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統一運動《10/28 今日は何があった?》

1962年 「私の誓い」宣布 👇
1991年 南北統一指導者総連合会結成大会 釜山・慶尚圏、大邱、統一会館
1991年 理想家庭に向けた健全結婚説明会 昌原・慶南教区、大邱・慶北教区
1993年 韓国、全国40大学巡回講演 弘益大、建國大
1995年 「世界平和青年連合」前進大会 全南・光州・済州圏、羅州体育館
1996年 「世界平和統一家庭連合」185か国結成アメリカ大会 ボルティモア、ルネサンス・ハーバープレイス・ホテル2001年第16次「三時代大転換四位基台入籍統一祝福式」(韓国、天宙清平修錬苑)
2004年 神様の真の愛を中心とした世界平和統一アメリカ4大都市巡回講演 ワシントンDC、ハイアット・リージェンシー・ホテル
2005年 「天宙平和連合」創設記念世界巡回大会 ハンガリー、ブダペスト、ヒルトン・ホテル
2006年 第1回ピース・クイーン・カップ国際女子サッカー大会、ソウル、ワールドカップ競技場 👇
2008年清心平和ワールドセンター新築起工式(韓国京畿道加平郡雪岳面)約3000人が参加

《1962年 「私の誓い」宣布》
真の父母経p512

「私の誓い」制定

 真の父母様は、一九六二年十月二十八日、第三回「子女の日」を期して、全文五節からなる「私の誓い」を制定、公布された。真のお父様は、「誓いとは、神様と未来を前にして約束するものである」と語られた。そのため、誓いを述べようとすれば、神様と心情が通じなければならず、「私の誓い」で各自が真の息子、娘になるという誓いをすることによって、神様と心情一体を成し遂げられることを強調された。「私の誓い」は、一九九四年五月一日に「家庭盟誓」が制定されるまで斉唱された。

5 皆さんが誓いを立てることができるか、一度考えてみてください。今まで神様のみ前に誓いを立てた人はいません。僕としても誓うことができず、息子、娘としても誓うことができませんでした。誓いを立てようとすれば、心情が通じなければなりません。この誓いは、真の息子、娘になるという意味の誓いです。

① 天宙の中心存在として、父のみ旨(創造目的)と任せら れた責任(個性完成)を全うし、喜びと栄光を帰し奉る善き子女となり、創造理想世界において永遠に父に仕え奉る真の孝子女となることを私はお誓い致します。
② 父は六千年間供え物として十字架路程を忍ばれ、死したる私を真の子女として活かすべく、み言と人格と心情を与え一体化せしめて、天宙の相続権を与えたまわんとなさる聖なるみ旨を私は受け、完全に相続することをお誓い致します。
③ 怨讐によって失われた子女と天宙を復帰せんがため、父は父母の心情を抱かれ僕の体を受肉したまい、汗は地のために、涙は人類のために、血は天のために流され、私の身代わりに歴史路程における怨讐サタン粉砕の武器を与えたまい、それらを完全に審判するまで父の性相を受け、真の子女私は敵陣に向かって勇進することをお誓い致します。
④ 父は平和と幸福と自由と理想の源泉であらせられ、父を奉る個人と家庭と社会と国家と世界と天宙は、本性の人間を通じてのみ心情一体の理想世界を完結することができ、私は真の人間となり、心情の世界において父の代身者となることによって、被造世界に平和と幸福と自由と理想をもたらし、父に喜びと満足を帰し奉る真の子女となることを私はお誓い致します。
⑤ 我々は神を中心とした一つの主権を誇り、一つの民を誇り、一つの国土を誇り、一つの言語と文化を誇り、一つの父母を中心とした子女となったことを誇り、一つの伝統を受け継いだ血族であることを誇り、一つの心情世界を成す役軍(担い手)であることを誇り、これを実現せしめることを私はお誓い致します。

 このような義務と使命を成就せしめるため、責任をもって生命を懸けて闘うことを私は、宣誓しお誓い致します。宣誓しお誓い致します。宣誓しお誓い致します。

6 なぜキリスト教は再臨思想を語るのでしょうか。それは、神様の愛と生命と血統を中心として、新しい種を受けなければならないからです。アダムとエバが堕落することによって、偽りの種を受けました。ですから、新しい種を受けなければなりません。そのようにしてこそ、新しい種をもってくる真の父母の名をもった真の息子、娘の真の愛と真の生命を中心として、真の血統的論理を中心として、邪悪な世の中を克服して余りあるのです。また、そのような自主的な力をもった民になるのです。
 「私の誓い」に出てくる内容のとおりに、私たちは、一つの主権を誇ります。その次に一つの民を誇ります。その次は一つの血族です。それから一つの国土です。この地は、「私」のものです。私たちのものです。人間は、誤って生まれました。誤って生まれたがゆえに、再び生まれさせようとするので、天が加担し、双胎(双子を身ごもること)で摂理するのです。双胎時代です。エサウとヤコブのように双胎です。腹中まで訪ねて入っていくのです。誤って生まれたので、新しい型を通して腹中まで探索して入っていきます。再び生まれなければ救いはないというのです。「重生」という言葉は、キリスト教にだけ存在するのであって、他の所にはありません。

7 皆さんは「私の誓い」を聖日ごとに唱えますが、それを習慣的に唱えてはいけません。この誓いで最も重要なのが五節です。神様を中心とした一つの主権を誇るのですが、一つの国にならなければなりません。ところが、なぜ多くの国になったのでしょうか。愛のゆえです。愛によって、そのようになったというのです。今日、このすべてのものが、一つの愛の道を行けず、様々に枝分かれして自分だけを主張する愛に付いていったために、そのようになったのです。その愛の主人になれる人は、男性と女性です。
 個人を愛し、家庭を愛し、国を愛し、世界を愛するという愛の標準が変われば、自然に分かれていきます。ですから、いつでも現世の人が重視されます。男性と女性が分かれることは、愛がないところから始まるのです。

8 「私の誓い」の五節の中に、「一つの言語と文化を誇り、一つの父母を中心とした子女となったことを誇り、一つの伝統を受け継いだ血族であることを誇り、一つの心情世界を成す役軍であることを誇り」という内容があるのですが、「一つの言語と文化を誇る」というのが、なぜ血統や心情よりも先に出てきたのでしょうか。人は生まれて、言葉を知ったあとに、血統と心情を知るようになるからです。原理原則に従って、すべてそのように書いたのです。

《2006年10月26非ピースクイーンカップ国際女子サッカー大会》
真の父母経p1089

第三節 鮮(ソン)文(ムン)ピースカップと圓球(ウォング)ピースカップピースカップとピースクイーンカップ
 真の父母様は、心情文化世界の具現のため、二〇〇二年六月、ソウルのリトル・エンジェルス芸術会館において、 鮮文ピースカップサッカー大会を創設された。ピースカップは、鮮文平和サッカー財団が開催する国際クラブサッカー大会であり、二〇〇三年から二年ごとに大会が聞かれた。第一回、第二回、第三回の大会は韓国で開催され、二〇〇九年の第四回大会はスペインのマドリードとアンダルシア、第五回大会は二〇二一年七月、韓国の水原で開催された。一方、二〇〇六年からは、国際女子サッカー大会であるピースクイーンカップも二年ごとに開催された。

1鮮文ピースカップは、どこから来たのでしょうか。お父様から来たのではありません。天から来ました。それゆえ、いい加減に考えてはいけないというのです。いい加減に考えれば、問題が生じます。
 摂理がそうだから、そのようなことをするのであって、それをして利益になることはありません。皆さんのように考えれば、利益になることは一つもないというのです。✍️

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