CA議事録-国会で飛び交うヤジをこのまま看過していてもいいのか-

10月10日競争力CA
今日のテーマ
国会で飛び交うヤジをこのまま看過していてもよいのか
記事
 元大阪市長で弁護士の橋下徹氏はテレビ番組に出演し、石破茂首相の国会での演説中に飛んだヤジに対して苦言を呈した。
「国会のヤジ、何とかならないですか!もう~」
 と不満げに訴えた。
 石破首相の所信表明演説で「約束を守れ!」など野党側から激しいヤジが飛んだことを念頭に、橋下氏は
「あんなこと、子どもたちに見せて、もう本当に教育的にマズイですよ。ちゃんと論戦する、議論する時には、やっぱり聞く側の態度ってあるので、ちょっと国会議員ね、偉そうに教育やなんや、って言う前にヤジのやり方、考えなきゃ」
 と強い口調で苦言を呈した。
(日刊スポーツ)

 立憲民主党所属の衆議院議員で、日ごろ自分なりの良識あるヤジの飛ばし方を「ヤジ道」と称している米山隆一氏も、今回の国会演説中のヤジについて取り上げた一般ユーザーの投稿に対し「因みにこういうヤジは飛ばしません」と反応し、演説を妨害しないことや、一方的な悪口を言わないことなどを強調した。
 また今国会の初日に行われた首班指名選挙では、衆議院において、れいわ新選組所属の大石あきこ議員が投票のため壇上に上がった際、投票をせずに「裏金隠しの解散やめろ」「能登補正予算を」と書かれた紙を掲げて檄を飛ばした。議長による「物品を掲げる行為は禁止されている」との注意を無視してしばらく続けたため、衛視によって強制的に降壇させられたが、これは非常に稀なことであり、議場に驚嘆の声が広がる一幕があった。
(立論者文責)

 大石氏は、記者団から「前代未聞の行為」と指摘されると、
「前代未聞は全く当たらない。コップの水をぶちまけた人がいた(平成12年、松浪健四郎衆院議員の事例)が、私の行為はそうでもないので、普通だと思っている」
 と述べた。
「非暴力の普通の戦術だ。一昔前ならば当たり前の行為だ」
 と自身の行為を正当化し、
「れいわ新選組がもっと大きければ、牛歩一つやるにしても大きなインパクトがある。ぐちゃぐちゃに長い『フィリバスター』(議事妨害)をやれば、悪政に対する大きな抑止力になる」
 とも主張した。
(産経新聞)

https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202410060000175.html#goog_rewarded
https://www.sankei.com/article/20241001-UCNNPZTP6RC5FBIK72445FR2P4/

 ということで今回のCAでは
国会で飛び交うヤジをこのまま看過していてもよいのか
 をテーマとします。
 私は「国会で飛び交うヤジをこのまま看過してはならない」という立場で立論しますから、みなさんは「国会で飛び交うヤジをこのまま看過していてもよい」という立場で議論してください。

前提

  1. 「国会で」とは「国会議事堂の施設に議員を招集して開催される会議やそれに類する会合で」という意味であるとします。つまり、本会議のみであるとか、予算委員会までしか含めないとか、そうした狭い意味での「国会」ではなく、およそ「国会」と呼べるものすべてを議論の射程に入れます。

  2. 「看過してはならない」とは、ヤジの規制を強化するべきだということことです。つまり、ヤジ等をした議員に対して議長から退場を命じたり、懲罰事犯を懲罰することに院として決定したりすることについて、よりハードルが下がるような議論が展開されるべきであると主張します。

Q現在も議長が野次を制限することは可能であるがどのように変えるのか
A今はある程度は見逃す。それを基本的になしにする
意見・論点 

  1. 不規則発言は憲法の趣旨に反する。

→憲法は「国会は国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である。」と規定している。また憲法の前文には「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使」するとされている。国民の厳粛な信託によって選ばれた議員たちが議論し、適当な手続きによって法律の制定などを行うべき場所が国会であって、適当な手続きに基かない不規則発言は、その過程に不当な介入を加えようとするものと言わざるをえない。
2.大きなヤジは言論を阻害する
→今回の国会演説に際しては、ヤジがうるさすぎて石破氏の演説が聞き取れないという反応が相次いだ。言うまでもなく国会は言論の府であり、言論そのものが遮られるような行いは現に慎むべきである。
Qどのような状況であったのか?(個人の発言or複数人)国会の環境を変えれば改善されるのではないか
A野次を飛ばす人達にはマイクついてない。今回はテレビ局によってどこの音を拾うかは違う。国会はその場で議論できるかどうか、テレビ局がそう聞こえてるなら現場でも聞こえてないのと一緒。
Qではひろう音を一律にすればいいのでは?(テレビ局・メディアが)
A国民の知る権利は保証されるが言論の自由は保証されない
Qスピーカーの音量上げれば?
Aイタチごっこかと
3. 国会の品位を損ねる
→記事の中で橋本氏の発言を引用したが、「教育に悪い」かどうかはともかくとして、国会が常に品位あるふるまいを求められるというのは確かであろう。国権を委ねられた者としてふさわしいふるまいを国民に示すことできなければ、国会の権能はそれそのものを国民から信頼を失ってしまう。

予想される反論・再反論
タイムマネジメント:時間を意識して、どこまでにどの議論をどれくらい展開させるのかを意識する。 最後のファシまとめも30〜1分程度で十分である。(その短時間に要点をまとめるスキルを磨く)

  1. 自由な議論がなされるべきである国会においては、表現の自由が最大限に尊重されるべきである。

→一義的にはそのとおりである。しかし、そもそも適当に議論ができるように規則や手続き等が定められているのであって、それらに適った言論のみによって十分に表現の自由は守られると考えるべきである。そもそも、ヤジを野放しにしておくことのほうが、意見・論点2に挙げたとおり、表現の自由を脅かす。
Qマイノリティの意見の表現の自由は担保されていないのではないか。ヤジの意義→問題提起・反論になる。両方の意見を国民が聞くことにより判断材料になる。
A反対討論?があるので表現の自由は担保されている。本会議は議事録に残すということが重要な意義

2.いいヤジもある。一概に野放しにするとかといったことはできない。
→いいヤジと悪いヤジを客観的に区別することはできない。不規則発言であるという一点においては、いかなるヤジも悪いヤジである。たとえ一見すると「議論の潤滑剤になった」とか「国会の華である」かのように見えたとしても、そもそもが想定されていない、存在しなくてもかまわないものである以上は、この際、不規則発言を一様に否定するべきである。
Qヤジの中でも「悪いやじ」、不適切な発言はメディアに取り上げられ世論から淘汰される。現在でもその構造ができているのでこれ以上制限する必要はない
A東京議会のやじはセクハラだったから。自然に淘汰されるのを待つのは実態として回っているわけではない。国会や議会側の自制が必要。野次である時点で、悪きものであるので一律で処罰すべきである

Qやじがなければ、事前通達の質疑のみになる。野次による緊張感も必要
Aどちらにせよ事前準備があるのできちんと議論されている質疑のみにはならない。緊張感は選挙に落とされるという緊張感があるのでOK。緊急動議があるので問題ない

【先生からのコメント】
歴史的に言うとよくなった方。(暴力国会)ここ近年の野次は質が変わってきた、クリティカルな野次ではなく感情的な誹謗中傷。なんなら党内対立も存在する。ギスギス感があるのが問題。
参考文献・URL



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