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統一運動《10/4 今日は何があった?》
1955年 真のお父様、西大門刑務所から無罪で釈放(以南出監日)
1956年 韓国語版「聖歌」初版 発刊
1963年 韓国、「世界基督教統一神霊協会」、財団法人認可
1965年真のお父様、東京都内巡回
1976年 「天勝日」宣布、ベルベディア
1982年 第5回「世界言論人会議」、ソウル、ロッテ・ホテル
1992年 「世界平和女性連合」在日同胞大会 東京
1993年 真のお母様 韓国、全国40大学巡回講演 檀国大学
1996年 「世界平和統一家庭連合」185か国結成南米大会 ニカラグア、マナグア、国会議事堂
2005年 「天宙平和連合」創設記念韓国大会 慶南圏、昌原室内体育館
2006年 天宙平和祖国郷土天地還元勝利釈放40ヵ国世界巡回大会 ブアジル、サンパウロ、ルネサンス・ホテル
《1955年 真のお父様、西大門刑務所から無罪で釈放》
真の父母経p778
無罪で終結した「七・四事件」
一九五五年十月四日、真のお父様は、ソウル地方裁判所で無罪判決を受け、釈放された。食口たち は、喜びと感激で真のお父様を迎え、三日後、奨忠洞(チャンチュンドン)から青坡洞(チョンパド ン)へ教会を移転し、十日に出獄歓迎会を行った。真のお父様は、平壌で自ら作詞された「聖励の新 歌」を歌われ、新たな決意をされた。
1 一九五五年、梨花女子大事件などによって、国家全体が騒ぎ立て、私を捕まえて監獄に入れよう としました。李承晩政権を中心として、そのようなことをしたのです。罪を暴こうとしたところで、 私には罪がありませんでした。あらゆるひどいぬれぎぬを着せようとしましたが、罪として引っ掛かるものはなかったのです。 その時は、北朝鮮から下ってきたので、頭を刈っていて、私が軍隊に入隊しようとすると、人民軍 ではないかと疑われ、調査の結果、軍隊に入れなかったのです。ですから、軍隊に行きませんでした。 環境のためにそのようになったので、罪には引っ掛かりません。ですから、無罪で釈放されたのです。 その事実を、キリスト教徒たちは全く知りません。その時、今のように宣布していればよかったの ですが、そのような時ではありませんでした。私が行く道には、世界的基準を中心として背負うべき 十字架があります。
個人的十字架の道で敗者にならず、勝者になったといって、誇ってはいけません。その個人的勝利 基盤の上に、家庭的十字架が訪れてくることを忘れてはいけません。
2 お父様が監獄に入ったことは、新聞に特筆大書してうわさを立てておきながら、無罪で釈放され たことは、とても小さな一段の記事を書きました。(それで)今までそのことを知っている人がいなか ったのです。その時、監獄から出てきて闘っていれば、どれほど格好が良かったでしょうか。(しか し、)闘わないことによって、根まで引き抜いてしまったのです。
歴史上でお父様に反対した人は、根まで引き抜かれます。(彼らの)子女たちは、自分の父母が正し い牧師であり、正しい忠臣だと思っていたのに、実は逆賊の立場にいたことを知るようになるでしょ う。(自分の)父母が、天の道理を尽くした天地の大父母(真の父母)に反対した逆賊の立場にいたこ とが分かった時、その子女が、父母の墓を掘り起こす日が来るでしょう。うやむやにする話ではあり ません。
3 自由党政権の時代に、五大長官(大臣)が私をたたき潰そうとしました。当時、文教部、内務部、 外務部など五つの政府機関に、李承晩博士が特命を下し、「統一教会をなくしてしまえ」と通告したの です。調査したところで、何があるでしょうか。自分たちがうわさをすべてでっち上げたのです。白 白(ペクペク)教の教主の話をしながら、ぬれぎぬを着せておいて探ったのですが、何の罪状も見つ かりませんでした。裁判をしても何もないので、約九十日後に出てきたのです。
当時、世の中はみな、(私のことを)罪人だと思っていました。私は世界でも、そのことで罵られな がら歩んできました。それでも、なぜ四十年間、黙っていたのでしょうか。打たれて奪ってくるので す。最も悪い人だと思って私をたたき潰そうとしてきても、「あなたたちのほうが滅びる。私を一度打 ってみなさい。打てば自分たちが窮地に追い込まれ、木っ端みじんになるだろう」と考えながら歩ん できました。私は何も間違っていません。
