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統一運動《10/1 今日は何があった?》

1960年 子女の日 青坡洞の前本部教会
1965年真のお父様御一行、日光方面へ
1971年日本統一教会全国巡回師制度の出発1972年日本に「統一思想研究院」設立 👇
1973年 アメリカ、21か都市巡回講演会 ニューヨーク、カーネギー・ホール 👇
1980年 オーシャン・チャーチ設立 👇

1981年 第4回「世界言論人会議」、ニューヨーク、ビスター・インターナショナル・ホテル
1986年日韓トンネル調査斜坑起工式(日本)
1996年 「世界平和統一家庭連合」185か国結成南米大会 ドミニカ共和国、サントドミンゴ
1998年「第4次霊人祝福式」
2002年 天宙平和統一解放聖火式、漢南国際研修院
2003年「超宗教超国家平和協議会(IIPC)」創設会議(~10/3 米国・ニューヨーク) 👇
2006年 天宙平和祖国郷土天地還元勝利釈放40ヵ国世界巡回大会 アルゼンチン、ブエノスアイレス、パンアメリカーノ・ホテル
2007年統一教会創立48周年記念式典(東京・本部教会)
2009年 真のお父様自叙伝英語版出版記念会、ワシントンDC、シェラトン・ナショナル・ホテル
2009年月刊「TODAY’S WORLD JAPAN」発刊(日本)

《1971年日本統一教会全国巡回師制度の出発》
日本統一運動史(光言社)p318

 1971年10月1日より、 全国に男性12名 女性12名 壮婦12名の合計36名の巡回師が配属されました。 復興会を中心とする伝道体制を強化し、食口の緻密な信仰指導をも担当する使命が与えられて出発しました。 1972年の4月までに4倍化を目標にし、 79教会が118教会に拡大され、全国で多くの開拓伝道が成されました。

《1973年 アメリカ、21か都市巡回講演会》
真の父母経p652

アメリカの主要都市大講演会

 アメリカの二十一カ都市講演会は、一九七三年九月七日、「ニューヨーク・タイムズ」に全面広告を掲載することをもって始まった。真の父母様も自ら著名人士にコンタクトを取りながら大会の準備を急がれ、全国五十州とワシントンDCに派遣された五十一の世界統一十字軍を中心に、大々的な活動を展開された。その基盤の上で、一九七三年十月一日から七四年一月二十九日までの四カ月間、「キリスト教の危機と新しい希望」をテーマに、アメリカの二十一カ都市で「希望の日」大講演会を主宰されたのである。講演内容は、「人間に対する神の希望」、「アメリカに対する神の希望」、「キリスト教の将来」などであった。真の父母様は、講演会の期間に、各界の有力者たちからの支持を引き出し、市長から幸運の鍵と感謝状、激励文、名誉市民証を授与された。また、三十二の大都市講演会は、一九七四年二月十六日から四月二十日まで、「キリスト教の新しい未来」をテーマに、先の二十一カ都市を除いた残りの地域で延長して開催された。

9 お父様は、一九七三年の末に二十一カ都市で大講演会をしようと思います。以前に行った七カ都市も加えるのです。ですから、十四カ都市だけ選べばよいのです。今後、ニューヨーク(にある修練所と同)水準の修練所を、ワシントンDC、セントルイス、デンバー、シカゴ、サンフランシスコ、ロサンゼルス、ダラスに造らなければなりません。できれば、食口たちが集中する所に力を注がなければなりません。十月一日、ニューヨークから行うのです。来年は五十州で行います。そうすれば、もはやアメリカの人たちは、誰もお父様の話を聞いたことがないとは言えません。その次には、皆さんが進み出るのです。これをするためにも、皆さんが基盤を築かなければなりません。伝道しなければならないのです。一つの州で五十人以上にならなければなりません。基本の食口がいなければなりません。ですから、十月まで、一生懸命にやらなければならないのです。

