありません。私が買おうとしたのではありません。私が黙っていても誰かが買おうとしたのです。「買ってあげます」と言う人々が買ったのです。私がここに見物に来たところ、引き込まれてしまったのです。(笑い)本当です。何かの拍子で見物に来てみると、既にこれが買われていたのです。誰が買ったのか、その歴史を話せば特別な事実がたくさんあります。統一教会の群れがどうしてそのようになっているのでしょうか。より愛する人がより価値のある所にいることを万宇宙が願うからであり、それは万民の要求する共通心理だからです。
 漢南洞の家が少し大きいからといって、それは私のために買ったのではありません。かわいそうな統一教会の教会員に「何百名集まれ!」と言えば、番人がいることも知らず私の顔を見るためにどかどかと入ってくるのです。ですから、そのような良い家を少し見学させてあげたいのです。すべて教育のためにつくったのであって、私のような人は同じ所に座ったままでも生活し、立つたままでも夜を明かして生活する人なのです。ゆえに、家が問題ではありません。すべて団体のためにそのようにするのです。

漢南洞の地は龍の頭

 漢南洞(ハンナムドン)は、一番果ての南側(ナムチョク)の園(ドンサン)という意味です。ハンは「果て」という意味になるのです。限定の「限」という字です。限南洞(ハンナムドン)です。また、意味を見れば恨多き南側です。そこを訪ねていくことがどれほど恨多きことでしょうか。
 ここは、漢南洞にある住宅としては最も高い所にある家です。ここは土地の気が強すぎて、誰もが住めるような所ではありません。ここは龍の頭のような場所です。文総裁なので、今このように持ちこたえて住んでいるのであって、普通の人であれば、一年に万人ずつ死んでいくような所です。土地の気が強いのです。そのような意味で皆さんをここに連れてきて教育するのです。国家を代表して呼ぶのです。ですから、いくら土地の気が強かろうと、私を打つことはできません。
 南側は天を象徴しているのでしょう? 北側はサタンの象徴です。これがはかり竿であれば、南側の端を少し押しただけで、北側はぱっとひっくり返るのです。大統領数人だけでも漢南洞に贈り物をいっぱいもって訪ねてきて、それに対して先生があいさつを受けたならば、どのようになるでしょうか。三人の有名な国の大統領がそのようにしてきたならば、韓国の民は回りますか、回りませんか。(回ります)。鄭鑑録に、韓国に正道令が現れれば万国から朝貢を受けるという言葉があるでしょう? 今、私が万国の朝貢を受けているではありませんか。

公館生活の心境

 私の家は漢南洞の一番高い所にあります。私が朝起きて祈祷をしていると、鳥たちが来てチュンチュンさえずりながら木に留まります。チュンチュン鳴きながら「来ましたよ!」と言ってあいさつするのですが、黙って見ていると誰も出ていってあげません。それで、金榮輝協会長の奥さんの鄭大和氏に「今からは粟でも買って蒔いてあげなさい」と言いました。とうもろこしではなく、もろこしがあるではありませんか。それがなければ大麦や小麦など、そのようなものをさっと蒔いてあげればどれほど良いでしょうか。一度つまんで食べればそれで鳥たちは満たされるのです。
 皆さんもそうです。子供たちに食べさせる米を買ってきても、そこから十分の一くらいは自分の息子、娘の肉となってくれる万物を愛する意味から、鳥の雛に食べさせて育ててあげようと思わなければなりません。
 ですから、漢南洞では鳥たちに粟を食べさせてあげるのです。「鳥の雛がたくさん来て食べるように、世界の人々が漢南洞に来て御飯をたくさん食べなさい!」と考えるのです。愛の食物というものは、大きいがらといって大きいのではなく、小さいからといって小さいのではありません。愛は、大きいものをすべて身代わりすることができるし、小さいものをすべて身代わりすることができるのです。
 先生が座る部屋で、こぢんまりした所がありません。そこに入って座っていれば、ひんやりしていて気分が合いません。しかしそこにでんと座り、いつも来る人、行く人を待っているのです。明け方からそこに行って座り、その場所を守っている人が私です。夜遅くまで守る人が私です。私がいなければ、その漢南洞の家は本当にのんびりした所になることでしょう。どのような人が来るかは分かりません。国のために、世界のために神様を迎えることができ、橋を架けることができる人を待っているのです。
 もはや待つことができなくて探しにいくのです。海を越え、山を越え、地の果てまで探しにいき、それでも会うことができなければ、そのようにすることができる人を見つけて愛し、これを広げてみようということを今までしてきたのです。ですから、神様が地上を眺めるとき、私のような人はいないと思われるのです。
 ゆえに、統一教会に入ってくれば、夢中になって気が狂うのです。「ああ、教会に行かなければ」と言って、夜明け前の三時、四時に出てきて、「東の空はいつ明けるのだろうか」と思いつつ待つような現象が起きるのです。教会に行きたくてそのようになるのです。「ひょっとすると先生に会うことができるのではないか! 会うことができればどれほど良いだろうか」と思うのです。
 しかし、会うことができなければ「漢南洞に行きたい。先生に会いたい」と思うのです。しかし、勝手に入ることはできないので、国連村の守衛が立っている場所で先生の乗った車が通るのでも見れば、千年の恨が解けるような思いになるのです。そのような思慕の心をもって見守り、先生を見れば涙がすーっと流れ、我を忘れて倒れてしまうまでにならなければなりません。そのようになってこそ真の愛がどのようなものであるかが分かるのです。

