『スポーツの汀』を読んであれこれ
仕事でスポーツチームのDXを支援する上で、地域スポーツや学校部活動の成り立ちを考えることがある。
スポーツの原点をゆっくりと紐解いている本書。スポーツの始まりは、自然から生まれたものと、人々の営みの延長から生まれたものがありそうだ。
ゴルフが生まれた土地は、羊の放牧ぐらいしか使えない荒れ果てた砂丘が広がる海岸性の砂地で、羊を追いながら木を持ち小石を打つところから始まった。サッカーなんかはもとは労働者階級のスポーツで、ダービー戦のように隣町や隣国との争いもサッカー文化内に残っている。
スポーツは、暮らしの文化が表れている。
古代スポーツは祭り同様に神事の要素が強く、近代以前は自然や争いといった人々のふだんの営みから生まれている。当初のスポーツにはなんとなくのルール(競技としてのルール)はあれど、それ以上にマナーやスタンスに重きを置かれているように思える。
フェアプレイとかスポーツマンシップみたいな、スポーツが持つ(と思われる)人格形成や教育的な価値は、近代以降に後から付け加えられているだけに過ぎない。
ルールを守りフェアに戦うことは試合を円滑に進行するための手段であり、相手にリスペクトを送るのは今後も継続して試合が続けるためのコミュニケーションであり、競技という共同体を存続させるためにある。
スポーツは遊びで、スポーツは繊細な感性が育む。
とすると、目の前の仕事に戻ってみると、
スポーツビジネスにおいてその価値を考える上ではスポーツで遊ぶ・感じる、スポーツが直面する課題を考える上ではその社会・共同体の成り立ちをじっくりと振り返ってみるのが良いのかもしれない。
たとえば日本において、遊びとしてのスポーツを知るなら相撲とか流鏑馬みたいな神事・伝統芸能をもっと感じることだし、課題を考えるなら学校部活動の成り立ちや武道の歴史をじっくり遡ることが良さそうだ。
いっときネガティブにも語られていた「横綱の品格」なんて、スポーツが持つ遊びの価値を表しているんじゃないか。