4 一九五四年に、統一教会という看板を掛けて出発するようになりました。その時もやはり、韓国 において国家的な反対が起こりました。全体が反対しました。監獄に入る事件が起きたのです。 三年間は、常に蕩減をしなければなりません。原理がそのようになっています。蕩減復帰がそのよ うになっています。間違いなく、公式は公式どおりに適用されていくのです。当時、大韓民国がお父 様をたたいて踏み潰そうとし、キリスト教と政府が一つになって、ありとあらゆることをして葬り去 ろうとしました。しかし、公判廷で無罪の判決を受けて釈放されることによって、統一教会は存続で きたのです。
5 無罪で釈放とは何でしょうか。無罪で釈放されたならば、大韓民国が私に補償しなければなりま せん。大韓民国は有罪だと宣布し、お父様は無罪だと言うのです。神様の法から見ると、「罪のない人 に苦労をさせたとすれば、大韓民国、お前は有罪である。そして、文先生は無罪だということが分か らないのか」と、このようになるのです。
大韓民国で反対する核心要員はキリスト教徒です。キリスト教徒は、神様を信じる群れでしょうか、 神様に反対する群れでしょうか。「家の者が、その人の敵となるであろう」(マタイ一○・三六)とい う聖書の聖句が成就しなければなりません。キリスト教が罪を犯してしまったというのです。罪を犯 した人をかばう人は、関係者となり、その犯罪の共犯者になります。ですから、大韓民国が滅び、キ リスト教が滅びることはあっても、お父様は滅びないのです。
真の御父母様の生涯路程 3 より
言葉よりも事実が必要であり、弁解よりも実績が必要だというのです。結果は森厳なものであり、冷徹なものです。正しければ正しいものとして帰結するのであり、悪ければ悪いものとして帰結するのです。勝利は、勝利として帰結するのです。刑務所に入っていく時、私は恥ずかしいと思って入ったのではなく、堂、として入っていったのです。しかし出てくる時に「こいつら! 私が力をつけたら覚えておけ、全部復讐してやる」というような祈祷はしなかったのです。「父よ! 笑って訪ねてくることができるようにしてください」と祈祷したのです。それが、天の行く道です。そのような道を行く人は、天がいつも保護されるのです。
以南出監日と百日記念期間(一九五五 七・四~一〇・一四)
統一食口ならば、十月四日は深刻に思わなければならない日です。韓民族が統一教会をなくすために迫害の旗を掲げて現れ、追って追って突き剌して、死の道に追い詰められた立場から、解放された日です。
み旨を知っている人たち、特にその中でもみ旨を知った若い人たちは、地にひざまずき、痛哭しながら記念しなければならない意味の深い日です。
きょうは光明の新しい朝です。解放の新しい朝であった十月四日なので、きょうは天気が良いようですね。
十月という月は、我々統一教会においては解放の月であり、祝福の月であるということを歴史が証しています。きょうは十月四日です。人は歴史を知らなければなりません。このような日を過ごすたびに先生はいつも、自分の目的としたとおりに成してきているのか、そうでないのかを反省します。
先生は、「七月四日から十月十四日まで、百日祈祷をしなさい」と言いました。「先生の獄中での祈祷をもって、祈祷しなさい」と言ったのです。心情的な面で、神様の同志になることを願う意味で、そう言ったのです。神様の同志になることができる条件をつくってあげるために、そう言ったのです。
「十月十四日まで、百日間を監獄で服役するように、生活しなさい」ということは、十月四日の西大門刑務所出監日と、十月十四日の興南監獄出監日を特別に記念するためです。
《1956年 韓国語版「聖歌」初版 発刊》
真の父母経p421
聖歌の起源と意味
聖歌には、真の父母様の苦難と勝利の歴史が余すことなく含まれている。特に、真の父母様は、瞑想と深い祈りを通して多くの聖歌を作られ、神様に賛美と栄光をお返しして、食口たちが歌うことができるようにされた。真のお父様は、一九四六年八月十一日、平壌の大同保安署で苦難に遭われ、約百日後の十一月二十一日、瀕死の状態で釈放され、一九四七年の初め、食口たちを集めて集会をされながら、「勝利者の新歌」を作られた。これが最初の聖歌であった。そして、一九五〇年十月十四日、興南監獄から出て自由の身になられ、二十数日後の十一月初め、平壌で「聖励の新歌」と「栄光の賜物」を作詞された。「聖励の新歌」(の韓国語の歌詞)には、「新」という接頭語が十三回も出てくるほど、新たな出発の決意に満ちあふれており、「栄光の賜物」には、新しい世界と新しい歴史の建設に対する感激と希望が躍動している。真のお父様は、一九五一年、釜山避難時代にポムネッコルの土塀のまで「悩める心に」を、一九五三年、水晶洞(スヂョンドン)の三番目の家で「復帰の園」、「聖苑のめぐみ」を、一九五九年二月十七日、第一回全国伝道師修練会の参加者のために「朝日に輝く」を、一九六一年、全国四十日伝道に派遣された食口を激励するために「統一勇士の歌」を作詞された。