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統一運動《9/18 今日は何があった?》

1946年キリスト教の不信
1971年御言「祭物の完成時代」
1974年「希望の日」大講演会 マディソン・スクエア・ガーデン大会(米国)8大都市講演出発
1976年ワシントン大会(米国)

1979年「勝共思想特別講師修錬会」(~26,川口記念伊豆セミナーハウス)
1981年 ウルグアイ日刊新聞「ウルティマス・ノティシャス」創刊
1986年 真のお父様、ブラジル勲章学会「国民文化功労十字章」を受ける 第8回「世界言論人会議」、ワシントンDC、オムニ・ショーハム・ホテル
1987年ユニバーサル・バレエ日本公演スタート
1991年 真のお母様日本巡回集会「統一教会全国信徒大会」テーマ:「エバの使命」 (東京 ベイNKホール) 真の御父母様サイン入りの「貴石」を頂く


1993年 「真の父母と成約時代」宣布日本巡回講演 東京 国連大学
1995年 「真の家庭と私」アメリカ16カ都市巡回講演 シアトル、シェラトン・ホテル
1995年 ブッシュ元大統領夫妻と午餐、大阪
2002年 天地父母統一安着生活圏アメリカ大会 ボストン、シェラトン・ホテル
2005年「天地解怨秋夕節」(天暦 8/15 米国・ニューヨーク)

《1946年キリスト教の不信》
真の御父母様の生涯路程2(光言社)

大同保安署に拘束(一九四六・八・一一)

 先生は一九四六年八月十一日、北韓の共産党により、宗教と称して詐欺をしたという罪名で、大同保安署に投獄されました。
 動機がどのようになって、このような問題が起きるようになったのでしょうか。皆さんの中でも、腹中教について聞いたことのある人がいるでしょう。
 一九四六年六月、共産党は、北韓全域において新しい宗教団体に対する弾圧を始めたために、それと類似した団体があれば糾弾しなければならない立場でした。
 許孝彬氏の集団が摘発されました。純粋な国民に宗教という美名のもとに詐欺を働いたというのです。なぜなら、財産を売って作った服が、トラック数台分になるからです。そして、その神霊集団の許孝彬氏ゆえに、私が引っ張られて入ったのです。
 また、私が南側から来たから、李承晩の手先だとか。しかしどんなに調査をしてみても根拠をつかむことができませんでした。それで、男の巫女であるとか、社会の風紀を乱すとか言って、捕まえて閉じ込めました。
 蕩減復帰の原理に従って、先生は、先生を待ちながら準備しているその集団に会いに行くことができませんでした。もしその準備された集団の指導者だったその許夫人が、主がおられる所を知るために神様に祈祷したならば、神様が彼女にそこを教えてくれたはずです。それで先生は、彼らが来る時まで待っていました。
 そうこうするうちに先生はその集団に人を送り、許夫人に、「先生の集団が何であるか、祈祷して調べてみなさい」と言いました。しかし、その時、許夫人は、一つの大きな兆候を期待したのであって、一人の若い男などには期待もしませんでした。それで彼女は、彼を送り返しました。そののちに、先生は一人の若い女性をその集団に送りました。しかしその集団からは、何の反応もありませんでした。
 しかし神様は、準備したその女性に責任を負わなければならないために、先生を監獄に入れるようにしました。一九四六年八月十一日から十一月二十一日まで収監されている間、先生は彼ら集団の幹部たちや、その婦人の夫、その集団の協会長のような人に会って、彼らが行くべき所を教えてあげました。

腹中教徒釈放のための獄中措置

 監獄に入ると、その婦人と相対になって、教育して、全体に責任をもっていた黄元信という人が、その部屋にいました。その時が一九四六年八月十一日ですが、十一時ごろに私が入ったのです。ところが、その翌朝、その人が私の所に来て、敬礼をしたのです。それで私がどうしてそうするのかと聞くと、「私は知っています。私は申し上げなければなりません」と言って、自分の集団に関するすべてのことを話すのです。「霊界から知らせてくれたので、この方だけには報告しなければならない」というのです。
 それで私は「これはあなたの責任だから、このように処理して、このようにして、許孝彬氏に早く出るように言いなさい」と言ったのです。出なければ、全部この監獄で倒れるというのです。それで黄元信が一人出たのです。その後、私が監獄から出たのちに訪ねてきたのです。訪ねてきて言うには、「信徒たち一同に、いくら勧告しても聞こうとしない」というのです。
 その人が釈放されたのちに、許夫人の夫が先生の部屋に来ました。先生は夫に、先生がその人に言ったことを話しました。しかし夫は、「自分は妻に従うつもりだ」と言いました。そうして彼は、先生の話を受け入れようとしませんでした。
 最後に、先生自身が一通の手紙を書きました。それは九月十八日の朝でした。先生は食事の時に、御飯を配る人に、その手紙を許夫人に渡してくれるように頼みました。彼女は、その手紙を読んでから破いてしまおうとしたのですが、その時、彼女は共産党の監視員に見つかってしまいました。それは、その紙を持っていってくれた人が、看守に知らせたためでした。それで先生は拷問を受けました。それは一九四六年九月十八日午後二時のことでした。
 その時、奥歯にひびが入ったのです。机の足に、打ちつけられたのです。何のスパイかというのです。その時逆さに倒れてこの歯が割れたのです。

