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VRchat(インストールして)4年経ってた!!!


今まで言ってなかったワカのこと。

中学2年生、ゲーミングPCを貯金で買ったはいいものの、お小遣いをすぐ漫画に使ってしまう所為で常に金欠だった。お金が無いからSteamの無料ゲーム一覧を漁って偶然見つけたVRchat。右も左も分からずダウンロードした、ろくに勉強もしてなかったから英語が読めず挫折した。やめた。

中学3年生、部活中に急に手足が動かなりそのまま入院に、原因は今でも分かっていませんが、ストレスによる精神的なものとして診断されています。
ずっと続けていた陸上競技を高校でも継続しようとしていたから焦りと喪失感で何にもやる気がなくなっていた。
足の具合は日に日に悪化し、入院することになった。足は動かないし手の力も弱ってきて、もともと50kgあった握力は3kgしかなくなっていた。
絶望とやるせなさ、悔しさとか、「なんで自分なんだ」とかぐちゃぐちゃになってずっとこのままだったら生きてる意味もないと思っていた。
入院の間は、毎朝朝ごはんを食べさせてもらったら、お昼まで小児科病棟の端から端まで往復して歩いた。
日に日に歩けるようになって、2週間で手すり無しで歩けるとこまで回復した。
なんだかんだ物は掴めるしまあジョギングくらいはできるでしょう!ってレベルになるには2か月かかった。(今は回復してるよ!)
ずーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーと歩いてた。伊能忠敬くらい歩いたと思う。
精神的に落ち着いてきたから歩けるようになったのか、努力が実を結んだのか、理由は分からないけれどあの時間は無駄ではなかったと、今振り返っても思います。

体育会系の進路のつもりが、中学3年生の夏に夢途絶え、そこから体育系以外の進路に変更する時間もやる気もなかったから、通信制高校に進路をチェンジした。
全日の学校に入学する精神的余裕は無かった。勉強する余裕もなかったし、なんなら生きる気力もなかった。それらを言い訳にして逃げてた。

周りは受験勉強で努力している中、何もしていない自分に怒りが沸いていたし、友達から心配や励ましの連絡が来ても、「全員が僕の事を馬鹿にしている」「嘲笑っている」なんて被害妄想と劣等感で学校に行けなくなっていた。

家にいてもやることもないし、Steamのライブラリを見てた。
「VRchat」は、ライブラリの下の方にあった。
3年生になっても読めなかった英語をうまくかわしてTwitterで調べながら、日本人の多いpublicに行ってみた

「中学生にVRchatは早い」「不健全」「教育に悪い」
publicで目がキュルキュルしている虎のアバターの僕にかけられた言葉はこれだった。きっと涙だったんだろう。
2024年の今よりも確実に未成年のユーザーは少なかった。
ましてや義務教育中の中学生なんて超希少種だった。
ポジティブな反応を示してくれた人もいたし、上の言葉たちが心配や気遣いであることも今では理解している。
しかし当時中学3年生という未熟な僕には、否定されたことばかりが頭に染みついて、認めてくれてる人の言葉は耳に入らず、そのままログアウトした。

高校1年生の冬、また暇になった。
VRchatにいい思い出はなかったけれど少し大人になれた気がして久しぶりにログインして、イベントカレンダーを見て強制ミュートの喫茶店に行ってみた。
バス停から喫茶店に入った。店内にはお客さんが数人いて、みんなが各々作業をするなり雨音を聞くなりして過ごしていた。
ソファに座った作業中のお客さんに話しかけてフレンドになった。作業中なのによくフレンドになってくれたなぁと思い、
今、改めて話を聞くとその方も初心者で何となくフレンドを許可したらしいが、今出会っていたら、フレンドにはならないって言ってた。
笑える

desktopで続けていた時に丁度お正月になり、お年玉がもらえたのでそのお金と貯金を切りくずしてHMDを購入した
VRユーザーになったあとに、前記のフレンドになったお客さんに誘われて無言勢Barに連れてってもらった。「あの喫茶店が強制ミュートだから喋ってなかった」なんて今更言えずに、流れで無言勢になった。
無言勢としてイベントに参加して無言勢のフレンドができた。
接客してくれたキャストさんと、名前にシンパシーを感じて勝手にフレンド申請を送ったお客さんさんだった。
人が原因でVRCを数日でやめた僕にとって、受け入れてくれたこの人たちがカッコよくて、好きで、憧れてた。
いま思うと本当によくフレンドになってくれたな~って考えてる。
ネット初心者だったからマナーもよく分からずガキ感丸出しだったと思う。
インターネットの、もっともっと片隅のVRchatの、もっともっと狭い数十人しかいなかった場所が、僕にとって1番居心地のいい場所になっていた。

VRchatの楽しさに気づいてからは、どんどん目の前が明るくなって人と話すのが楽しいと思えるようになった。
それから名前にシンパシーを感じて勝手にフレンド申請をしたお客さんが主催をするお絵描きイベントで出会ったフレンドに誘われて初めてゲームワールドに行ってみた。お絵描き人狼とかお絵描き探偵とかいろいろ遊んで、VRchatであんなに大人数と話したのは初めてだった。けれど嫌いだった自分が自分じゃないみたいで、沢山話してフレンドにもなれた。
VRC以外でもdiscordのサーバーに招待されてVRCのフレンドと初めてVRC以外で話してみた。
今までネットでお友達を使ったことはあまりなくリア友以外とゲームをやるのは珍しかった。初めて気軽ゲーマーズの通話に入ったときのことを時々思い出してにやにやしてます。
始めてイベントに行ったとき、はじめてゲームで遊んだとき、はじめてのキャスト、
たーーーーーーーくさん色々な事が経験できました。

自分を救ってくれた人のように、自分を救ってくれたコミュニティのように、誰かが少しでも生きやすいと思える場所をつくりたい
主催イベントも盛り上げる!!!!!!!!

持続的に続けられてるのは、高校1年生の冬から高校3年生の夏、現在まで。
正直、未だに過去に執着してもっと良い生き方があったかもしれない、陸上競技を続けられていたら今頃もっと明るい生活があったかもしれない。
と時々思うこともあるけれど、もう一度やり直せるチャンスがあったとしても、今と変わらない道を辿ったと思う。
この道を選んで、みんなに出会えて、本当によかったです。
何事にも終わりは来るし、考えたくないが、お友達ともお別れをするタイミングがあると思う。
この不安定なインターネットでこれからもよろしくお願いしますね。

あとがき

読んでくれてありがとう
本当は始めたころから今までをすべて書こうとしたけど、文字数が限界突破してしまうのでこの辺で。
伝えたいこととかは特にないけど、この場所に来て正解だったってこと
ずっと先の見えない自分の将来に不安があったけどVRchatに来たのが正解だったって最近確信出来ました。
うおおお~~~!

終わり


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