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統一運動《12/15 今日は何があった?》

1990年 アメリカ、アラスカ、コディアク世界修練所竣工式
1992年「3万双訪韓研修会」開始 (~1993/3/27 済州島)
1999年 地上天国出発宣布、ウルグアイ、プンタ・デル・エステ
1999年 ブラジル、セネ・サッカーチーム創団


2001年 天宙平和統一国アメリカ大会 シカゴ、ヒルトン・ホテル2002年「全国責任者緊急会議」真の父母様からのハワイのプレゼントを伝授(川崎・宮崎台国際研修センター)
2005年 「天宙平和連合」創設記念世界巡回大会 エクアドル、キト、ヒルトン・コロン・ホテル2007年第2回「世界平和指導者清平セミナー」(~18,韓国)
2013年 韓半島統一と東北アジア平和のための2013世界指導者前進大会、清心平和ワールドセンター

《1999年 ブラジル、セネ・サッカーチーム創団》
「サッカーの王様」ペレ氏が文鮮明師に弔電
https://www.ucjp.org/archives/13283

真の父母経p1144

セネ・サッカーチームとソロカバ・サッカーチーム
 真の父母様は、サッカーは全世界の人々が好む運動競技であり、平和世界実現のために 必ず必要であると考えられ、二〇〇〇年四月四日、サッカーの強国であるブラジルのソロカバ・サッカーチームを引き継がれた。一九九一年二月二十一日に創団 されたソロカバ・サッカーチームは、引き継ぎ後、ブラジルの一部リーグに昇格するなど、大きな成長を遂げた。セネ・サッカーチームは、一九九九年十二月十 五日、ブラジルのジャルジンで創団され、幼少年のサッカーチームも運営している。

7     ブラジルでは、サッカーが産業基盤と同じです。ブラジルはサッカーに対して、国全体が熱意をもっています。また、中南米三十三ヵ国全体が、一つの国のよう な熱意をもって取り組んでいるのです。そこで誰が一つの国に勝つかというのです。
 ですから、ブラジルが世界最強チームとして有名ですが、ブラジルでプロサッカーチームをもつというのは、空の星を取る(非常に難しいことの例え)くらい大変なことなのです。また、私がその時、サッカーチームをつくらなかったならば、どのようになっていたでしょうか。
 そのあと、ブラジルサッカー協会は、外国人がブラジルに入ってきてサッカーチームをつくれないようにしました。法で定めてしまったというのです。な ぜでしょうか。私がそのようにして一気にブームを起こせば、問題になると考えたのです。自分たちが世界の特権的立場でビジネスをしていたのに、外国人たち が入ってきてこのようになれば、問題が大きいので、最初から法で定めてしまいました。今、外国人としてお父様だけがブラジルにサッカーチームをもっていま す。