10 アメリカにおいて、一九七三年十月、二十一の州の代表都市を通して攻勢をかけるでしょう。このようにして反対がなくなれば、五十州でそれを行い、その次には、皆さんが毎日のように公開講義を行うのです。このようにして、一九七八年までにアメリカ全域にこのブームを起こし、キリスト教指導者たちが「これからは統一教会を研究しなければならない。統一教会を探らなければならない」と言って、全体が一つの垣根の圏内で、世界に向かって動くことができるようにしておいてこそ、アメリカが復帰されます。今後、国家的な基準では、キリスト教の再復興と共産主義の脅威からの防衛、この二つの問題が、次第に切迫した問題として登場するだろうというのが、お父様の観点です。間違いなくそのようになるでしょう。ですから、それに対する準備さえしておけば、間違いなく、このアメリカがそのような立場に立つようになるので、私たちを前に立てざるを得ない時が来るだろうと考えるのです。ヤコブが天使に勝ったあとにエサウを訪ねていったのと同じように、皆さんはキリスト教会との闘いで勝ったあとに、共産主義と闘わなければなりません。言い換えれば、皆さんが教会基盤を築いたあとには、共産主義に勝てる理念によって武装し、全世界に進軍しなければならないというのです。ですから、「民主世界、キリスト教、共産世界の誰が反対しても、問題ない」という信念をもたなければなりません。「神側に私が立っているので、神様は私たちを祝福してくださる」という信念をもちなさいというのです。

11 アメリカには、韓国、日本、台湾、イギリス、フランス、イタリア、ドイツ、オランダ、オーストリアなど、十カ国の人が集まっています。十カ国の人々が、民族と国家を超越し、神様のみ旨と超民族的な心情を中心として、新しい起源をつくることのできる、厳粛で驚くべき瞬間です。私たちはここで、一つの目的のために共に死ぬことができるという信念をもっています。今や三年路程は、一年半が残っています。この三年の期間に、アメリカが世界的な責任を果たせるようにするため、今、イギリス、あるいはアジアから、大学院生たちを連れてくるのです。一九七二年と七三年に、六十人近い上院議員と下院議員たちに会ったのも、これを準備するためです。お父様が、アメリカで七二年に七カ都市、七三年に二十一カ都市、七四年に五十カ都市を中心とした復興会を計画したのは、アメリカの人々に知らせるためでした。お父様の話を聞いたことがないという言葉が出てこないように、知らせるためだったのです。言い換えれば、新しいイスラエル、カナンの福地に向かう出動のためのものなので、この三年間にすべて知らせてあげなければならないというのです。イスラエル民族がカナンに復帰するとき、その民族がどこにいるとしても、一人残らず知らせてあげなければならなかったのと同じように、この三年間は、新しい世界的な第三次カナン復帰路程に向かって出発できるようにするための宣布をしなければならない期間です。ですから、モスクワに向かって進軍しようというのです。皆さんは、このような信念をもたなければなりません。共産世界は今、アメリカに向かって進軍してきているのですが、私たちは反対に、モスクワに進軍しなければならないのです。

12 一九七八年までには、アメリカにも共産党が脅威となる時代が来ます。これは、摂理上、避けられないことです。その時までに、統一教会の思想を中心とした基盤を、アメリカの中にしっかりと定め、すべての分野に影響を及ぼすことのできる活動体制を備えなければなりません。ですから、二十万人のアメリカの指導者たちに対し、三年以内に「統一原理」と「勝共理念」と「統一哲学(思想)」についての本を三冊ずつ、六十万部を無料で配布する計画を立てています。そして、一九七三年十月一日から三年間、アメリカで大講演会を始めなければなりません。二十一カ都市を中心として、大々的な講演を実施するでしょう。十月一日からカーネギー・ホールを借りて、講演を行う準備をしています。ですから、千人を動員しなければならないというのです。

13 一九七四年二月十六日からは、アメリカで再び巡回大講演会を出発しなければなりません。ですから、四十カ都市を定めて、韓国に帰ってきました。このようなことを始めるのは、一個人の欲望や、統一教会の復興のためではありません。神様が格別に愛するアメリカで、今後行くべき新しい信仰的な路線を提示しなければならないみ旨があったからです。それを今までやってきてみると、全国的な問題が起きたのです。アメリカ国民に、お父様のことが広く知らされたと思います。言論界が動員された問題や、想定外の問題が起こって全国的な問題となり、さらにウォーターゲート宣言は、実に歴史的な大きな旋風を巻き起こしました。国内だけでなく、外国にいる統一教会の食口たちが、お父様の指示に従って歩調をしっかり合わせてくれることにより、正にアメリカの言論界や社会的に地位の高い人々が、私たちの活動に対して過小評価したことについて、電話、あるいは紙面上で謝罪してきています。私たちが今まで活動してきたことが、彼らに相当の影響を与えたことを感じて帰ってきました。