特に、「悩める心に」には、釜山避難時代にサタンの勢力から挑戦を受け、追われる生活の姿と、罪人の立場を抜け出して救いの道に向かう聖徒たちの心情が、とても切実に表現されている。「復帰の園」にも、釜山の水晶洞教会時代、あらゆる困難の中でもあとに引くことができなかった真のお父様の、復帰路程に対する覚悟と決意が深く込められている。そして、「聖苑のめぐみ」には、神様に対して常に喜びの心をもって賛美し、栄光をお返ししながら、大きな恵みに報いようという覚悟が込められている。聖歌には、食口たちが作詞した歌と、外部の歌だが、食口たちが好んで歌ってきたものがある。食口たちが作ったものとしては、「我は行く」、「苦難と生命」、「東の勇士」、「わが身の十字架」、「誓い」、「宴のとき」、「栄光の日」、「成和勇士の歌」、「我は供物」、「輝く御国」、「復帰の心情」、「成和青年歌」、「日曜学校こどもの歌」、「成し遂げよう」、「光は東より」、「すべて捧げて」、「一つに集え」、「われら統一勇士」、「新エデンの歌」、「主は来たる」、「農園の歌」、「主はわがすべて」がある。そして、外部の人士たちが作った歌として聖歌に編入されたものは、「園の歌」、「召されし身」、「わが仔羊」、「嘆きを吹きとばせ」、「主の道」、「捜し出された羊」、「心には願えど」、「園の春」がある。一九五六年十月四日、真のお父様と食口たちが作詞した曲を集め、『聖歌』の初版が発行された。
1 統一教会の聖歌の中で、「統一勇士の歌」の内容は、第一が心情です。一番は、「心情の因縁で世界は生き」で始まります。真理の因縁で世界が生きるのではありません。人が生きていくのは、生命の源泉である愛によってです。神様の愛によって、生きていくのです。真理は道しるべです。実体と関係を結ぶための橋と同じであり、心情を伝達するための中間形態です。「心情の因縁で世界は生き」というときの心情は、神様の心情です。
この心情は、神様が今に至るまで堕落したこの世界に対して抱いている、蕩減復帰すべき恨の心情ではなく、解怨しようとする心情です。神様の恨を解いてさしあげようとすれば、まず神様の恨とは何かを知らなければなりません。神様の恨は、御自身が真実に愛し得る個人を探し出せなかったことであり、家庭を探し出せなかったことであり、氏族、民族、国家、世界、天宙を探し出せなかったことです。
2 神様の第一の願いとは何でしょうか。神様が探し出そうとされた個体が恨の条件に引っ掛かっているので、「私によって生じたすべての恨の条件を、私が解きますので、受け取ってください」と言ゐる個体としての解怨が成就されなければなりません。そうして、家庭が解怨成就され、氏族、民族、国家、世界が解怨成就されることが、神様の願いです。
しかし、一つに結んでくださった神様の心情に通じなければ、絶対に一つになれません。人間の権力ではできません。神様の心情から見るとき、世界は一つです。「一つに結ばる本然(もと)の縁」が、本来の私たちの関係です。堕落したこの世界の関係は、私たちの関係ではありません。一つに結んでくださったこの心情が、本来の関係なのです。
その次に、「永遠に授受するわれらの故郷」です。本然の縁によって一つに結ばれることにより、永遠に与え合うようになります。本然の心情を中心として永遠に与え合う、そこにおいて初めて、私たちの本郷が広がるのです。その次に、初めて「幸福」という言葉が出てきます。
3 復帰の心情をもって進む民族は、韓民族です。全世界に光を照らしてあげるので、全世界がその光の中で兄弟になり、願われた善の父母に永遠に侍るのです。そうして、必ずや一つの世界を成し遂げるようになります。「統一勇士の歌」の一番は、心情です。心情の因縁によって、永遠に与え合う私たちの本郷は、すべての人間が暮らす所です。本郷が良いというのは、父母と家族がみないるからです。ここで重要なのは心情です。すべての幸福の道を築いておいた所が、私たちの本郷、幸福の基地です。
二番は、人格です。無限の(愛の)人格によって光を放つ人でなければならないのですが、堕落した人間は、これを失ってしまいました。人格によって光を放つのは、無限だというのです。無限の(愛の)人格によって光を放ち、造られた万物の栄光の灯台にならなければなりません。そうして、生命が湧き立つ本然の姿にならなければなりません。これが、人間の価値の主体になるのです。ですから、それ自体が永遠に、万世に希望の価値として花を咲かせるのです。永遠の万世に希望の価値をもった存在として、全宇宙に花を咲かせる人になるのです。
