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岸本尚毅『雲は友』 好きな句と鑑賞

岸本尚毅氏の第六句集『雲は友』(2022年、ふらんす堂)を読む。これまでの句集で一番好き。


秋晴や駅の北口広々と

秋晴の北口感あり。「広々と」が無造作でよい。

雨の音瓢に雨のあたる音

背後にある雨の音と、それとは異なる、その手前に聞こえる瓢に当たる音。その音の違いを描き分けた。瓢に当たる雨音は、ぽつんぽつんと、時折当たる音。その後ろでしとしと秋の雨が降っている。

かなかなや釣堀に彼いつまでも

「かなかな」に「彼」の哀愁が漂う。もう薄暗くなってきた釣堀に、「彼」の背中が見える。

歩く人月の光が手に膝に

こういう句を見ると、「技があるなあ」と思う。月の光はもちろん体全体に当っているのだろうが、「手に膝に」と視点を局所的に絞ることで、読み手の視点がそこに集まり、こちらから見えている月の光がしっかり見えてきて、景にリアルさが増す。内容はなんでもないのだが、句の印象は強い。

立つてゐる人を眺めて日向ぼこ

自分はベンチなどに座って日向ぼこをしている。「立ってゐる人」も日向ぼこをしているのかもしれない。その人をぼんやり見ている。すると二人とも幸せそうに思えてくる。

猫撫でてゐるマフラーの二人かな

公園のようなところ、道端にしゃがんで猫を撫でている二人(ベンチに座って野良猫を撫でるというのはあまり考えられないので、これは道端だろう)。この二人は若いカップルとも、老夫婦などとも読めなくはないが、「二人」としていることから、私は二人の女性と読んだ。やや高齢の。マフラーをして着ぶくれて、いかにも機嫌よさそうに。猫の方はいくらか迷惑げな感じ。

手を頬にひとりわらひの初笑

炬燵にいて新年のテレビ番組を見ているのかもしれない。「手を頬に」によって、気楽さと淋しさとが出ている。

稀に花あるを見上げて藪椿

藪椿がこういうふうに咲いているのを見かけることがよくある。まさに「稀に花ある」というように、ぱらぱらと花をつけて咲いている。しかしそういう椿の咲き方は別に珍しくもなく、誰もが目にしているにもかかわらず通り過ぎてしまう、ごくごく平凡な景。それを作者はこうして、まさにそのように咲く椿のさまをそのままに言い留めた。句集『雲は友』の中で一番好きな句かもしれない。また、これまでの岸本尚毅さんのすべての句の中で最も驚かされた句だ。本当にすごい。

マフラーの糸屑捨てて春の山

これも非凡。誰が「マフラーの糸屑」に着目するだろうか。

墓親し陰に日向に落花して

岸本さんには墓の句が多い。「陰に日向に」とあれど、それによって日向の明るさが印象付けられる。落花を目にしながら故人を偲ぶ、その心が「墓親し」なのだろう。

石鹸玉寝そべる人に当りもし

春の芝生に寝転んでいる人、これはきっと父親だろう。それに子供が吹く石鹸玉のいくつかが当たった。寝ている本人は気づいていないかもしれない。それも可笑しい。作者はそれを微笑ましくも見ている。春の一景。

近づき来跣の音とおぼしきが

板の廊下のようなところをペタペタと。

雲白し簾の上のその隙間

こういうところは確かに目にするんだけど、それを句にできるかというとそれはまた別のこと。夏だからこその「雲白し」だなと。

野分雲夕焼映しつつ北へ

野分の過ぎ去った、ほっとしたような穏やかな夕焼空。「北へ」で夕焼雲の赤さと、やや冷やかな青味をも感じさせる。それが心地よい。

霜柱舐めたる如くつややかに

氷柱ならばこういう表現もあるだろうけれど、霜柱で「舐めたる如く」というのが少し変でいい。

榾といふ榾の炎のつながれる

当たり前すぎて見過ごしていたことも、こういわれてみると鮮やかにその光景が眼前に浮かぶ。

この椿いつも室外機に吹かれ

室外機の吹き出し口のそばに咲く椿への親しみ。

埼玉は草餅うまし雲白し

埼玉県民としては採らざるを得ないでしょう!埼玉県の「何もなさ」とどこか呼応しているような可笑しみも。

わが顔にぶつかる君の夏帽子

こんなところに着目している、もうそれだけで楽しい。迷惑そうだが、それをそれほど嫌がってもいないという。

緑蔭やものを食ふ顔よく動き

緑蔭で何かを食べている人の様子を眺めている。その印象がとにかく「ものを食ふ顔よく動き」だというのだ。属性や年齢などを描かず、ただ動きだけに着目しているところが面白い。「緑蔭」という健康的な季語と相まって、いかにもうまそうに食べている感じが出ている。

避暑の子かこの町の子か駈けてゆく

避暑地に来ている。そこで「避暑の子」か「この町の子」かわからないが、子供が駈けてゆく姿を見た。それはどちらかわからないが、わからなくともよく、元気な溌溂とした子供の走る姿が目に残った。無心な、清々しい姿だった。それがいかにも避暑地らしいとも思った。句集『雲は友』の中でも特に好きな一句。

舟虫の少しうごけば蠅が散り

その一瞬をとらえた句。人によってはどうでもいい句と思うかもしれない。

大切な黄な粉飛ばすな扇風機

まず扇風機に向かって言っているところが面白い。「大切な黄な粉」という大袈裟な言いっぷりもまた。しかしこういうバカバカしいことを一句に為せるところが率直にすごいなあと思う。

明易や雲の一つに乗りて死者

岸本さんの他の句とはやや毛色の異なる作。しかし、この「死者」という言葉が浮いていないのは、「明易」という季題の引力だと思う。

秋の雲子供の上を行く途中

虚子の「日のくれと子供が言ひて秋の暮」をふと思う。秋の雲が子供の上を行く。それがいかにも秋らしい。作者はそう感じた。そういう「100%の秋らしさ」が句に充満している。

柿潰れシヤツだらしなく墓に人

「柿潰れ」「シャツだらしなく」という不景気な措辞。しかしそんな不景気な景の中、故人を偲んで墓参りをしに来ている人がいる。あり得る景である。俳句では目に心地よい景、見どころのある景が詠まれがちだが、これはそうではない。人の世の有様を、むしろ見どころのない面から切り取ってみせた。そこに面白味がある。



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