14 一九七四年の「希望の日」巡回講演会の期間に、私たちに対して積極的に反対するその背後には、必ず共産勢力がいて操っているはずです。路傍伝道隊が活動する所には、共産主義者たちが来ていると思います。ニューヨーク集会の時から全国で反対し続けているのは、そのような動機からだと、摂理的に考えるのです。今、キリスト教を見れば、私たちに反対する人たちもいて、支持する人たちもいますが、彼らはいずれにしても、反対する人のほうに傾くと見ています。
 共産勢力を蘇生級とすれば、キリスト教が長成級で中間なので、これはイエス様の時代のユダヤ教に相当するのです。ですから、キリスト教は、イエス様の時代に反対したユダヤ教と同じなので、必ず反対します。
 原理的に見れば、蘇生圏と長成圏はサタンの支配下にあり、私たちは完成圏の基盤をもって世界的基盤を越えることができる時になりました。ですから、私たちが完全に民族を超越し、強力に一つにさえなれば、サタンは退くというのです。このような原則が原理観です。蘇生圏と長成圏はサタンが恩いどおりにできますが、完成圏に入れば、思いどおりにできないのです。

15 私はアメリカに来て、皆さんが信じられないことを、今までたくさん行ってきました。年数では三年ですが、一年八カ月にしかなりません。このように見れば、今後、私たちはどれほど影響を及ぼすことができるでしょうか。これは、既に韓国で証明され、日本で証明され、台湾でもそのような基準を認定する段階に入ってきました。一九七三年七月一日に「勝祝日」を定め、一年以内に「勝恨日」を決定しました。それらの日は、西欧文明世界において、天から記念することのできる一番目の日であり、二番目の日です。アメリカですべきことを韓国に行ってしたのは、韓国にも世界的運勢を結んであげなければならなかったからです。それは、皆さんが初めて聞くことであり、考えもできなかったことです。私たちが実践してこのような基盤を築き、「世界が私たちの舞台である」と自信をもって私たちの視野で見つめられるようになったのは、驚くべきことです。私は、アメリカに来て、今や成功しました。それは、私がしたのではありません。神様がしたのです。

《1980年 オーシャン・チャーチ設立》
真の父母経p1150

アメリカ水産事業の発展

 真の父母様は、アメリカで沿岸警備隊がいる三十カ所にオーシャン・チャーチをつくって訓練し、アメリカの水産事業、趣味を兼ねた海洋観光事業を準備された。また、セイロ組織の全米化と水産事業販路の世界的基盤を築こうとされた。
 このような海洋摂理のために、造船所と水産物加工工場を建て、若者たちに販売の訓練をされた。五大洋で獲れる魚を一時に供給するための組織を編成して、アメリカの水産市場を主導しようとされたのである。また、「国際海洋産業(IOE)」という水産物運輸事業も始められた。

30 私たちは、アメリカで沿岸警備隊がいる三十ヵ所に基地を造り、「オーシャン・チャーチ」という名前で新しい教会組織をつくって活動しています。そうして、 その地方に行き、魚を獲るすべてのことを革新するのです。改革をしようというのです。
 座って他の人に付いていく人は改革ができません。立ち塞がって、「私の話を聞いてみなさい!」と言える人が改革をするのです。そのようにしようとすれは、そのような人を育てなければなりません。

31 私が、アメリカで海洋を開拓するために、アメリカにないものを一つつくったのですが、それがオーシャン・チャーチです。最も重要な所に、三十のオーシャン・チャーチをつくりました。
そうして、水産事業もするのですが、海洋観光事業をしようと思います。これから世界的に観光事業を行うつもりです。趣味を兼ねた観光事業、それをするために、オーシャン・チャーチをつくって訓練させたのです。

32 アメリカで経済基盤を築くに当たって、選択した二つの事業は、セイロ(世一路)組織全米化運動、その次に水産事業販路の世界的基盤を築く運動です。これ を、どのようにしてすべて行うかが、現実的問題として登場しました。機械工業が現在、西欧文明の中心だとするならば、水産事業には主人がいません。これが 内容において、主体と対象の関係になっています。そのような意味で原理的です。
 ですから、私は、損害を受けても水産事業に投資をし、セイロの発展のために投資をするのです。教会が犠牲になっても、ここに投資して、基盤を再創造する努力をしなければならないというのです。