三番は、真理の世界です。「秩序の基に真実を立て」の「秩序」とは、真理の世界を意味します。真理による秩序の基の上に、「真実」を立てなければなりません。それは、人類が必要とする「真実」を立てるためです。「真実」とは、永遠を約束するものです。永遠を約束する不変の価値、高く立てられる真理の標柱です。このような標柱をもった人は、変わらない価値をもった人です。揚々たる善なる日を美しく飾るのです。永遠に伸びていく善なる一日一日を美しく飾るというのです。
四番は、「東方(あずま)に明ける輝く文化、全ての民は同胞(はらから)と、願いし善き父母永遠(とわ)に侍り、誓いて成さん一つの世界」です。このように見るとき、心情によって人格をつくりあげるのですが、人格をつくりあげようとすれば真理がなければならないということです。その次に、一つの世界に栄光が臨むようになるのです。皆さんはそのような栄光を得るために、これから進まなければなりません。
4 「勝利者の新歌」は、私が作ったものです。この歌の四番に、「創りし主のみ旨」が出てきます。このみ旨を出発しながらつくった昔の歴史が、きょう、花を咲かせた現場、新しい天国の名前を代表する天一国の広場を前に、最初の年、最初の朝の集まりでこの歌詞を聞きながら、本当に感慨深かったのです。その夢は、偽物の夢ではなく(神様の夢であり)、神様の代わりに(私が)夢見たものだったので、間違いなく成し遂げられるというのです。
5 「栄光の賜物」というときは、栄光の言葉よりも、苦労した話が先に出てきます。苦労が、すべてのものを支える土台になっていることを知っているからです。地上世界と天上世界が一つになるようにしようとしたので、「迎えん」という言葉を繰り返しました。そのように生きた人は、涙なくして向き合うことができません。
監獄から出てきて作ったのです。東方に寂しく来て、西方に行けば、福が来ると思ったのですが、反対を受けました。願いに願ったあらゆることをすべてしてみました。すべて、徒労だというのです。私一人で行かなければなりません。アメリカと国連までも救う道を行かなければならないと思い、今、ここに入ってきて、忙しくそのことを清算するのです。
6 興南監獄から出てきて、平壌で食口たちを収拾するとき、私が精誠を尽くしながら作った歌が、「栄光の賜物」です。その歌を聞けば、その時の状況がどのようなもので、お父様の立場がどのようなものであるかが、よく描かれています。
そのような過程を経てみてこそ、その歌が自分の歌になるのです。そのように生きなければなりません。他人の歌ではありません。「私」の歌であると同時に、私の家庭の歌であり、私の家庭の歌以上に私の一族の歌であり、私の国の歌であり、私の世界の歌だというのです。
そのような過程を経てこそ、永遠のあの国(霊界)に行き、父母様に侍って一緒に喜び、幸福を享受できる解放された王子、王女になることができます。皆さんは、そのような過程を経なければなりません。
7 「園の歌」を歌いながら酔いしれ、涙を流し、「壁も私の友達だ」と言いながら暮らした頃が懐かしいときが多くあります。この「園の歌」とは、夫と妻の夫婦で暮らすその園、そのような環境のことです。そのように生きなければなりません。お互いが主になり、主の相対になって、すべてが喜び得る花が咲いたので、香りが漂わなければならず、蝶と蜂が和動しなければなりません。千種類のものが和合し、和動しなければならないというのです。町内に住みながら、関心を残せる夫婦になれなければ、その町内で負債を負うのです。
8 統一教会員は、「園の歌」の歌声が聞こえれば、いくら遠くにいても、みな喜びます。その歌声がする所に行ってみたくなるのです。そこに行って一緒に歌えば、良かったり悪かったりという喜怒哀楽が同伴するようになります。言葉というのは有り難いものであり、言葉の中でもさらに有り難いものが、歌です。
《1965年真のお父様、東京都内巡回》
日本統一運動史(光言社)p225
1965年10月4日、真の御父様御一行は東京都内を巡回されました。そして夜11時45分から午前3時まで学生ホールで御言を語られました。
《1976年 「天勝日」宣布》
真の父母経p680
「天勝日」と「地勝日(天地勝利の日)」宣布
真の父母様は、一九七六年十月四日、アメリカ、ニューヨークのベルベディア修練所において、ワシントン大会の勝利記念集会をもたれ、この日を「天勝日」と宣布された。ワシントン大会を通して、霊肉を中心とした世界史的勝利基盤が整ったことを宣布されたのである。そして、真の父母様は、一九七七年二月二十一日、ニューヨークの世界宣教本部において、十一カ国七十四双の祝福結婚式を主宰された。続いて、二月二十三日、真の父母様の御聖誕日に新しい時代の宣布と「地勝目」を制定、宣布されたのである。