文鮮明自叙伝「平和を愛する世界人として」p296

 オリンピックが終わった直後、私はその熱気を受け継いで、「一和天馬」プロサッカーチームを創設しました。一和天馬チームは、優勝も数回し、サッカーチームとしての名声を築いてきました。その数年後には、今度はブラジルサッカーの本拠地ブラジルで「セネ」と「ソロカバ」というプロサッカーチームを創設し、今に至るまで運営しています。さまざまなスポーツの中で、特別にサッカーチームを作ったのは、私がサッカーが好きだからです。私は、幼い頃から運動をするのが好きで、ボクシングもやり、韓国の伝統武術もしましたが、年を取ってからも喜んで見るスポーツは断然サッカーです。学生時代には、学校の運動場をあちこち駆け回ってボールを蹴っていましたが、今は見るのを楽しみます。ソウルでワールドカップが開かれたときは、三台のテレビを並べておいて、中継する全部の競技を見ました。特に韓国が出るゲームは、一ゲームも見逃しませんでした。
 サッカーは人生の縮図です。私がいくら上手にボールを運んでも、自分よりも速くて上手な相手チームの選手が、瞬間的に自分のボールを奪っていけば、結局は何にもなりません。また、ボールをうまく運んでシュートを打っても、ゴールポストに当たって跳ね返ればそれで終わりです。ボールを運んでいくのは自分のすることですが、ボールをゴールに入れるのは、自分一人の力ではできません。朴智星選手のように、絶妙のタイミングでアシストしてくれるチームメイトもいなければならず、粘り強く相手チームをディフェンスする李榮杓のような選手もいなければなりません。
 しかし、最も重要な人は、フィールドの外でチーム全体を見ている監督です。直接走ってボールをゴールすることはしませんが、監督の力は、選手全体を合わせたものよりもっと重要です。監督は、ちょうど神様が私たちの知り得ない世界をご覧になって私たちにサインを送るように、選手たちが見ることのできないものを見ます。監督のサインによく従いさえすれば、ゲームは百発百中勝ちます。しかし、監督がいくらサインを送っても、愚かな選手が気づかずに自分勝手にボールを回せば、ゲームに負けるしかありません。
 サッカーは勝敗を競う競技ですが、国家間の平和と協力の増進にも大きな力を及ぼします。全世界のスポーツの祭典であるオリンピックよりも、ワールドカップの中継放送を見る人が二倍も多いというのですから、人類がどれほどサッカーが好きかを知ることができます。転がっていく一つのボールをめぐって、国と人種、宗教、文化を超えた融和の場をつくる力がサッカーにはあります。サッカーと人類の平和は、よく調和する一組のパートナーです。
 ブラジルのスポーツ大臣まで務めたサッカーの王様ペレが、ソウルの漢南洞にある私の家を訪ねてきたことがあります。人々はペレを世界最高のサッカー選手として記憶していますが、私が出会った彼は、素晴らしい平和運動家でした。彼がサッカーを通して成し遂げようとしたことが、まさに世界平和だったからです。私と会ったペレは、にっこり笑ってこのように言いました。


 「以前にアフリカのガボンでサッカーの試合をしたことがあるのですが、当時、そこは戦争中だったのです。爆弾が落ちてくる中でどうやってゲームをしたと思いますか?ありがたいことに、ゲームをしている間は休戦したのです。私はその時、サッカーが単にボールを追いかけ回すだけのスポーツではないという事実をはっきりと悟りました。サッカーは、世界平和をつくりあげていく人類共通の素晴らしい手段です。それ以降、私はサッカーを通して世界平和運動をしなければならないと誓ったのです」
 ペレ氏があまりにも素晴らしく見えたので、私は彼の手をぎゅっと握りました。競争の激しい世の中を生きていれば、ストレスが多いのです。ストレスは生活を緊張させ、心の平安を奪い、ストレスが積み重なれば、一人一人の神経が逆立ち、公然と争いを起こしやすくなります。そのような緊張状態を健全に解放してくれるものこそ、スポーツや芸術活動のような趣味生活です。スポーツと芸術は、人間の抑えつけられた欲求を解放する方法であるにとどまらず、人類を一つに結ぶ道具です。私がサッカーチームを運営し、バレエ団を率いる理由は、そのような活動がまさに平和をもたらす手段となるからです。ペレ氏は、すでにそのような私の心を知っていました。
 志を同じくした私たちは、その場で国際的な規模の新しいサッカー大会である「ピースカップ」を創設しました。そして、二〇〇三年から二年ごとに「ピースカップ大会」を開き、世界の有名なサッカーチームを韓国に呼んで試合を行いました。しかし、二〇〇九年に開かれる第四回大会からは、開催地を世界のさまざまな国に変える計画です。まず、二〇〇九年は、サッカーの本場と言われるスペインのアンダルシア地方で開かれる予定です。スペイン最高のクラブチームであるレアル・マドリードとセビージャFC、フランスのリヨンに加え、イギリスの名門クラブチームが参加し、世界最高のサッカー競技を繰り広げるでしょう。「ピースカップ」を運営して生じる収益金は、経済事情の厳しい国の青少年サッカープログラムを援助する経費として使います。特に、身体的障害を持つ子供たちが、サッカーを通して夢を失うことなく生きていけるよう、多くの努力をしています。(第四回ピースカップ大会は、二〇〇九年七月二十四日から八月三日にかけて、スペインのアンダルシア州各地と首都マドリードで行われた)

《1990年 アメリカ、アラスカ、コディアク世界修練所竣工式》
真の父母経p1088

9     海に勝つ人が、世界を支配します。海は陸地の三倍になります。すべての金銀財宝が海に埋まっています。それが、主人を待っているのです。海を占領して克服しようというのがアラスカ精神です。

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