《1971年御言「祭物の完成時代」》
https://plaza.rakuten.co.jp/peace3world/diary/202106290000/

《1974年「希望の日」大講演会》
真の父母経p655

ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデン「希望の日」フェスティバル

 真の父母様は、一九七四年九月十七日から十二月二十三日まで、アメリカの八大都市で「希望の日」大講演会を主宰された。先立って行われた三十二カ都市と合わせて、アメリカの四十カ都市における大講演会の最後の日程であった。初日は晩餐会、二目目は講演会が開かれた。特に、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで開かれた「希望の日」大講演会は、当時のアメリカの宗教集会としては新記録を樹立した大会であった。九月十七日、ウォルドルフ・アストリア・ホテルで開かれた前夜祭の晩餐会では、千七百人以上の著名な人士が参加し、六つのテレビ局をはじめとするマスコミの熱気を帯びた取材競争の中、アメリカの有名な霊能者であり、予言者であるジーン・ディクソン氏が真のお父様を証した。十八日の講演会では、指定席二万五千席のほかに、五千席の臨時座席を追加で設置したが、二万人以上が入場できないほど、大盛況を呈した。真のお父様は、「キリスト教の新しい未来」というテーマで熱弁を振るわれた。

16 今日の民主世界について見てみると、アメリカと韓国は、ローマ帝国とイスラエルの立場と同じです。イエス様の当時には、ローマ帝国とイスラエルが一つになってイエス様を打ちましたが、今の時は韓国人とアメリカ人が一つになって、お父様を打つようになります。打たれることによって、蕩減復帰されるのです。アメリカは民主主義の国なので、ローマ帝国とは違います。キリスト教を捕らえて滅ぼすことができる基盤ではなく、何を語ったとしても、命まで奪うことはできない民主主義の国です。
 また、共産勢力が旗を掲げてやって来て、お父様に反対します。これは世界的事件です。お父様には、韓国のキリスト教はもちろん、アメリカのキリスト教も反対し、アメリカ人も反対し、共産勢力も反対するので、これは世界的なすべてのものが反対する条件になるのです。しかし、いくら反対しても、お父様を訪ねてくる人々の気勢にすべて押されて倒れてしまうのです。それが正に一九七四年九月十八日、マディソン・スクエア・ガーデン大会です。
 これは、キリスト教に代わる民主世界と統一教会が真っ向からぶつかって、統一教会が越えていく時間です。このようにして、世界的峠を越えました。ユダヤ教がイエス様の命を奪い、ローマがイエス様の命を奪いましたが、そのような立場にいる統一教会とお父様の命は奪うことができないのです。追い出すことができません。ですから、勝利したというのです。これは、歴史的な起源が始まる瞬間です。

17 マディソン・スクエア・ガーデン大会は、摂理的な観点から見るとき、歴史的意義があります。アメリカにおける一九七二年から七四年までの三年期間は、イエス様当時の三年期間に該当するのです。ですから、この大会は、イエス様が亡くなることなく成功したとすれば、ローマ帝国に行って、大講演会をしようとしたその基準に相当するのです。ローマがイエス様を歓迎し、イエス様と一つになれたとすれば、そこから世界的に、天の国のみ旨が展開するようになっていたでしょう。ローマの支配を受けるイスラエルの国のような立場にいる国が、現在、アメリカの援助を受ける韓国です。同じです。そのようなアメリカの中心都市がニューヨークであり、ニューヨークの中心部の集合場所がこのマディソン・スクエア・ガーデンなので、ここに爆発的な火をつけなければならないというのは、摂理的な観点で歴史的な意義をもたざるを得ません。ローマはイスラエルと怨讐の立場にあり、今日、アメリカはキリスト教を中心として、ローマのような国ですが、昔のイエス様の時代とは違う環境です。すなわち、アメリカは、神様が二千年間苦労して、この一時のためにつくっておいた、歴史的基盤だというのです。