28 私は新しい時代、新しい真理を宣布するために、アメリカに来ました。人々が私を受け入れようと受け入れまいと、それを宣布することが、神様から与えられた義務です。それは、神様が私に現れ、「アメリカに行って真理を伝えなさい」と語られたからです。アメリカでの巡回講演を通して、私はこの宣布の任務を多少なりとも完遂しました。「希望の日」フェスティバルを行った期間に、五十州を歴訪しました。それは。一般的な概念の伝道集会だということだけではありませんでした。それは、神様の摂理であり、霊的な面でも、大きな意味があります。霊界についてどれほど洞察し、理解しているか分かりませんが、統一教会の運動では、その世界があまりにもはっきりとしています。統一教会の運動は、横的な運動だけでなく、神様との縦的な運動でもあります。統一教会が行うすべての活動は霊界に反映され、また、霊界の出来事は私たちを通して反映されるとともに、この二つの世界が共に働くのが、私たちの運動の特徴です。横的な見解からすれば、私たちの活動は、恐らく意味がないでしょう。時には、時間と財力と精力を浪費しているように見えるかもしれません。しかし、時として、私たちが地上で行うことが、霊界を助けることになります。また、聖霊が地球上に満ちあふれるようにするための条件を造成しているのです。
アメリカのキリスト教と宗教団体は、一般的に、世俗的な考え方に傾いており、世俗的な文化に汚染され、斜陽の一途をたどっています。しかし、統一教会は違います。私たちは、統一教会の運動の中で、いかなる精神的退歩も感じません。私たちは開拓者であり、私たちの意志は活火山のようです。私がワシントン大会以降に行った様々な演説の中で、「全霊界が協力する時が正に今である」と語ったことを、皆さんは聞いたでしょう。霊界は、私たちの運動に協力する準備ができています。
私はワシントン大会ののち、一九七六年十月四日を「天勝日」として宣布しました。これを契機に、新しい時代が幕を開け、霊界では宗教間の障壁が、事実上、崩壊しました。実際に、霊たちが地上世界を協助しています。このような現象は、様々な様相を呈しながら起こっているのです。
29 今まで霊界は、すべて塀で塞がっていました。仏教を信じていた人は仏教圏に入り、儒教を信じていた人は儒教圏に入り、キリスト教を信じていた人はキリスト教圏に入り、イスラームを信じていた人はイスラーム圏に入るのです。このように、宗教ごとの系列に分かれた霊界になっていました。そうして、世界的な一時、すなわちメシヤが来る時まで自分の宗教のために準備をするので、塀を積み上げてきたのです。
人間の堕落によって生じた神様の恨とイエス様の恨、お父様の今までの恨を、すべて霊界と肉界で解ける基準が立つまでは、その塀を崩すことができません。ワシントン大会で勝利することによって、そのような恨を解くことができるようになったのです。ですから、霊界が統一されます。霊界が今や一つの組織体になり、それに従って地上も相対的に一つになるのです。
30 一九七六年十月四日は、お父様にとって忘れることのできない解放の日でもあります。私が韓国で西大門刑務所に入ってから出てきた日でもあるというのです。そこから始めて、アメリカに来てワシントン大会まで勝利し、解放を記念する一日として、この意義ある日をもったこと、二つの解放を祝うこの日を迎えたことを、有り難く思います。まずは、神様のみ前に感謝し、それから、皆さんに感謝いたします。
それで、きょうという日は、ワシントン大会の勝利を祝うと同時に、膨大な内容と天的な意義をもっているので、この日を統一教会で歴史的に守るべき記念の日として定めました。天が勝利した「天勝日」という祝祭日として定めたのです。
31 ニューヨークのヤンキー・スタジアム大会のとき、「私はアメリカが病気になったので、医者として来た。また、アメリカが火事になったので、消防士として来た」と言いました。ワシントン大会では、「退廃していくアメリカの青年たちを救い、あすの希望の若者として導くために来た」と堂々と宣布したのです。その言葉が、「ニューヨーク・タイムズ」や「ワシントン・ポスト」によって宣伝されました。それでも「私はレバレンド・ムーンのことを知らなかった!」と言うとすれば、それは話にならないのです。私は自分の責任を果たしました。そのような意味で、この大会がどれほど歴史的な大会であり、一九七六年がどれほど歴史的な年であったか分かりません。歴史的な転換の年でした。
このようになって、霊界のすべての霊たちが、お父様歓迎ムード一色になりました。分かれていた霊人たちがお父様によって一つになり、歓迎するムードをつくったのです。ですから、一九七六年十月四日に「天勝日」を定めることができました。霊界には、今までは、仏教、キリスト教、儒教、イスラームの集団に分かれて多くの境界線があったのですが、それをすべて統一したのです。ですから、「天勝日」、神様が勝った日だと宣言したのです。