公館を警備するときの心情的姿勢

 今、漢南洞の先生の家に誰もが訪ねてくることができますか。今は保安問題のために番をする人がいて、「あなたは誰ですか」と言われるのです。その番をしている人は、先生のような人ではありません。(漢南洞を訪ねてくる人に対して)目を丸くして「何だ?」と言うのです。すべてを疑ってかかり、目をこのように見開いて眺めるのです。「こいつ、どろぼうではないか」、「共産党ではないか」、「こいつ、先生を傷つけに来たのではないか」と思うのです。
 先生の誕生日になれば、どれほど来たいと思うでしょうか。来たいでしょう? だからといって漢南洞の塀をすべて壊して、我も我もと入って来れば、人が人の上に乗って見るようになり、年寄りたちはごみ箱に入っていくことでしょう。(笑い)そうなってはいけません。ですから、仕方なくここで規範をつくって「こうしてはいけない」というものができるのです。
 しかし、食口たちが訪問する時、守衛の人がその訪問する人以上の切なる思いをもって先生を保護するために追い返すということは通じますが、そうではなく習慣的な因習をもって追い返すならば引っ掛かるのです。それは私がそうしなさいと命令したことであったとしても引っ掛かるのです。
 昔のおばあさんたちが来てそのまま涙を流して帰っていくようになった時、その涙を誰が慰労してあげるのでしょうか。慰労してあげる自信がありますか。それができなければ理解させてから帰らせる時、それ以上の慰労をしてあげてこそ彼女たちは喜んで帰ることができるのであって、そのまま背を向けてそそくさと帰るようになれば、統一教会のあなた方にとって良くありません。
 先生が育てた人たちを主人(先生)が忙しいからといってぞんざいに扱ってはなりません。先生が率いてきた人たちは、天の心情的、天情的因縁を結ぶために多くの苦難を経ながら生死の路程を越えてきた時のみ旨の基盤であると、貴く思わなければなりません。骨董品がありますが、骨董品の何が良いのですか。骨董品には隠れた価値があるということを知らなければなりません。それと同じです。
 皆さんは、おばあさんやおばさんたちが「先生にお会いしよう」と何日も斎戒沐浴しながら祈祷しているという事実を知らなければなりません。それを否定すれば、涙を流しながら「申し訳ありませんでした」と言わなければなりません。そのような心の姿勢がなければなりません。
 ですから、先生がどこに行っても、外国に行ったとしても、外国の食口たちが、先生が行ってしまうと涙を流すのも先生にそのような心があるからです。この世のいかなる責任者ももつことができず、いかなる宗教指導者ももつことができない心を知っているからです。心情を中心として常に涙の交差路を往来している男がレバレンド・ムーンであるということを知らなければなりません。ですから、統一教会を本当に知っている人は、統一教会を離れることができないのです。

《1991年還故郷総動員宣布》
真の父母経p1385

9 イエス様の氏族が一つになれなかったことを蕩減するために、皆さんに氏族メシヤ権を許して、「還故郷しなさい」と言いました。大韓民国にお父様が現れて、 数千、数万の村々に、氏族メシヤ、息子、娘を配置しました。今やイエス様の時代とは違い、メシヤが命を奪われることはありません。お父様に対する迫害時代 がすべて過ぎ去ったというのです。
 アダムとエバが父母の位置で責任を果たすことができないことによって歴史的な罪状が広がり、万民を塗炭の苦しみの中に陥れて地獄に行かせ、死の中に落としました。
 彼らを解放するのも、父母の責任です。父母が彼らを解放してあげるのですが、そのすべての恵沢は、無償です。しかし、受け取るときは、無償で受け取 ることができません。ただでは越えていけないのです。サタンが生きているというのです。サタンが讒訴する条件をもっていては、この時代を越えていけませ ん。ですから、皆さんは、サタンの讒訴を受けないように、とん底からあの頂上まで上かつていきなさいというのです。皆さんの一族を中心として、村からその ようにしなさいということです。