18 私たちは、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデン大会に二万五千人(を動員し)、超満員にしようと思います。道端で一度会っただけでは、いくら精誠を尽くして出会ったとしても、流れていってしまいます。一度出会ったその人に再び会って同じ効果をあげようとすれば、もう一度同じくらい努力しなければなりません。家を訪ねていき、通り過ぎる道端の人に対して精誠を尽くすぐらい精誠を尽くせば、その人は逃げていかないのです。二回、三回訪ねていって精誠を尽くせば、その態度や純粋性、現在のアメリカが必要とする青年らしさを見て誰もが感動するので、若者がそのように切実に求めることを聞き入れざるを得ないというのです。自分の息子のようであり、娘のような人たちなので、そのようになるのです。
 自分の息子、娘はヒッピーになり、家を出ていってぶらぶらしているのに、「この世の中で、あの人はあそこまで純粋でいられるのか。あのような人と私が親しくなることによって、私の息子、娘も良い方向に向かわせる一つの道ができるだろう」と考えるようになれば、同意するのです。必ず関心をもって、この若者の勧めに応じるようになっています。

 19 私たちがマディソン・スクエア・ガーデンの競技場を借りて講演するということを、アメリカ社会が低く評価することはできません。その上、私たちは、一般の広告会社を通して、アメリカのニューヨークで三十万ドルにも及ぶお金を宣伝費として使っています。外部の会社を通して宣伝すれば、費用は五倍ないし七倍もかかるというのが、一般的な慣例になっています。ビリー・グラハム牧師のときでさえも、各教派が協助して行うのに、お父様は単独で三年以内にすべてやってのけました。そして、私たちはみな、若者たちです。今回、アメリカの青年六百人以上が断食祈祷をしましたが、この事実を志ある人々は相当高く評価しています。それから、組織力が強いことを認めています。また、お金をもっていることを認めるでしょう。このように、数百万ドルをかけて大会をするのを見るとき、アメリカのどんな財閥も無視できないのです。それにもかかわらず、「マディソン・スクエア・ガーデン大会は失敗するだろう。人が集まらないだろう」と思っています。私がそれを完全にひっくり返すでしょう。これをひっくり返すようになれば、私たちが今回活動した全体が、その人々の研究材料になるのです。世界的に有名な人が、たくさん問い合わせてくるでしょう。

20 アメリカは世界的な中心国家なので、ここで私が巡回講演を行っているのです。そうして、三年間で随分と上がってきました。最初、私が「リンカーン・センターで集会をする」と言ったときには、誰も鼻先で笑うことすらしませんでした。「お父様は、集会を一度して逃げ出すだろう」と言ったのです。その次に、カーネギー・ホールでするときにも、「半分、三分の一も埋められないだろう」と言いました。しかし、一カ所だけではありません。アメリカ全域で、講演を一九七三年から行いました。カーネギー・ホールから二十一カ都市、一九七四年には三十二カ都市を回り、アメリカ全土を席巻しました。このような活動は、膨大な資源がなければ不可能です。お父様の移民問題が生じると思って、瞬時にしなければならないと考えました。そのようにして、集会を成功裏に終えたのです。ヨーロッパの食口たちがアメリカに来て、三年間、お父様と一緒に活動をしたのですが、彼らが歩調を合わせることができなければ、アメリカに基盤を築くことは絶対にできませんでした。

21 第二次七年路程を終結して第三次七年路程に越えていき、韓国と日本とアメリカが世界的な事件に引っ掛かり、上がったり下がったりするこのような時に、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデン大会を行いました。私たちがアメリカまで来る際には、霊的な国家的基準を中心に連結させてから来たのです。キリスト教が霊的世界の基盤なので、霊的な国家的基準を越えることによって来ることができましたが、肉的基台が成立していなかったので、これをどのように連結させるかが問題でした。これが一週間の期間内に連結される条件として提示されたということは、驚くべき事実です。
 韓国とアメリカ、韓国と日本がいくら分かれていくとしても、この統一教会はアメリカと一つになることができるというのです。
 摂理的に、キリスト教圏内に霊肉を中心とした国家的基準形態の条件を立て、霊肉を中心とした世界的な第三次七年路程を出発できる起源を確定できたのが、マディソン・スクエア・ガーデン大会でした。これを蘇生として、長成と完成の大会をすることにより、一九七六年、七七年、七八年までのこの三年の期間で、アメリカを貫いて世界を越えていける一つの起源をつくらなければなりません。この三年間で、霊肉を中心として世界的な基盤を築かなければならない分野が残っているというのです。