32 今までの神様の摂理運動の歴史において、重要な年が一九七六年です。ワシントン大会を中心として、神様が統一教会を保護し、支持して、大勝利を収めました。韓国の谷間からお父様が現れ、自由世界の中心国家であり、全世界が羨むアメリカで、ゴリアテの前のダビデのごとく、内的闘いを繰り広げたのです。皆さんも信じませんでした。しかし、事実です。このように闘うとき、天が介入し、歴史が介入し、人類が介入し、未来が介入して、「私たちが勝利した」と宣布できる日、それが「天勝日」なのです。
33 「天勝日」は、サタン世界で神様の血統を中心として、血縁関係において転換期をつくり出した世界的に代表となる日です。その次には、死亡の世界で死ぬしかなく、地獄に行くしかないこの人々に接ぎ木(の役事)をして、永遠の生命に転換させることのできる世界的な基準を立てた日です。また、死亡世界の塗炭の苦しみの中で呻吟していた人類が、神様の愛を中心として解放圏で喜ぶことができるその日を、全世界を懸けて選び出し、勝利の杭を打ち込んだ日です。
それでは、「天勝日」は、天の側を中心として、どの基準になったのでしょうか。サタン世界の個人が反対することは問題になりません。家庭的サタン反対圏、氏族的サタン反対圏、国家的サタン反対圏、世界的サタン反対圏が、真の父母の前では対抗することができず、背を向けて地獄に向かっていく時代に転換される時です。
34 私たちは、サタンの血縁世界から解放されました。サタンの生命圏から解放され、サタンの愛圏から解放され、サタンの文化背景を中心とした国家と民族、伝統から解放されたというのです。そのすべてのものがサタン側だったのですが、これから、新しい伝統を受け継いだ私たちには、個人もありますが、家庭もあり、氏族もあり、民族もあります。世界の五色人種を編成して、国家、民族解放時代に越えていっているのです。闘わなくても解放されるようになっています。「解放の世界に前進すべし!」、これを標準として誇る日が「天勝日」です。その伝統を中心として、「私たちは、一つのアダム文化圏、一つの真の父母、真の神様の文化圏を創造する勇士として生きるべし! アーヂュ!」という群れが、統一教会員です。
35 一九七七年からは、アメリカにおける私たちへの反対はすべて過ぎ去ります。三年間、国税庁から来て調査し、AP通信が大騒ぎし、国会でも大騒ぎでした。私たちは、既にそのような峠をすべて越えました。お父様とぶつかったのです。そのようにしなければ、条件が成立しません。もしワシントン大会を終わらせなければ、すべてが崩れてしまいます。上がれなくなるのです。(もし失敗すれば、)お父様が再臨することを遺言で残して死ななければなりません。キリスト教が数多くの犠牲的代価を払ったのと同じように、統一教会も数多くの代価を共産勢力に払うことになったでしょう。
しかし、ワシントン大会を終えることによって、一九七七年二月二十三日、お父様の誕生日を中心として、新しい時代に入っていくという「地勝日」(天地勝利の日)を発表するのです。今までは霊界と肉界との間がすべて塞がっていました。そのように塞がっていたものを、今や壊すのです。個人復帰、家庭復帰、氏族復帰をして破壊し、条件を立てて上がっていくのです。
もしワシントン大会がなかったならば、霊界と肉界との間が塞がってしまっていたので、霊界が肉界に降りてくる道がありません。人間の世界に来て、定着して働くことができず、少し協助しては、また行かなければならないのです。行ったり来たりしなければならないというのです。これが開かれることによって、数多くの善の霊たちが、自分の子孫の家庭、個人にまで訪ねていける領域ができました。
善の霊人たちが地上に降りてきて何をするのでしょうか。サタンと霊的に闘わなければならないので、霊的境界線ができ始めるのです。このような時代に入るので、世界が二つに分かれる現象が起きます。キリスト教も分かれ、共産主義も分かれ、家庭も分かれて、すべて分かれるのです。
一九七六年以前は、闘えば悪の側が勝ちました。悪の側が優勢だったのです。カイン側が勝っていたのです。霊界と肉界が塞がっていて、また、すべてがサタン圏内にあったからです。しかし、これからは道が開かれ、無制限に霊人たちが協助するので、闘えば闘うほどアベル側が勝利するというのです。
《1982年 第5回「世界言論人会議」》
平和経p812
社会の諸問題と言論の責任
https://cafe.daum.net/ckatkfkdrhdqn/V1yi/84?svc=cafeapi
日付:一九八二年十月四日
場所:韓国、ソウル、ロッテ・ホテル
行事:第五回「世界言論人会議」
