統一運動《7/15 今日は何があった?》
1958年 崔奉春日本宣教師派遣 釜山港から乗船 👇
1964年 日本統一教会、宗教法人登録 (7/16設立)久保木修己氏が会長に就任
1970年 韓国、教団指導者招請集会、協会本部 👇
1974年在日韓国青年指導者セミナー(米国、ニューヨーク) 👇
1985年文孝進様、文國進様、朴珍成様が御来日
1987年第2回「青年宗教者奉仕団(RYS)」(~8/19)
1987年第11回「東西宗教の出会い」セミナー開催(東京、ヒルトン)
1988年第38回「統一主義に関する米国牧師会議」で、訪韓した牧師延べ7845人になる(~7/22 韓国)
1993年 「真の父母と成約時代」宣布アメリカ巡回講演 オクラホマシティー、マリオット・ホテル
1997年360万双の祝福完遂、4000万双へ拡大される
2000年第400回「清平特別祈祷修練会」で第11次霊人祝福式(韓国)
2003年「第1 イスラエル圏平和統一更生運動は神様の祖国創建の理想」をス ローガンに行われた南北統一を願って祈願祭 (韓国、 臨津閣)。 日本の 牧会者たち約1000人が参加 👇
2003年 2003ピースカップ・コリア国際サッカー大会、ソウル、ワールド・カップ競技場 👇
2005年 2005ピースカップ・コリア国際サッカー大会、ソウル、ワールド・カップ競技場
2006年 「天宙平和連合」祖国郷土還元120か国大会 イギリス、ロンドン、王立園芸院
2007年第1回「天宙平和連合指導者セミナー」(~16,韓国、清心国際青少年修錬院) 👇
2008年日本宣教50周年記念大会(東京)
2017年「超宗教フェスティバル」開催(米国・ニューヨーク)
《1958年 崔奉春日本宣教師派遣 釜山港から乗船》
真の父母経p291
日本に宣教師派遣
真のお父様は、一九五八年五月三十日の早朝、忠南の鶏龍山・甲寺の裏庭にある松林で、崔奉春(チェボンチュン:日本名、西川勝)に二時間近くみ言を語られたのち、日本宣教師として派遣することを決定された。誰よりも日本を愛する心で、ただ日本を救うために、そのようにされたのだった。崔宣教師は、抑え切れない胸の高鳴りと感慨を抱いて、一九五八年七月十五日、釜山を出発し、いくつかの場所を経て広島の呉港に向かう航海の途中で、日本の当局に不法入国者として捕らえられ、収容所への拘束、病院への入院、病院脱出ののちに東京に到着し、その後、み言を伝えた。そうして、一九五九年十月二日、新宿区戸塚町二丁目八五番地で行われた最初の礼拝をもって、日本教会が出発したのである。
6 日本とお父様は、一対一で見れば怨讐です。日本統治下で、たくさんの拷問を受けました。しかし、神様は怨讐を打てとは命令されません。怨讐に着る物がなく、食べる物がなければ、「その人のために施しなさい」と言われるのです。ですから、お父様は、日本に崔奉春を宣教師として送りました。日本全体が反対し、韓国自体が反対することを知っていました。しかし、お父様は、数十年後にはそれが韓国のためになり、日本のためになることを知っていました。両国の国民が手を合わせて感謝する日が必ず来ることを知っていたので、いかなることがあっても日本に宣教師を送ったのです。
統一教会に対する弾圧が絶頂にある時、日本宣教師の派遣を決定しました。一人の人手も惜しいその時に、涙をこらえて日本に人を送ることは、誰も知り得ない苦悩があったのです。死を覚悟して成し遂げた業績は、日本の歴史上において消し去ることができない事実です。
今になって韓国は、お父様に対して感謝しています。神様は日本を愛しています。お父様も、日本の歴史上、誰よりも日本を愛しました。日本人以上に日本を愛するのです。神様が愛する日本であれば、日本人以上の心情で日本を愛さなければなりません。
日本統一運動史(光言社)p124
釜山からの出航 (1958.7.15~17)
1958年7月15日夜、 崔奉春宣教師は密航船に乗り込み、17日に韓国の釜山を出航しました。
「船が来た。 食糧を買い込んで、 (15日) 夜、遂に出航した。 外の乗客との待ち合わせがあるので、16日、 一旦停泊して、 夜再び待ち合わせて、 夜中1時頃出航した。 ようやく、 望みがかなって、 日本に向けて出航である。」 (『成約の鐘』 1971年9月号)
崔奉春宣教師の証し
「実際申し上げますと、 私が来る前にも、一人か二人が日本に伝道に来たらしいのです。 ... どんなことでも、 良いことであるならば、 できないとか不可能であるということは絶対言うな、最大限努力すれば必ず成るという自信を持ってやるのです。 ... 私が日本において成功した秘訣、…初期の人々、 先輩たちが勝利した秘訣は何かというと、 できるんだという確信をいつも持っていたことです。」 (1976.1.15)
《1970年 韓国、教団指導者招請集会》
平和経p201
統一教会の創立意義と背景
日付:一九七〇年七月十五日
場所:韓国、ソウル、龍山区、統一教会本部
行事:韓国宗教協議会七宗教団体指導者訪問