22 マディソン・スクエア・ガーデン大会を通して天の国を取り戻し、その場を通して万民を解放しようとする神様のみ旨が成就されることを知らなければなりません。そこがジャンプできる一つの基盤になり、歴史的事件になります。ここで、数多くの民族が同じ心をもち、同じ努力をして、同じ汗を流し、顔立ちや感情は違うかもしれませんが、皆が一つの体のように動けば、このニューヨークを見つめながら絶望するしかなかった神様が、ようやく皆さんを見て、希望をもつ良い機会になるというのです。

23 一九七二年にニューヨークのリンカーン・センターで講演を行い、七三年にはカーネギー・ホールで講演を行い、七四年にはマディソン・スクエア・ガーデンで講演を終えました。お父様は、三年の期間に、心の中で誰も分からない神様の作戦を定めました。ですから、アメリカに来る時は深刻だったのです。三年間で、必ずアメリカ人全体にこれを伝えなければならない責任があるというのです。そのようにしなければ、神様の摂理に支障があることが分かったので、この機会をどのようにしてつかむかと、今まで苦心してきました。
 最初に問題になったのは、人がいないということでした。三年の期間でこのマディソン・スクエア・ガーデンを満席にして余りある人員を準備しなければならないのですが、それをどのようにするかを悩みながら、目標にしてきたのです。

24 アメリカを中心とした第二次七年路程までは、サタンが天を攻撃する時でしたが、第三次七年路程からは世界的基準を越えていく時代に入るので、アメリカに向かって攻勢をかけなければなりません。
 昔はカインがアベルを攻撃しましたが、今はアベルがカインに攻勢をかけるのです。今まではサタンが攻撃しましたが、第二次七年路程で一九七一年までに蕩減条件を立てて越えてきたので、今やサタンが屈服しなければならない時に入りました。サタンが攻勢を受ける時に入ったというのです。ですから、世界的基準を中心として、アメリカで攻勢をかけ始めたのです。
 一九七二年に、父母様が「アメリカで七カ都市講演会を行う」と言った時、誰も成功するとは夢にも思いませんでした。それは、アメリカの食口たちも、信じなかったのです。一九七二年に講演会をすることも、アメリカに来て初めて発表し、始めたのです。誰も知りませんでした。
 その次からは、二十一カ都市を攻めました。その時は、「カーネギー・ホールを埋められるわけがない」と言われました。しかし、カーネギー・ホールをすべて埋めたので、アメリカ人たちが「素晴らしい」と考えるようになり、結局は、まともに見つめるようになったのです。その次には、三十二カ都市で引き続き講演会を行いました。

日本統一運動史(光言社)p354

 1974年9月18日のマディソン大会勝利のために、日本教会員たちも支援活動しました。
 「マディソン大会のPRチームが、 現地日系企業人の間で好評を呼んでいる。 久保木会長は9月12日、 三井、三菱、 ソニー等の駐米支社長など340名を招き、 バンケットを開かれた。 その席上での話題は、この日本青年への賞賛がしきりとなされて、 「日本にこんな青年がいたのか」 「この青年たちの信念がうらやましい」 等々であった。…
 現在、ベルベディアの百日修練所は古田武士兄が所長として担当し、国際的な指導者教育に当たっている。 卒業生は一国の指導者として巣立ち、各州、各国に向かっている。 また一方、 ベリータウンの修練生は松崎裕史兄が担当している。 アメリカはやはり人種の対立が激しくて、 黒人が講義すれば白人は聞かず、 白人がすれば黒人は応じないという様子。 そこで黄色 (日本人) が中間に入ると、 和解するという天の作戦で、 東洋人の役割ということになる。・・・アメリカ復帰の責任は日本にありと、 周藤団長、 神山隊長以下、日本の兄弟はよく善戦している。」(『聖徒』 1974年10月号より)

《1976年ワシントン大会》
真の父母経p673

ワシントン大会

 アメリカの建国二百周年を記念するワシントン大会が、一九七六年九月十八日、三十万人が詰めかける中で、成功裏に開催された。
 この大会は、アメリカの国と宗教・言論界などが総攻勢をかける中で開催され、注目を集めた。この日、真のお父様は、「神のみ旨とアメリカ」というテーマのもと、「神様は、この国に新しい啓示を伝えるために、そして、特に退廃していくアメリカの青年を救い、未来の指導者となる若者を導くために、私を送られた」と宣布された。ワシントン大会は、短期間で三十万人を動員し、アメリカの宗教集会史上、最多動員数を記録した。