《1993年 真のお母様 韓国、全国40大学巡回講演》
真の父母経p872
真のお母様の大学巡回講演
真の父母様の世界的な勝利圏を韓国に伝授し、これを南北統一と世界平和運動に連結させるため、一九九三年十月四日から三十一日まで、真のお母様の全国四十大学巡回講演会が開催された。
これを契機として、大学における運動圏(政治運動に積極的な人々のこと)勢力と「全国大学原理研究会」の葛藤関係が緩和され、互いに対話をして理解する契機が整えられ、南北の大学生と教授たちの交流およびセミナーが開かれるようになった。
1 これから世界の若者たち、二世たちを誰が指導するかが、世界的問題です。荒野四十年路程を歩んだイスラエル民族の一世は、荒野で倒れましたが、二世が(カ ナンに)入り、望んでいたものを探し出したのと同じように、世界がそのような時に越えてくるというのです。その二世は、新しい建国の思想と世界平和の思想 で、国と世界を建設しなければなりません。イスラエル民族は、それができませんでした。このような蕩減復帰を、統一教会がしなければならないのです。この あらゆる問題が女性にかかっています。母親にかかっているというのです。ですから、母親が重要です。
2 これからは、母親が子女を教育しなければなりません。イスラエル民族はカナンの福地に入り、(現地の)既存の家庭とその息子、娘の影響を受け、イスラエルの王権を樹立することに失敗してしまいました。
これを蕩減復帰する意味で、私たちの二世と母親たちは、大学の二世たちがサタン世界に染まらずに地上天国を建設するよう、伝統的な思想を植えられる ようにしなければなりません。逆さまです。母親と息子、娘が一つになり、どのようにして未来のイスラエル王国を建設するかというのです。それが使命です。
イスラエル民族の母親たちは、そのようなことを考えられませんでした。息子、娘と一つになってカナン七族に付いていったのです。彼らの家庭と息子、 娘に付いていったことが問題でした。今、私たちはその反対にならなければなりません。母親と息子、娘が一つになって、未来の天国を建設しなければなりませ ん。
母親が息子、娘を教育して、大学に影響を及ぼさなければなりません。ですから、世界の女性たちがお母様の分身になり、息子、娘を強制的に抱いてで も、一八〇度回らなければならないのです。そのようにするため、お母様が一九九二年から二年間、二百五十六ヵ所で精力的に巡回講演をされたように、皆さん もそのような活動をしなければなりません。そうして、国を救い、自分の親戚を救わなければなりません。
これは漠然としたものではなく、現実問題です。お父様が四十年間闘ったのは、現実問題です。天の国を取り戻さなければなりません。お父様がアメリカ で講演するのも、お父様を中心としてお母様にバトンを渡し、大学まで動かしていくためなのです。今や、二世を母親たちが救わなければなりません。
3 お母様を中心として、大学原理研究会はアベルであり、大学の運動圏はカインです。カインとアベルの闘いを、お母様が収拾しなければなりません。韓国の右翼 と左翼が一つになってアベルの立場に立ち、カイン側の北朝鮮の学生たちと統一を実現すれば、終わるのです。主権者たちがいくら反対しても、青年たちがお母 様と一つになれば、統一の運勢がこの地上に訪れてくるのです。それが天運なので、このことを実行せざるを得ません。皆さんの燃え上がる若い心に、消えるこ とのない火をともすべき時が今なのです。
4 お母様が、アメリカの国会で歓迎を受ける中で講演を行い、国連総会でも講演を行いました。国連は、自由世界の国会(と同じ立場)です。ここで歓迎を受け、 エバ国家の日本に行っても勝利しました。韓国の大学では、左翼系の勢力が原理研究会を追い出しましたが、全国でお母様が、これを入れ替えておきました。長 子権復帰です。キリスト教と運動圏が一つになって統一教会を打ちましたが、今からは入れ替わります。右側が左側になり、左側が右側になるのです。天のみ前 に回って入っていくことにより、共産勢力が統一教会の側になるのです。先の者はあとになり、あとの者は先になるというのです。
5 一九九二年から九五年までの三年間で、お母様が果たすべき責任が大きいのです。お母様が先頭に立たなければなりません。三数は分別数です。その期間は、分 別する期間です。ですから、お母様がアメリカから国連、日本、世界まで、すべて分別するのです。韓国では、四十の大学を中心として、巡回講演を行いまし た。四十の大学と世界四十ヵ国を連結するのです。これが、父母を中心として、カインとアベルです。そうして、初めて、お母様がお父様と対等な位置に立つの です。お父様のすべての勝利の覇権は、お母様に伝授されます。全世界が、第二次世界大戦後に父母様の家庭を歓迎できずに追い出したことを、父母様の家庭が 二次的に全世界で歓迎を受けることで蕩減復帰するのです。