https://cafe.daum.net/ckatkfkdrhdqn/V1yi/17?svc=cafeapi
《1974年在日韓国青年指導者セミナー(米国、ニューヨーク)》
日本統一運動史(光言社)p353
1974年7月15日から30日までアメリカのニューヨーク州で在日韓国青年指導者セミナーが開催されました。 その目的は、 日本に住む僑胞青年が国際的視野に立ってもう一度祖国を振り返り、 民族を支える勝共指導理念を確立しようというもの。 崔容碩団長は「一国の命運を担う青年たちに指導理念と希望を与えることがまず我々の使命」 と語られました。
《2003年「第1 イスラエル圏平和統一更生運動は神様の祖国創建の理想」をス ローガンに行われた南北統一を願って祈願祭 》
日本統一運動史2(光言社)p263
2003年7月15日、 韓半島の南北平和統一を願う祈願祭が、 韓半島を分ける非武装地帯が目の前に広がる韓国・臨津閣の望拝壇で行われました。 天安市と牙山市で行われた世界文化体育大典2003に日本から参加していた1000人が、 そこで祖国光復のための祈りを捧げました。
祈願祭は、 午前11時から、 小山田秀生WCSF日本組織委員長が祈祷して始まりました。 小山田委員長は、 韓半島の分断の責任は日本と米国にあるとして、 両国が 「韓半島の統一に責任を持ち、一日も早く臨津江を越えて平和の行進ができるように」と祈願しました。
劉正玉総会長は、講話の中で「人類が堕落した結果、 民主主義と共産主義という二つの思想が生まれ、この二つが対峙し合っているのが韓半島である。 南北分断から55年。 世界にこれほど民族の統一を願う民族はいるだろうか」と訴えました。
その後、 望拝壇でろうそくに火をともし、線香をたき、 全員で望拝壇に向かって一礼。 祖国光復を願って 「統一の歌」 を韓国語で歌い、一日も早い南北の平和統一の実現を全員で祈祷しました。平和的南北統一の願いを込めて1000個の風船を飛ばし、 100羽の鳩を大空に放ち、億万歳を唱え、「第1イスラエル圏平和統一更正運動は神様の祖国創建の理想」の横断幕を持って記念撮影をしました。
《2003年 2003ピースカップ・コリア国際サッカー大会》
真の父母経p1089
鮮文ピースカップと圓球ピースカップ
ピースカップとピースクイーンカップ
真の父母様は、心情文化世界の具現のため、二〇〇二年六月、ソウルのリトル・エン ジェルス芸術会館において、鮮文ピースカップサッカー大会を創設された。ピースカップは、「鮮文平和サッカー財団」が開催する国際クラブサッカー大会であ り、二〇〇三年から二年ごとに大会が開かれた。第一回、第二回、第三回の大会は韓国で開催され、二〇〇九年の第四回大会はスペインのマドリードとアンダル シア、第五回大会は二〇一二年七月、韓国の水原で開催された。一方、二〇〇六年からは、国際女子サッカー大会であるピースクイーンカップも二年ごとに開催 された。
1 鮮文ピースカップは、どこから来たのでしょうか。お父様から来たのではありません。天から来ました。それゆえ、いい加減に考えてはいけないというのです。いい加減に考えれば、問題が生じます。
摂理がそうだから、そのようなことをするのであって、それをして利益になることはありません。皆さんのように考えれば、利益になることは一つもないというのです。
《2007年第1回「天宙平和連合指導者セミナー」》
日本統一運動史2(光言社)p463
2007年9月の「アベルUN」の本格的な出帆大会を前に、統一運動の理念と活動を広く一般に知らせる目的で、 第1回 「天宙平和連合(UPF) 指導者セミナー」が、 2007年7月15日から16日まで、京畿道加平郡雪岳面の清心青少年修錬院で行われました。
これまで、東京大学OB 同窓会が済州島で8回行われましたが、その延長線上に、東大のほか、京大、早稲田、慶應などの同窓生たちが集いました。
参加者は東大、慶應が各30人、 早大20人、京大10人のほか東北大、一橋大のOBら120人でした。 朝鮮総連系の元幹部、 東大元教授などが含まれ、年齢も20歳代から80歳代まで幅広い人々が参加しました。
任導淳総会長は、今回のセミナーは成功であったと総括し、 「参加者120人が4倍化されることを期待する」と参加者を激励し、真の父母様のキーホルダーを全員にプレゼントして閉会しました。
OBらは翌17日、天正宮博物館での訓読会に参加して、 真の愛についての御言を訓読しました。 その後、真の御父様は「環太平洋時代に入り、女性の役割が重要である」と話され、 国際祝福で韓国の男性と祝福を受けた早稲田OBの女性ら二人が、韓国の舟唄を披露しました。
真の父母様は、 「参加した120人を120か国に配置すればよい。 そのようになれば日本が主導権を持つ。日本が新しい朝を迎えることができる一番早い道が、 この道だと思うから、 先生が決定したのだ。全部、太平洋環境圏に配置する。 今からは環太平洋を中心に最後の決戦である」と語り、 参席者を激励されました。
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