33 「ニューホープ」という私たちの船は、アメリカ東部においてマグロ釣りで有名であり、南米でもうわさになりました。私がそのようなことをするのも、水産事 業を開発する人材を育成するためでした。そのままではできません。私が自ら、二十四時間、船に乗って回りながら若者たちを教育したのです。最初は、「船に 乗りなさい」と言えばみな逃げ出し、言うことも聞きませんでした。ところが、私が時間さえあれば話をし、四年、五年が過ぎ、七年たつと、女性たちまでも 「私がキャプテンになる」と言うのです。そのような雰囲気をつくりました。
 そのようにしながら、造船所を造り、水産物加工工場を造り、そして、販売できるように訓練させました。移動バンを中心として、販売訓練をさせたので す。一年間で、網を作り、船を造り、魚を釣って、その次には魚の販売までしたのです。釣った魚が売れなければ、加工工場を中心として処理しなければなりま せん。シーフード・レストランまで造らなければなりませんでした。そのようなものを中心として、水産事業の基盤を築いたのです。

34 私はベリータウンに行って、鯉を数千匹獲りました。池の水をくみ上げると大きな亀が六匹も出てきましたその亀たちを、ハドソン川に放してあげました。ま た、最初に獲った鯉も放してあげました。鯉を前にして、「君たちは愛を通して生まれ、愛のために死ぬのが道理なのだから、愛する人々のために生きるのが良 いか、死ぬのが良いか」という問題について考えたのです。
 (そして、)「このように見れば、君たちは犠牲になるのだが、将来、アメリカの水産業を発展させ、統一教会の人々がこれから君たちを通して、神様の み前にさらなる忠誠を尽くし、人類をより愛することのできるエネルギーとなり、肉になると思う。君たちは魚として生まれたが、私の息子、娘と同じように、 アメリカ国民と同じように考えてあげられる肉になり、心になる。そのようになれるように愛してあげるのだが、それも嫌か。君たち鯉は、愛する息子、娘、ア メリカ国民の血となり、肉にならなければならない」と言ったのです。

35 アフリカ人が喜び、南米の人が喜び、アジア人が喜ぶ五大洋の魚を、私たちが一時に供給できる組織を編成して、アメリカ市場を占領し始めました。例えば、ア フリカ人がレストランに行って魚を食べるとき、自分が食べてきた魚、自分の味覚になじんだ魚を求めます。ところが、レストランにその魚がなければ、その客 は帰ってしまうのです。ですから、今、五大洋で獲った魚をレストランに補給できる運動をしようというのです。
 アメリカの人々は一日八時間働くので、午後五時になればレストランの門をすべて閉めますが、私たちは二十四時間、営業するのです。また私たちと関係 のあるレストランに品切れになった材料があれば、私たちと関係のある他のレスランから補給してあげるのです。ですから、誰も私たちにかないません。それ で、水産業界では、お父様の評判が高いというのです。

36 アメリカにおいて「国際海洋産業(IOE)」は、アメリカの水産事業家たちが競争の対象として注目する会社になりました。魚も獲りますが、今や運輸事業ま でしなければならないというのです。それがある基準にさえなれば、ハワイと東京の間を直行し、ヨーロッパと南米を巡回できる船ができます。
 現在、世界に多くの国々がありますが、問題はアメリカです。輸出入をするに当たって、アメリカが世界的な代表なので、このアメリカを中心として連結 しなければなりません。各国が往来しながらアメリカに品物を降ろし、帰るときは空の船で帰ります。そのように空の船がどの港にでも行けば、私たちのメン バー数百人が出てきて、一瞬にして品物を載せてあげられる組織を備えるのです。そのように、「運輸事業で世界人類を生かすための奉仕活動をする」と言え ば、全世界の国家が後援するようになるのです。

《2003年「超宗教超国家平和協議会(IIPC)」創設会議》

日本統一運動史2(光言社)p269
 2003年10月1日から3日にかけて、 米国、 ニューヨークのニューヨーカーホテルで 「新しい平和圏のためのグローバルガバナンス」をテーマに、宗教・人種・国家の壁を越えた統治組織のモデルとして 「超宗教超国家平和協議会 (IIPC) 」 を創設するための国際会議が開催され、世界160か国から、 指導者 309 人が参加しました。 IIPCは、紛争やテロの根底にある宗教間の対立の解消を目指すほか、国連の抱える課題の解決、およびエイズ、 貧困、環境などの問題解決を願って創設されたものです。 3日午前、 真の御父様は「国境線の新たな撤廃と世界平和」と題して講演され、 「ために生きることにより、 国境をなくすのが神の願いである」ことを訴えられました。 同日の午後、 国連本部の隣にある広場に、 IIPCの会議に参加したキリスト教、ユダヤ教、イスラーム、仏教などの指導者が、 韓、 日、米、英、仏、独、 伊のメンバーたちと合同で集会を開き、「一つの神の下での平和」 の横断幕を掲げてニューヨーク市内を行進しました。
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