12 ワシントン大会を行うその時は、六千年歴史の交差点が生じる瞬間であり、世界を懸けて天地の蕩減が生じる瞬間です。息詰まる緊迫した時間が私たちの目の前に待っているというのです。それで、ワシントンDCを攻めるのです。これを世の中の人々は理解できません。お父様は命を懸けて行うのです。私のためではありません。神様が勝利するためにするのです。人類が反対したことを完全に蕩減復帰し、収拾して越えていくために、全世界が反対し、神様が協助しなくても、私は行くのです。お父様は、「私だけが残った」と思いながら、息詰まる時間に向かって越えていくというのです。かわいそうな人です。孤独な人です。神様が協助することもできません。
 皆さんは、お父様の手によって仕方なく引かれていくのです。皆さんが行かなければ、皆さんの国と皆さんの先祖が滅び、皆さんの息子、娘が滅びます。ですから、イエス様が十字架で亡くなる時、「わたしのために泣くな。むしろ、あなたがた自身のため、また自分の子供たちのために泣くがよい」(ルカ二三・二八)と言ったのです。皆さんは、お父様のためではなく、皆さんの国のために、皆さんの子孫のために行くというのです。私のために行くのではありません。私のために行く必要は一つもありません。
 私は皆さんの世話にはなりません。私がやらなければ、皆さんの国を滅ぼし、皆さんの先祖と子孫を滅ぼすだけでなく、世界を滅ぼし、神様を滅ぼすことを知っているのです。私が行かなければ、世界が滅び、神様が滅びるというのです。ですから、死んでも行かなければなりません。お父様が六十一歳になるまでに、世界的路程を蕩減する夢を実現できる最後の峠がワシントン大会です。これは、生きてゴルゴタを越える峠だというのです。

13 ワシントン大会を中心として、アメリカの国務省、法務省、すべてが反対しました。世界全体が反対し、お父様に対する追放運動が起こったのです。その期間に、私は世界に宣教師を送り、完全に相手になって取り組むことができ、全世界からの反対に立ち向かえるようにしました。全世界から総攻撃を受ける中で、ワシントン大会を中心としてつばぜり合いをしたのです。
 ここから個人、家庭、氏族、民族、国家、世界的な蕩減条件を中心として、完全に清算して越えていきました。統一教会が現れて以来、全世界、サタンが統一教会を押し出そうとした最後の戦争でした。

14 ワシントン大会は、お父様や統一教会のためにするのではありません。統一教会にとっては損害が大きいのです。人的資源において犠牲になり、経済的に犠牲になり、すべての面において犠牲になっています。お父様は死を覚悟して行っています。
 ヤンキー・スタジアム大会の時には、十二の団体が私の殺害を企てたという知らせを聞きました。ワシントン大会にはもっと来るでしょう。反対派たちも、ワシントン大会が最後の峠なので、私自身が総力を注ぐことを知っているのです。彼らも今、持てる力を尽くしてクラブをつくり、謀議をしています。「暴動を起こすなど、どのようなことをしてでも、これを失敗させなければならない」と言いながら、共産勢力まで謀議に加わっているのです。国務省など上部機関を通して、お父様が会場に来られないようにしようと、ありとあらゆることをしています。

15 一九七六年を中心として、統一教会は世界的に迫害を受けました。その中でも、三十七カ所に宣教師を送りました。最大の迫害期間に、ニューヨークのヤンキー・スタジアム大会を行いました。ワシントンDCの三十万人大会もそうです。ヤンキー・スタジアム大会が終わったあと、私たちはワシントン大会の許可を受けました。アメリカ政府は許可せざるを得なかったのです。四十日で歴史的な大会を行うというのです。ですから、アメリカ政府は非常に慌てふためきました。アメリカ政府としても、手がつけられなかったのです。後退せざるを得ませんでした。神様は、世界的に宗教の自由がある民主主義制度をつくりました。再臨時代のみ旨を保護するための方便としてつくった主義が、民主主義です。

16 ワシントン大会のために、私は原稿を四回も書きました。何度も祈り、精誠を尽くしても整理できませんでした。神様はなぜ、そのような作戦をされるのかというのです。その日はだんだんと追ってくるのに、語る内容が決まらなかったので、私の心は言い表せない境地に入りました。それで私は、一週間前までこの状態が続くだろうと思いました。天は、私のことを知らずに、そのようにするのではありません。私が語るその時間には、天が必ず働いてくださると考えました。そのようになればなるほど、必ずその言葉には不思議と引き寄せる力が生じ、不思議と愛の心情が溶け出し、不思議と人々が巻き込まれてくるだろうと考えたのです。それで、ワシントン大会をするその時間に、人々が霊的な雰囲気に巻き込まれ、我知らず歓声を上げたのではないかと私は思います。