6 これからは、自分の一族と大学生、中高生を中心に伝道しなければなりません。今は二世時代です。イスラエル民族は、モーセの言葉を聞きませんでした。そし て、カナン復帰作戦をするときは、モーセも死に、一世はみな滅びました。しかし、私は二世と共に入るのです。この地は、二世の地です。ですから、二世に責 任をもつというのです。父母様の家庭の息子、娘とお母様を中心として、アメリカの百の大学で講演をしています。百の大学だけではありません。世界的に、今 から三千三百の大学講演を始めるのです。日本の大学を始め、世界各国の大学生と中高生を収拾しなければなりません。アダムとエバが堕落する時の歳である十 六歳から二十一歳まで、ここに三年を加えて、二十四歳までの青少年たちを収拾しなければなりません。それに私が責任をもつのです。そのような時が来まし た。
7 キリスト教に対して、統一教会はアベル圏です。ですから、キリスト教は、長子権を奪還するために勝利してきた統一教会を打つことはできないというのです。 ヤボク川の川辺で天使と闘って勝利したヤコブを、エサウが打つことができないのと同じような立場です。お母様がアメリカの国会で講演し、大学を抱きまし た。アベルである大学原理研究会を、運動圏の学生たちが暴力で追い出しましたが、お母様がこれを転覆させ、完全に同等にするのです。北朝鮮と韓国の関係が 悪化した状況で、お母様が四十の大学で講演をすることにより、カインとアベルが取り戻されたのです。大学で反対する状況を変えておいたのです。それが、こ の上なく難しいことなのは分かっていましたが、せき立てました。これをきっかけにして、カインとアベルが一つになったので、北朝鮮の学生と交流するように なったのです。そうして、モスクワでの国際大学生指導者セミナーを皮切りに、ワシントンDCでの韓国大学生指導者研修、北京での韓国・北朝鮮大学生セミ ナーを大学原理研究会が開催することによって、北朝鮮のカインの学生たちと韓国の運動圏の学生たちを、原理研究会がリーダーとなり、父母様の名によって追 い込んだのです。
8 お母様が、韓国の四十の大学で巡回講演をする目的は、大学を動かすためです。そうして、大学を中心として、運動圏を教育しなければなりません。彼らをソ連 に連れていこうとしているのです。ソ連には、私たちの食口がたくさんいます。そこで二十一日修練をするのです。モスクワに連れていって、私たちが三週間だ け連れて回りながら、見学をさせてあげ、教育をすれば、すべてが回ります。そうして、韓国と北朝鮮の学生たちと、ソ連の学生、中国の学生たちが一つにな り、アジア地域で共産主義思想に対峙できる連合会をつくるのです。いずれにせよ、共産主義は崩れるようになっています。ソ連がそうでしたし、中国も崩れて います。「『統一思想』は、共産主義に代わる思想である」と言って教育するのです。北朝鮮の学生たちに、道を開いておかなければなりません。一番早いのが それです。摂理的に見るとき、韓国と北朝鮮の学生たちは、カインとアベルです。そのようにすれば、父母は自然に一つになるのです。
9 韓国の四十の大学でのお母様の大講演会は、キリスト教と運動圏が分立され、私たちと一つになるきっかけとなりました。摂理史的に見るとき、これは蕩減路程 で、この上なく必要な条件です。お母様を中心として、運動圏の学生たちと大学原理研究会が、大学で再び基盤を築かなければなりません。韓国の運動圏の学生 たちをアベルとみなすなら、北朝鮮の学生たちは完全にカインです。韓国にいる運動圏の学生たちは、表面は赤いのですが、中は白いというのです。しかし、北 朝鮮にいる学生たちは、完全に赤いのです。
今から、韓国の運動圏の学生たちと北朝鮮の学生たちを、モスクワに連れていって教育します。ここに、日本の朝鮮総連と民団の学生、日本の学生が加わ るのです。韓国の学生たちを中心として、アメリカと中国、ソ連の学生たちが連合し、北朝鮮の学生たちを同化させなければなりません。ですから、私たちは最 善を尽くして、北朝鮮にこれを知らせたのです。今、モスクワで世界平和青年運動の組織を編成しようとしています。そうして、超国家的に思想を超越して、青 年運動を展開するのです。これは、大学原理研究会だけではできません。社会基盤がないので、大学を中心として、同窓生たちを束ねるのです。同窓生と学生 は、カインとアベルです。彼らを束ねて組織をつくり、世界的に大運動を展開しさえすれば、急進的な発展を遂げることができます。ですから、お母様と「世界 平和女性連合」と学生連合が、一つにならなければなません。