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統一運動《10/2 今日は何があった?》

1959年日本統一教会創立 👇


1967年日本語版『原理講論』発刊 👇

1980年 第3回「世界言論人会議」、ニューヨーク、セントレジス、シェラトン・ホテル
1980年「オーシャン・チャーチ」始まる(米国)
1996年 「世界平和統一家庭連合」185か国結成南米大会 パナマ、パナマ市、国立劇場
2006年 天宙平和祖国郷土天地還元勝利釈放40ヵ国世界巡回大会 チリ、サンティアゴ、リッツ・カールトン・ホテル

《1959年日本統一教会創立》
日本統一運動史(光言社)p128

三、草創期を築いた人々の歩み
(1) 最初の礼拝 (1959.10.2)
 崔奉春宣教師が日本に上陸し、 1959年10月2日に最初の礼拝を行った場所は、東京都新宿区戸塚町2丁目85番地 (現在、 西早稲田2丁目18-23) の 『雄鶏舎時計店』の二階でした。 そこは、真の御父様が日本留学時代に下宿された三橋家から徒歩5分の所にありました。 「日本伝道は先ずその中心地である東京より始めるべきだと思い、伝道の火蓋を切ったのである。 ・・・その内に導かれるままに新宿区戸塚町2-85の雄鶏舎時計店に店員として住込み、その家族を伝道して此の処を根拠地として日本に於ける統一教会の名乗りを上げたのである。


 昭和34年10月2日金曜日、 午後7時15分に第一回の礼拝をもって東京統一教会は発足したのである。 ・・・4月より今日まで原理を信じた兄弟姉妹4人(西川勝・清水義雄・須田トク・田村芳子)と共に礼拝は始められた。 司会清水氏。 賛美歌と祈りの後、 西川勝の聖書拝読。 マタイ伝六章25節より終わりまで読み、 『義と神の国を求めよ」 という題で約30分。 8時に終わり、 4人で歴史的な礼拝は終わったのである。 日本に一日も早く神の国の来たらん事を祈り、 神の賛美と共に、報天の決意を堅くした。」 (「成約新聞」 創刊号 1961.11.15、 崔宣教師記)
 最初の礼拝に参加した清水義雄氏は在日韓国人であり (韓国名、韓 勲)、田村芳子さんはクリスチャンでしたが、日本においてまず復帰すべき立場を代表する人々の参加のもとで、 日本統一教会の出発がなされました。

《1967年日本語版『原理講論』発刊》
日本統一運動史(光言社)p279

 1967年9月29日正午に、 久保木修己会長以下幹部33名が明治神宮を出発し、富士山ふもとの天母台までの180キロを歩く3日路程が実施されました。 その他のメンバーたちは7月1日、 富士宮近郊駅から雨の中を天母台まで歩きました。 日本統一教会創立8周年記念日である10月2
日午前11時、700名が天母台の小学校講堂に集合、 午後1時より 「原理講論』発刊式が浦海孝臣九州地区長の司会によって行われました。
 また『原理講論』 の印刷は、 松本道子さんの名古屋開拓によって伝道され、69年に43双の祝福を受けられた大野博氏が重役を務める印刷会社でなされました。
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