17 一九七六年九月十八日、ワシントン大会の時、私は死刑宣告を受けた人が刑場に出ていくよりもっと深刻な心境でその場に出ました。その前は、朝を夕方と勘違いしたことが何度もあり、夕方を朝と思ったことが何度もありました。それは、私と神様だけが知っているのです。
 それを、お父様にとって歴史上最高の精誠を尽くす一つの転換点と定め、万民のための祭祀の日として神様のみ前に設定していきました。神様はこのような時間を迎えようと待っていたため、その時間に出ていく私自身は、「祭司長の責任を負い、世界に代わり、数多くの宗教に代わり、神様の心情を地上に引き下ろさなければこの世界が滅びる」と考えたのです。その日、あそこまで大勢の人々が集まり、整然と事故なく大会を執り行えたのは、お父様がしたことではなく、神様がしてくださったことだというのです。

18 アメリカで、お父様が個人、家庭、氏族、民族、国家、世界的な蕩減条件を立てて上がっていったという話は、皆さんには分からないでしょう。言葉では何となく分かるのですが、よくは分からないというのです。ですから、世界的な蕩減条件を皆さんに強調するのです。ワシントン大会には、そのような意義があります。
 私の一代で最も深刻だった時が、ワシントン大会だと思います。その時の心境は、天地と全人類を前にして、刑場に出ていく人の心情でした。絞首台に上がる気分だったというのです。それほど霊界も深刻であり、地上も深刻でした。

19 一九七六年に行ったニューヨークのヤンキー・スタジアム大会とワシントン大会は、世界的事件です。ですから、アメリカの人々がお父様を、良かれ悪かれ、すべて知るようになっています。私の責任は果たしました。それゆえ、西洋で生きて霊界に行った霊人たちや、アフリカで生きて霊界に行った霊人たちが、私を讒訴することはできません。そして、地上で生きている人類も、私を讒訴することはできないのです。
 ですから、一九七六年は、お父様と統一教会の年だと結論づけることができます。「ニューズ・ウィーク」では、お父様を一九七六年に「今年の人物」として記事を出しました。その人々は、私のことが好きで記事を出したのではなく、それが事実なので出したのです。
 お父様は、霊界にいるすべての霊人たちと、地上の人類に対して責任を果たしました。アメリカの国民に対して責任を果たし、悪い人ではなく良い人であると言えるよう、ワシントン大会を通してすべて成し遂げておいたのです。反対していた人も称賛せざるを得ず、「お父様は傑出した人だ」と言わざるを得ないように、結論を下しておきました。

20 ワシントン大会を中心として、私がアメリカに来てこれまでしてきた闘いが一段落したことを宣布します。私が一九七一年十二月十八日、ワシントンDCに着陸しながら考えたことは、「昔、イエス様はローマで闘うことができなかったが、私は民主世界を代表するアメリカの地で闘い、勝利に導くことができるか」ということでした。その時の思いが、今も鮮やかによみがえってきます。
 これまで、アメリカの言論機関と全国民が統一教会と私に反対しましたが、その反対を突破し、今日、私たちがこのような大会まで執り行ったという事実は、神様が生きていらっしゃるという証拠を如実に見せてくれたものだと思います。

アメリカの三大大会勝利とモスクワ大会宣言

 ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデン大会、ヤンキー・スタジアム大会、また、ワシントン大会の三度にわたる大規模集会は、蘇生、長成、完成の三段階の勝利を意味し、摂理史のすべての失敗を、世界的国家を代表して清算するという意義もある。真のお父様は、ワシントン大会の翌日の一九七六年九月十九日、共産世界の解放のために、次の大会はモスクワで開催することを公表された。モスクワのクレムリンを切り開いてこそ、神様と人類の解放が起きると語られ、真の愛を通して世界の隅々に自由の鐘を響かせようと力説されたのである。

21 今日、アメリカは世界の縮小版です。アメリカの運命は、世界の運命と神様の摂理を左右するでしょう。神様は、この国で展開しようとする明確な計画を立てていらっしゃいます。私はヤンキー・スタジアム大会で、「もし皆さんの家庭で病が発生すれば、外部から医者を連れてくる必要がないでしょうか。もし皆さんの家から火が出れば、外部から消防士を連れてくる必要がないでしょうか。神様は、私に医者と消防士の責任を任せてアメリカに送られたのです」と語りました。
 一九七六年九月十八日のワシントン大会でも私は、「神様は、この国に新しい啓示を伝えるために私を送られました。そして、特にアメリカの未来の指導者となる若者たちを御自分のもとへ導くようにと、私を召されたのです」と宣言したのです。

