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統一運動《10/15 今日は何があった?》

1974年 アメリカ朝野および著名人士招請晩餐会、ワシントン、ヒルトンホテルDC
1989年ソ連言論人、東京教会訪問(松濤本部) 👇


1992年第4回「日韓宗教人会議」(帯広)
1993年 韓国、全国40大学巡回講演 仁川大、仁荷大
1996年 「世界平和統一家庭連合」185か国結成アメリカ大会 フィラデルフィア
1999年第2回「パンタナールの保存と持続的開発に関する国際会議」主催:世界大学連合(~10/17 米国、ワシントンDC)
2000年真の父母様、マーシャル諸島共和国より国賓としての招請を受けて御訪問。環太平洋摂理の開始。(~19,マーシャル諸島共和国)
2002年第1回「在日コリアン統一原理特別セミナー」(~17,熱海)。
2003年 「超宗教超国家平和協議会」創設韓国本部大会、リトル・エンジェルス芸術会館
2004年第12次イスラエル巡礼ツアー(~28) 「アジア・東ユーラシア大陸」が担当。日本から石丸志信団長を中心に110人が参加
2017年「HJ Peace Loving Festival KANAGAWA」(日本・千葉)
2022年世界6000家庭 祝福40周年記念特別集会

《1989年ソ連言論人、東京教会訪問(松濤本部)》

 ソ連言論人が日本統一教会・東京教会を訪問 (1989. 10. 15 )
1989年10月15日、ソ連言論人が日本統一教会 東京教会を訪問しました。 来日したのは、ノーボスチ通信のナターリヤ・ヤコブレバ北米局編集主幹、 イズベスチャのビタリー・コビシュ政治評議員、テレビラジオ国家委員会のファリド・セイフル・ムルコフ政治評議員、同テレビラジオ国家委員会のカメラマンのウラジーミル・グセフ、週刊「ザ・ルベジョム」誌のウラジーミル・イオルダンスキー副編集長でした。
 共産主義の間違いを訴え、勝共運動を推進してきたのが統一運動なのに、ソ連の言論人が日本の統一教会を訪問したのは奇跡的な出来事だった。当時の信徒の中には理解できず警戒するものも多くはなかった。そこに至るには一連の摂理的流れがあったのである。
 冷戦のまっただ中。文総裁がアメリカで創刊されたワシントンタイムズはレーガン政権の推進する「sdi構想」を支援し、ソ連を牽制。しかし、文総裁は共産圏の真の解放のため、支援の手をその背後で差し伸べておられた。
 1988年のソウルオリンピック。文総裁は共産圏から訪ねてこられた選手団をこよなく愛され、特にソ連の選手をひときわ心に留められた。オリンピック後各国の責任者からお礼の手紙が届いたという。ソ連が神の摂理圏内に近づいてきたのであった。
 1989年8月31日「八定式」が宣布され、その翌日1989年9月1日アラスカコディアックで「天父主義」を宣布。
 「天父主義時代はサタンまでも愛さなければなりません。天父は、サタンをも愛さなければならないし、この地上の堕落人間もまた地獄に行っている人々までも愛さなければならないのです。天父主義時代とは、怨讐のいない時代なのです。」と語られた。
 その直後文総裁は、70日後を見ていなさいと言われたごとく、70日目の1989年11月9日に東西冷戦の象徴であった「ベルリンの壁」が崩壊した。それは信徒にとっても、とても印象深い出来事であった。
 ソ連言論人の東京教会訪問はその渦中の出来事だったのである。
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