見出し画像

日本国民は血を流す覚悟ができるか

 これについて、玉木さんは「こう言いたかったんじゃないか?」というのが自分的に考えてまとめてみたので解説したい。また、今回は玉木さんを保守派からみて擁護する内容だ。これを見て当時批判していた人などは、最後まで見てほしいと共に意見をお寄せしてほしい。
 

https://youtu.be/nwBOfsYpDiI?si=pXnRClEtMTWV_NqW
https://youtu.be/nwBOfsYpDiI?si=pXnRClEtMTWV_NqW

 これは簡単な話で、「血を流す覚悟=報復攻撃」である。どういう時なら日本政府は攻撃をしてきた相手(例えば中国や北朝鮮,ロシアである)に対して報復攻撃をしても良いのか。
 そして、安全保障の議論というのは報復攻撃やそれに伴う戦争を、どういう時ならしても良いかを国民と議論するプロセスであり、これを先延ばしにすると国民の理解が得れないので、決定が遠のき報復攻撃が遅れる。それに伴い日本国の死者が増加する。
 もしくは、報復攻撃の後、国民から理解が得られず国内が混乱する中、戦争が勃発する。
 どっちにも転ばないように、平時のうちに有事の対応を議論し決定することが安全保障議論である。
 例えば、北朝鮮からのミサイルがEEZ(排他的経済水域)内に落下した場合、死者は出ていないので、日本国民に血を流す覚悟がないから報復攻撃は行わない。
 しかし、東京や北海道などに着弾し、死者が出た場合は、日本国民に血を流す覚悟があるので北朝鮮に対して報復攻撃を行う。
 簡単な話で、徴兵制という言葉があるが、ほとんどの議員は導入なんて考えでないと思うので例え話として考えてほしい。
 EEZ内に着弾しても実害がないため、徴兵を望む人は少ないだろう。
 しかし、東京など本土に着弾し、死者が出た場合どっちみち自分も死ぬと考えて、徴兵に行きたいと考える人も多いと思う。
 どういう時なら「血を流す覚悟=報復攻撃」をしてもよいのかを議論するのが安全保障議論であり、玉木さんもインパクトのある言葉を使いすぎだ。
 間違ってないとは思うが、もう少しマイルドな言葉を使ってほしい。しかし、安全保障議論に対して真剣に向き合ってもらうには、過激な言葉も必要だろう。
 まとまりがないがこれで終わりとする。

いいなと思ったら応援しよう!