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統一運動《6/7 今日は何があった?》

1975年 救国世界大会、ソウル、汝矣島広場 👇
1993年アラスカ女性修錬会 👇
1995年 「真の家庭と私」中南米17か国巡回講演 ブラジル、ブラジリア
1997年「鳥取教会襲撃事件」が起こる。👇
1999年「第7次霊人祝福式」(韓国、清平修錬院)
1999年史吉子先生を中心とする「チャート式原理講師養成研修会」がスタート
2001年「国際指導者セミナー」(~8,主催:IIFWP、タイ、バンコク)
2006年「アジア太平洋島嶼国家サミット」(~6/9 台湾)

《1975年 救国世界大会》
日本統一運動史(光言社)P366


 1975年3月下旬、 日本メンバーを含む600名の IOWCメンバーが訪韓。全国でフェスティバルがなされ、6月7日にヨイド広場で120万名を集めての大会が行われました。
◇ IOWC 金チームの篠木サヨさんの証し
 「韓国に行って、ウェスタンの兄弟との一体化の問題が、日本でのそれ以上に、もっと深く追及されました。 ・・・ 韓国の兄弟もわかってあげなくてはいけない、 日本の兄弟が真ん中に入って取り持たねばならない、そんな自分だったのです。・・・フェスティバルの最後の地で私がウェスタンと一体化するために何かあるなら教えて下さいと、真剣に祈りました。 すると翌日の夜、 中心者から 「あなたは、 これから洗濯係をしなさい」 と言われたのです。 ・・・かなりのハードワークです。・・・ホテルの湯舟につけて全部手で洗うのです。 •・・ウェスタンの洗濯係の姉妹がこう、話してくれました。 ・・・ 『お母さんなのだから、あなたにとって兄弟は子供なんだ』と。 兄弟はたしかに、 よく汚すのです。でも、それは御旨のために一生懸命働いて汚すのだと思った時、 洗濯しながら涙が出るのです。 普通なら、この年齢だと、 自分の遊ぶことや、 自分の将来のためにお金を使ったりするのに、・・・神様のために汚したのをきれいにしてあげたいと思うと、今までウェスタンと一体化できないというものがあったのが、一遍に吹き飛んでしまったのです。
 兄弟を見ると、とても慕わしいし、一日出かけて帰って来たのを見ると、ほんとにかわいいという心情になれたのが嬉しいことでした。」
(『聖徒』 1975年7月号より)

真の父母経p663

救国世界大会

 韓国の歴史上、類例を見いだせないほど大規模な勝共大会である救国世界大会が、一九七五年六月七日、六十カ国から来た千人以上の代表をはじめ、全国各地から百二十万人がソウルの汝矣島広場に詰めかける中で開催された。真のお父様は、「世界の中の韓国」というテーマで講演された。特に、世界各国の代表が、信仰の祖国であり、聖域である韓半島を保護するために国際義勇軍を編成し、有事の際には参戦することを宣言するなど、救国の喊声と熱気が天をつく大会となった。

8 国際(伝道)機動隊がアメリカから日本を経由して韓国を訪れたのですが、摂理的な流れがそのようになっているので、そのような作戦をするのです。復帰時代なので、お父様がアメリカに行って旋風を巻き起こしたそのすべてのものが、日本を経て韓国にまで入ってこなければなりません。そのように、世界的な第一次霊的世界イスラエル圏と第二次キリスト教イスラエル圏を、肉的な第三次世界的イスラエル圏に結びつけなければ、第三次国家的イスラエル圏が第三次世界的イスラエル圏に発展することはできません。これは、摂理上における必然的な帰結であり、歴史的な帰趨です。

9 韓国は、摂理史的な立場から見るとき、総合文明圏を形成して統一しなければならない使命が残っています。兄弟同士では一つになれません。父母が来てこそ、統一することができます。兄弟たちが争うのを、韓国が「統一思想」によって統一できるというのです。このようになることにより、神様を中心とした理想的な祖国が創建されます。そこから世界は、初めて平和の世界、一つの世界、統一の世界、勝利の世界に収拾されていくでしょう。そうして、地上に天国を形成すると同時に、神様と一致しなければなりません。天上天国の主体であられる神様を地上にお迎えし、統一された一つの天国を形成しなければなりません。これが、統一信徒たちが果たすべき使命です。そのような基盤のもとで、初めて父母と子女が一つになることにより、平和の天国生活が始まるでしょう。「希望の日」フェスティバルを勝利に導いたので、汝矣島での救国世界大会も勝利に導かなければなりません。ここで勝利した内容と材料をもって、日本とアメリカと自由世界に影響を及ぼさなければなりません。この大会は、霊界が総結集し、世界の人が総結集して、未来において私たちの子孫が希望の基盤として眺めながら、祝福を待ち望む大会にならなければなりません。ですから、神様の解怨成就、人類兄弟の解怨成就、今後の希望的な後代の解怨成就をすべて完結できる大会が、正に救国世界大会なのです。