10 故郷に帰っていくときには、アダムが堕落しなかったという条件を受け継がなければなりません。そのようにして、故郷に帰っていかなければなりません。アダ ムは堕落した愛を中心としてあらゆるものを失い、落ちていきました。しかし、今は、神様のみ旨を中心として、真の父母との縁に従う、祝福された家庭がいま す。ですから、皆さんの位置は、堕落の家庭を出発したアダムとエバの位置とは違います。
 アダムが堕落した位置は長成期完成級ですが、今、祝福を受けている家庭は、復帰時代に父母様を中心として完成期完成級を越えることのできる段階に 入ってきました。そのような位置に立っているので、サタン圏の家庭から讒訴される何の内容もありません。そのような位置から抜け出したというのです。
 ですから、皆さんは家庭を率いて父母様に侍り、還故郷しなければなりません。イスラエル民族がモーセに従って還故郷したのと同様に、皆さんも父母様に従い、父母様の名によって故郷に帰りなさいというのです。
 皆さんが故郷に帰る基準は、堕落したアダムの基準である長成期完成級ではなく、完成期完成級の基準です。そのような条件的な立場で、故郷に帰るので す。実体ではありません。そのような実体を復帰しようとするので、今も私たちには、分かれた南北を一つにしなければならない道が残っています。そのように しようとすれば、皆さんが韓国の故郷を中心として、今まで外部に出ていって迫害されていたことの三倍以上、涙と血と汗を流して精誠を尽くさなければなりま せん。そのようになるとき、サタン世界は自動的に後退するようになるのです。

11 還故郷をして、何をしなければならないのでしょうか。統一教会員たちは、イエス様の解怨成就をしなければなりません。歴史時代のすべてのものを解怨成就し なければならないのです。イエス様の解怨成就をしなければならず、お父様の解怨成就をしなければなりません。
 お父様は、自分の一族を抱いて愛することができませんでした。三十三年間、父母と親族、妻子を捨てて、外国の人を愛そうとしたのであって、自分の父母と自分の一族、妻子を抱えて愛する時代をもつことができなかったのです。
 皆さんは、お父様に従ってきた位置で祝福を受けました。ですから、お父様の若い時代の氏族的版図を受け継ぐことができる立場に立ったということを知 らなければなりません。私が皆さんより、一歩前で国家的基準に立ったとすれば、皆さんは氏族的基準に立つのです。私が国家的基準で大韓民国を訪ねてきた立 場なので、皆さんは氏族的位置に立ったのと同じです。

12 一九九一年九月一日、統一教会の全祝福家庭に還故郷を命令しました。祝福家庭は、父母様が愛する人たちです。かわいそうな人たちであることを私は知ってい ます。彼らを助けてあげることができず、荷物をまとめさせて避難民のように追い立てたのです。「還故郷しなさい」と言いました。
 還故郷しなければ、母を解放することができず、姉を解放することができず、妹を解放することができません。その人たちのために還故郷しなければなら ないのです。そうすることによって、皆さんが母、姉、妹を中心として進めば、太平王宮の基盤ができるのです。それを中心として、氏族メシヤという勝利の王 権基地が設ーされます。この準備をするためなのです。

13 今からは、国を訪ねていくことができる還故郷の時代になります。それで還故郷を発表したのですが、それが父母様の場合は還国です。ですから、今から運勢が どのようになるかというと、南北が回っていくのです。それで、時が忙しくなります。
 それでは、どこで福を受けるのでしょうか。今、訪ねてくる世界的な運勢を、個人と家庭が受けると同時に、それを自分の氏族に分けてあげなければなりません。それが還故郷です。
 今まで、韓国に来る世界の運勢を、摂理のみ旨とともに、祝福を受けた家庭を中心として一族に分けてあげるのです。ですから、氏族メシヤは、横的に見れば、I穌生、長成、完成、アダム時代、イエス時代、再臨時代を象徴的に意味する三数を経るのです。
 この氏族メシヤが故郷に行き、自分の父母を復帰しなければなりません。自分の父母が今まで統一教会に反対することによって、歴史に罪を犯し、神様を知らなかったのですが、これからは一緒に行かなければならないのです。
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