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統一運動《6/5 今日は何があった》

1978年6月5日 日本共産党の宮本委員長が、 京都府知事選挙の共産党敗北を受けて、統 一教会と国際勝共連合に対して宣戦布告 (「赤旗」 6. 8号)。 それに同調 するかのように11月3日に 「原理運動を憂慮する会」が発足し、 反統一 教会声明が出される (11.13)。 全国的な規模で拉致監禁による強制改宗 事件が多発化する 👇
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《1978年6月5日 日本共産党の宮本委員長が、 京都府知事選挙の共産党敗北を受けて、統 一教会と国際勝共連合に対して宣戦布告》


強制改宗 引き裂かれた信教の自由(光言社)p17


第二期 一九七八年~一九八六年
 ところで、共産党は七八年の京都府知事選に敗れるまではまだ本格的に乗り出してはいなかった。統一教会をそこまで大きな存在とは思っていなかったことを示している。 しかし京都府知事選に敗れてからは、「赤旗」において連日、統一教会反対キャンペーンを張ることになる。七八年五月十日、第十四回党大会四中で、統一教会に対する本格的攻撃態勢をとることを決議。六月五日は、宮本委員長が党を挙げての統一教会攻撃を指令。七八年六月十三日付の「赤旗」には、宮本委員長自ら「勝共退治は歴史に刻む正義のたたかい」という見出しで論文を掲載し、これを「宮本委員長の結語」とまで表現している。国会においても正森成二、 神谷信之助、安武洋子議員が連続して攻撃。また反対父母の会からは各政党に向けて、統一教会規制要望書を提出させている。
 そして、十一月三日には統一教会と対立関係にあった村井資長早稲田大学総長(当時)と、その夫人の育ての親であった岸千年日本ルーテル教会代表、および日本聖書協会理事長を前面に立てて「原理運動を憂慮する会」を発足させる。 その中核には浅見定雄左翼教授を据えたのである。ここに共産党と社会党が背後にあって、表向きはキリスト教会対統一教会の図式をもって、反統一教会キャンペーンを張るのである。そうして七八年から東京久留米ケ丘病院をはじめとする精神病院における監禁、幽閉事件が多発するのである。
 一方、独自に反統一教会運動を展開していたセブンスデー・アドベンチスト教会の和賀真也氏は一九八〇年「エクレシア会」を発足させたが、八一年「憂慮する会」のメンバーが中心となって「エクレシア会を支える会」を結成するに及んで、全国的に強制改宗活動を展開した。また八六年には「憂慮する会」北海道支部ともいうべき「統一教会=原理運動=勝共連合の暗躍を憂慮する北海道の会」が本間テル子氏と橋本左内牧師の結びつきで発足している。このように共産党、社会党が中核となって、全国に反統一教会グループを結成していったのである。

旧統一教会 家庭連合に反対する人々 拉致監禁(世界平和統一家庭連合)p12


 この時期、見逃せないのが日本共産党の動きです。 共産党は日本赤化を目指してきましたが、18年4月、家庭連合の友好団体・国際勝共連合の活躍により、共産党が京都府知事選で敗北しました。これを受けて、宮本顕治委員長(当時)は、「勝共連合との戦いは重大。大衆闘争、イデオロギー、国会、法律の各分野で・・・・・・共同して、全面的な戦いにしていく必要がある。自民党に対しては“勝共連合といっしょにやれば反撃をくって損だ"という状況をつくることが重要だ。 “勝共連合退治〟の先頭に立つことは、後世の歴史に記録される『聖なる戦い』である」(「赤旗」18年6月8日号)と宣戦布告しました。
 これに呼応するかのように、同年11月13日、大学教授、ジャーナリスト、弁護士、牧師、国会議員らが連携し、「原理運動を憂慮する会」を発足。その会を背景に、日本基督教団の浅見定雄氏、川崎経子牧師らが反対活動に乗り出しました。
 1978~96年、棄教目的で、家庭連合信者を共産党系の精神科病院に強制入院させる事件が多発しました。しかし986年2月、被害を受けた信者が民事裁判で勝訴し、精神科病院を使った事件は終息。 しかし、反対牧師と親族が結託して行う監禁形態を取る強制棄教事件は、警察も取り締まらないため続行され、年々事件が増加しました。
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