10 一九七五年四月一日から全国九カ都市で「希望の日」フェスティバルをすることによって、統一教会と統一教会の人々が表に出たので、キリスト教ではそれを憎むのです。霊界から啓示を受けた人が、「今回、統一教会に負ければ、キリスト教は終わりだ」と言ったというのです。「ひたすらがむしゃらに闘って統一教会を滅ぼさなければならない」と言いながら、ありとあらゆることをしましたが、私たちは滅びませんでした。完全に圧倒してしまったのです。蘇生の釜山から長成の大邱、完成のソウル、そして、仁川を経て全州、光州、このように九つの都市に付いて回りながら反対しました。とにかく、彼らは、もはや思い残すことはないでしょう。

 そして、六月七日、汝矣島広場の救国世界大会の時には、「雨よ、降れ」と祈り、「雨が降らないなら、その代わり、反対に太陽が燦々と照りつけるようにしてほしい」と祈ったというのです。このような闘いをして、結局、統一教会が表に出たというのです。そうして、個人として現れ、家庭として現れ、私たち全体として現れ、その次に民族として現れなければなりません。

11 統一教会自体で見れば、汝矣島広場の救国世界大会は一つの冒険です。大きな冒険です。その広場を満たすというのは冒険ですが、私たちがこのような大掛かりなことを行うのは、この時代の運勢に合わせることになるのです。神様の摂理から見るとき、この時がどのような時かが分かるので、この時代に合わせて、このような大会をしなければなりません。

 今、韓国は全世界が注目する情勢に直面しています。韓国の動きは、韓国自体だけでなく、全世界に影響を及ぼすことができる段階に入ってきました。韓国が直面していること自体を見れば、民主世界が勝利へと進む道を模索するか、もしくは共産世界が勝利する道が形成されるかという、分かれ道に立っているのです。

 ここで、誰が道案内をするかが問題になります。誰が先に、ここで天運に合わせられる旗手の使命を果たすのでしょうか。民主世界が勝利するためにも、ある動機となる個人なら個人、団体なら団体、国家なら国家が存在しなければなりません。

 歴史は、個人を中心としたり、団体を中心としたり、あるいは国家を中心とするなどして、必ず新しい次元に転換されて発展していくのです。このような緊迫した実情において、もちろん大韓民国が天の運勢に合わせようとしなければなりません。しかし、大韓民国自体は、天がどのようにして、大韓民国を通して世界に行こうとしているのかが分かりません。

 ですから、ひとえに、これを知っている、宗教を代表したある団体が責任をもたなければならないというのです。その宗教団体の中でも、統一教会がそのような旗手の使命を果たさなければなりません。このような責任を統一教会が果たそうといって進み出たのが、ソウルの汝矣島における救国世界大会です。

平和経p1151
世界の中の韓国https://cafe.daum.net/ckatkfkdrhdqn/V1yi/132?svc=cafeapi

《1993年アラスカ女性修錬会》
日本統一運動史(光言社)p472

 「アメリカにいる祝福家庭はアベル家庭として、 世界の各家庭、長子家庭を消化して自動屈伏させて、 主流の家庭の方向へよみがえらせてあげなければ、このアメリカは復興できません。 生きる道がありません。そういうこともしないで、 日本人同士で生活していては、アメリカは救えません。 ですから今、君たちを再教育しなければ、 日本の伝統を越えることができません。日本人という前に、統一人であることを忘れてはなりません。」 (1993.4.16)

《1997年「鳥取教会襲撃事件」》

「死にかかっているゴキブリ」と牧師が侮辱
 私は鳥取教会襲撃事件の被害者で、この事件の際、拉致されて約1年3ヶ月に亘って監禁された者です。私は1966年4月15日、父、母の元に生まれ、兄妹は2才年下の弟と3才年下の妹がいます。統一教会には1988年10月に大阪で入会し、その後1990年3月に一旦辞めましたが、1992年11月に鳥取にて再度入会しました。以下、米子での第1回目の監禁も含めて、事件の経緯について簡単に記述します。
https://kidnapping.jp/injured-party/statement_t.html

鳥取教会襲撃・拉致監禁事件の裁判

Gasshi channel_がっしーチャンネル
https://youtube.com/watch?v=Gsk2RfVYSPk

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