22 一九七五年六月七日、六十カ国の代表たちが参加する中、韓国で百二十万の救国世界大会を開催しました。これは、国家と国民、実体を中心として、勝利の立て札を立てたことになります。今やアメリカで三年路程と連結すれば、霊肉の実体を中心として、アメリカが新しい一つの希望の国へと前進することができると考えるのです。これが摂理観です。ですから、アメリカのニューヨークにあるマディソン・スクエア・ガーデン、ヤンキー・スタジアム、ワシントンDCにおいて、三次にわたる国を挙げた大会を行うことにより、韓国で築いた勝利的結果を、アメリカの地で実体として成し遂げるのです。それにより、世界的な一つの中心型をつくり上げて、新しこを開くことができるのです。

23 ワシントン大会までは、激戦を繰り広げなければなりません。マディソン・スクエア・ガーデン大会によって、初めてアメリカ国民が驚き、「いやあ、レバレンド・ムーンはこのような人なのだなあ!」と言ったのです。大会の前日、私たちが開いたバンケットにCBS放送編集部の副責任者が来て、私に「レバレンド・ムーン、自信はあるのか」と尋ねるので、「自信がある」と答えました。「ワシントン・ポスト」や「ニューヨーク・タイムズ」などが不可解な出来事として捉え、「その会場をどのようにして満たすのか」と言いながら、懐疑的な目で見ていたのが、ほんの数日前のことのようです。
 彼らとしては、アメリカの言論機関で実施した今までのあらゆる調査を通して考えてみるとき、それは不可能だと思えるのですが、「自信がある」と言うので、不可解でありながら、それが非常に新鮮だというのです。
 しかし、私が知っている天は、彼らがコンピューターで出した統計を凌駕できる能力があると確信していました。そうして、想像を絶する意外な破格の勝利を収め、その時から世論の注目の的になり始めたのです。「この団体は、強力な団体である。レバレンド・ムーンは問題の男である」と言いながら、世論が総攻撃し、集中砲火を始めました。一九七二年からの三年間で、お父様が世界的にうわさとなりました。アメリカの全国民が知らなければならず、自由世界の国民全体に三年間で知らせてあげなければならない責任があったのです。

24 最初は、アメリカの食口全体を糾合し、国際(伝道)機動隊を編成して全米を巡回しながら、マディソン・スクエア・ガーデン大会からヤンキー・スタジアム大会とワシントン大会まで行うことを内密に話しても、誰もが「信じられない話だ」と思いました。
 まず、統一教会員たちが信じることができませんでした。ですから、アメリカの一般大衆が信じてくれることを願っても、それはあり得ないことです。そのため、一般の言論機関や有識者たちは、「アメリカのことを知らない一人の男がアジアから現れても、何日かすればいなくなる」と度外視したのです。 しかし、彼らが見つめるのは平面的な観点からであり、私が見つめるのは立体的な観点からです。横的に見つめる全体の力よりも、縦的に見つめる全体の力が常に強くなければならないという信念を、お父様だけがもってきたのです。

25 一九七五年から七七年までの三年の期間に、世界の統一教会は受難の道を歩んでいます。ですから、ヤンキー・スタジアム大会は、アメリカだけでするのではなく、全世界が一緒にするのです。この三年間の世界的な受難の道のうち、二年目の一九七六年に、ニューヨークのヤンキー・スタジアム大会で勝利し、その次に、ワシントン大会で勝利するようになれば、三年の峠を越えるのです。もしヤンキー・スタジアム大会とワシントン大会に勝利し、一九八一年まで通過すれば、共産圏は私たちの門の中に入ってくるのです。そのようにさえすれば、七年間のうちにモスクワまで到達するだろうと、私は考えます。これが原理観です。万一、ここで誤れば、また二十年延長されます。共産勢力を押しのけることができなければ、多くのキリスト教徒が虐殺されるでしょう。血を流すようになるというのです。このような恐ろしい歴史的時代が待っているのです。これは、漠然とした話ではありません。歴史は、原理観的な立場で発展してくるのです。

26 統一教会で祝福を受けた家庭全体が動員され、民族を感化しなければなりません。このようにしていけば、必ずプラス的な立場で世界に前進できる舞台が現れるのです。間違いなくそうです。自由世界であれば自由世界を一つにしたあとに、プラス、すなわち主体となり、ソ連や共産世界に必ず影響を及ぼすようになるというのです。
 そのような観点で、お父様はワシントン大会後、モスクワ大会を宣言したのです。ですから、今、モスクワ大会のために激しい勢いで準備をしています。皆さんが知らないソ連の衛星国家の地下で、この時間にもみ旨のために命を懸けた闘争が繰り広げられているというのです。

