統一運動《12/5 今日は何があった?》
1971年 日本、東京到着
1971年 真の御父母様ご一行、第3次世界巡回出発(崔元福女史、金榮輝先生同行,1972年5月8日まで、15か国,156日間)
1979年「宗教新聞」創刊、社長:松下正寿氏、編集長:黛亨氏
1991年 北朝鮮・定州、忠父様・忠母様の墓参
1993年 「真の父母と成約時代」宣布世界巡回講演 ナイジェリア、アビジャ、トランスコープ・ヒルトン・ホテル1994年鄭壽源先生が日韓人中央会会長に就任
1999年「新千年を迎えるための食口集会」 (韓国、ソウル)1999年「真の家庭運動東葛大会」 (千葉県我孫子市)2001年真の御母樣による「天宙平和統一国·米国大会」(~15、米国8加都市)
2005年 「天宙平和連合」創設記念世界巡回大会 サモア、アピア、政府祈祷院
2021年神統一韓国のための救国救世祈祷会(韓国・清心平和ワールドセンター)
《1971年 第3次世界巡回出発》
真の父母経p600
第三節 第三次世界巡回
世界的宣教基盤を築いた第三次巡回
真の父母様は、一九七一年十二月五日から七二年五月八日まで、十五カ国を対象に第三次世界巡回を行われ、この期間、特にアメリカ、イギリス、ドイツの三カ国の主要都市で講演会を主宰された。真の父母様は、アメリカのビザの問題で日本とカナダを経曲し、十二月十八日、紆余曲折の末、アメリカに入国したのち、巡回譴演をされるなど、目覚ましい活動を展開された。そして、一九七二年三月十六日にイギリスのロンドンに到着し、二十日から二十二日まで巡回講演を行われ、三月二十三日にはドイツのエッセンに到着して、二十八日から三十日まで巡回講演を行われた。三月三十一日、オランダに到着された真の父母様は、フランス、オーストリア、イタリア、ギリシャ、イスラエル、イラン、インド、タイ、台湾、日本などの地を経由して、帰国の途に就かれた。真の父母様は、第三次世界巡回を通してアメリカに滞在しながら、その間、個別的に行われていた宣教活動を組織化し、食口たちを直接、教育することによって、宣教の新しい時代を開かれた。
1 第三次七年路程が一九七五年から出発するので、三年前から基盤を築かなければなりません。その基盤を築くことができなければ、世界的な第三次七年路程で、有効かつ適切な勝利を収めることができないのです。それで、一九七二年から三年間を準備期間に定めたのです。三年の間に、この峠を乗り越えなければなりません。
父母様は、第三次七年路程を通して、大韓民国を世界に連結させる責任を果たさなければならないので、今まで大韓民国で築いた基盤を中心として、一九七二年にアメリカなど、世界の重要な国家に相対的な基盤を築いて帰ってこなければ第三節第三次世界巡回ならないのです。その基盤を築くのが第三次世界巡回路程です。
真の父母経p630
第二章 真の父母様のアメリカ摂理と巡回講演
第一節 真の父母様のアメリカ摂理出発
困難を経て実現したアメリカ路程
第三次世界巡回は、真の父母様がアメリカに滞在しながら世界宣教活動を主導するために推進されたが、序盤から難関にぶつかった。韓国出発から、日本を経由してカナダ、アメリカ到着に至るまで、多くの困難が伴ったが、紆余曲折の末にアメリカに到着され、アメリカを中心とした世界宣教の陣頭指揮を執られるようになったのである。
1 一九五九年に、世界的基盤を築くため、アメリカに宣教師を配置しました。宣教師たちが責任を果たしていれば、相当な影響を及ぼしたでしょう。私がアメリカに行って、三年路程を通して血を流す路程を経なくても、難なく勝利できる基盤を築いていたのです。急がれる天のみ旨と天的な使命を知っていましたが、アメリカにいる宣教師たちを中心としては、アメリカを手際よく処理できませんでした。彼らはアメリカを相手にすることができないというのです。それで、一九七一年にアメリカに行く時、神様と約束をして出発しました。韓国と日本を突破したので、アメリカを突破しなければならないと考えたのです。
2 私たちが最初、韓国から日本に出発しようとした時が、韓国政府が国家非常事態を宣言(一九七一年十二月六日月曜日)する正に前日でした。よくよく見れば、事態が切迫しているというのです。それで、出発しようとしたのですが、日曜日で手続きができないのです。外務部旅券課課長の決裁を受けておかなければならないのですが、受けていませんでした。日曜日だとしても出発しなければならないのに、認証書がないので出発できなかったのです。ところが、出国三十分前に旅券課の課長と会うことができました。それは天の役事です。
3 一九七一年に、私がアメリカに出発する時には食口たちに話しませんでしたが、神様の特別な命令があり、三年間で、アメリカに対する世界史的な使命を果たさなければならない責任を感じて、アメリカに向かいました。アメリカ国民に対して、どのように三年間で新しいキリスト教、新しい信仰の道へと向かうように方向を設定してあげるかということが、神様の求めるみ旨であると知ったので、単独でその巨大な国に行ったのです。
行く道がどれほど大変だったか、金浦(キムポ)空港を出発する時から問題が起こりました。その時、出発できなかったはずなのですが、特別な縁が結ばれて出発できました。そして、日本に寄ってみると、そこでも問題が起きました。アメリカに入ろうとすれば、ビザがなければならないのですが、ビザが出なかったのです。入らなければならない神様のみ旨があったので、どのような冒険をしてでも、アメリカに入らなければなりませんでした。
それが思いどおりに行かないので、カナダに入ってその道を開こうとしました。それで、カナダにいる統一教会の食口たちを前に立てました。私に対して、アメリカ国務省が何を理由に入国許可を出さないのかを、カナダにあるアメリカ大使館に行って調べたのです。
アメリカ国務省から来た報告は、「レバレンド・ムーンは一九六七年以降に、共産勢力と一つになって協助した前歴があるので、入国させることはできない」というものでした。誰かが、統一教会の文某という人は共産党と手を組んで協助したという報告をしたのです。それで、それに対して抗議しました。アメリカの上下両院議員たちに電話で連絡を取り、彼らを通してカナダにあるアメリカ大使館を四方から攻めたのです。
ですから、彼らは国務省に連絡したのですが、その時、かなり大きな問題になりました。韓国大使館まで問題になったのです。このようにして、自分たちの報告が事実でないのが明らかになることによって、仕方なく私にビザを出し、アメリカに入れるようになりました。
4 カナダで数日だけでも延長されたとすれば、入ることができません。それを見て、悪の勢力、見えないサタンの勢力が、神様のみ旨を成就しようとするその道に、あらゆる手段で反対していることを如実に感じました。そうして、カナダからワシントンDCに行こうとするのですが、希望する時間に飛ぶ飛行機がありませんでした。
当時、「リトル・エンジェルス芸術団」が、一九七一年十二月十八日にケネディセンターで公演するその時間までに、そこに行く約束をしていました。何としてでも、その時間に合わせて到着しなければならないのですが、飛行機がないので、仕方なく双発機に乗って非常に低く飛び、山合いを通りながら六時間もかかって到着しました。このようにしてアメリカに入ったのです。