27 ワシントン大会後、モスクワ大会を宣言しました。そのため、共産主義追放運動を私が展開し、文化使節を通して共産世界のすべての文化活動にブレーキをかけるでしょう。今、その運動を始めています。共産主義者たちを追放するのです。ですから、皆さんは共産主義者たち以上にやらなければなりません。サタンは、力が弱いときに占領し、攻撃してくるのです。今まで私一人の開拓時代には、そのようなことを物ともせず、沈黙と無言で歩んできました。
 第一回の三次にわたる七年路程が終わり、子女たちが第二回の三次にわたる七年路程を出発するときには、万全の準備をして、強い信念と強い体力を備え、その伝統を残さなければなりません。共産世界は、皆さんが引き受けて闘わなければなりません。私が父母の立場で闘うことはできません。また、銃剣を持って、力で闘うことはできません。愛をもって闘わなければならないのです。共産主義者たちは、民主世界を滅ぼして共産世界をつくろうとしますが、私たちは民主世界も救い、共産世界も救ってあげる体制をつくらなければなりません。

 
《1991年 真のお母様日本巡回集会「統一教会全国信徒大会」》
日本統一運動史(光言社)p447

 真の御母様をお迎えして全国信徒大会が、 千葉 (9月18日)、 岐阜(9月20日) 福岡 (9月24日) で行われました。 9月18日、 東京ベイNKホールで行われた大会には、7000名の教会員が集まり、真の御母様御一行をお迎えしました。 第一部のアトラクションでは、孝進様が特別出演され、サンライズオーシャンとともに歌を2曲歌われ、 続いて祝福の子女が歌とパレードを披露。 最後に 『御父母様の愛の軌跡』 というビデオを上映、真の御母様の歩みが紹介さました。 第二部では、 小山田秀生氏が今後の方針を報告した後、 神山威氏が歓迎の挨拶を述べ、真の御母様が万雷の拍手の中で登壇されました。 御母様は、時々目に涙を浮かべ、 声を詰まらせながら、 日本食口の苦労をねぎらわれました。 そして全日本食口へ、記念品として「貴石」をプレゼントして下さり、すべての信徒を代表して神山威氏に手渡されました。 神山氏はそれをまず初めに、 70歳以上の食口に、 ねぎらいの言葉をかけながら配りました。


◇ 真の御母様の御言
 「今日、私たちがこの場に集まった本当の意味は、王権復帰を通じた地上・天上天国を建設するためです。 今こそ私たちエバの使命が重要であるために、 『世界統一教会女性連合』 を結成して、 新しい決意を誓おうとするものです。 旧約聖書に現れた偉大な女性の一人に、イスラエル選民の後裔としてペルシャ王朝の王妃となったエステルがいます。彼女はイスラエルの民族を救うために、『わたしが、もし死ななければならないのなら、死にます」と言いながら、死を覚悟するほどの壮絶な決意で、王妃の地位と命を懸けて立ちました。三日間の断食をし、怨讐ハマンの陰謀を粉砕するために勇敢でありました。か細い女性であったエステル王妃一人のゆえに、 全イスラエル民族は異邦民族が加える死の危険から逃れました。 きょう私たちは、エステル王妃の 『わたしが、もし死ななければならないのなら、死にます」 という、死を覚悟した勇気と知恵を教訓として、 世界的な王圏復帰の先頭に立たなければなりません。 再臨主の前の新婦の立場にいる私たちの使命を果たさなければなりません。 2000年のキリスト教が成しえなかった再臨主を迎えることを、私たちエバがしなければなりません。」(1991. 9. 18)
◇御言
 「御母様が日本に行ってエバ国家の責任を果たすことのできる道を開くのです。 日本と韓国は、一つにならなければなりません。御母様は、エバの代表です。 日本の伝統的精髄でもって父母に侍ることができる娘として、夫に侍ることのできる妻として立たなければならないことを御母様が見せてやり、 教えてあげるのです。 それでそのような使命をもって出発したのです。・・・先生は責任を果たしました。 今では、体験しうるあらゆる闘いを皆、終えました。 ですから、今から御母様が教育をしなければなりません。 御母様の家法を中心とした情緒的思想の伝統を立てなければなりません。 御母様は責任があるので先生に代わって日本に行ったのです。 10日間で日本の霊界を完全に引っ繰り返してきたのです。 これは、 天運が共になければできないことです。そのようなことを皆さんも知らなければなりません。」 (1991.10.13)

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