高浜虚子『五百句』 好きな句と鑑賞
高浜虚子『五百句』より好きな句を挙げつつ、鑑賞や感想などを。
尚、『五百句』は、『ホトトギス』五百号の記念出版として、明治24年、25年頃から昭和10年までの句の中から500句を虚子が自選したもの。
風が吹く仏来給ふけはひあり
実景がなく「けはひ」だけがある、そのぼんやりした感じ。虚子は気配を詠む達人であった。
先生が瓜盗人でおはせしか
「おはせしか」に可笑しみが。俳句らしからぬ句といえばそうかもしれない。しかしいかにも虚子らしいと感じる。虚子の句は俳句らしく俳句らしくないという、そういう矛盾があり、それがまた魅力。
雨に濡れ日に乾きたる幟かな
とぼけた感じ。こういう面白さを虚子は生涯持ち続けていたと思う。それはそれまでの俳諧にあまり見られない類の、虚子の新しさだったように思う。
遠山に日の当りたる枯野かな
ぼーっとした感じ。
桐一葉日当りながら落ちにけり
スローモーションに感じるから面白い。「日当りながら落ちにけり」という書き方が、すーっと長く落ちてゆく桐一葉の感じを出している。
新涼の驚き貌に来りけり
秋の訪れ、秋の涼しさを驚きをもってとらえるのは伝統的。そこに「貌」をもってきたのが一興。
大寺を包みてわめく木の芽かな
虚子にしてはやや技巧が見えているようにも。
鎌倉を驚かしたる余寒あり
「鎌倉を驚かしたる」と大きく詠んだところに面白味が。
コレラの家を出し人こちへ来りけり
こういう嫌悪感や忌避感を俳句に詠むというのは一種新鮮味あり。
太腹の垂れてもの食ふ裸かな
そういう人物がよく見える。だらしない感じを、それはそれとして、人間の自然な姿の一つとして詠んでいる。
大空に又わき出でし小鳥かな
「又」の一文字で、次々に小鳥の飛び出る感じがよくわかる。秋の空の明るさも。
秋天の下に野菊の花弁欠く
大と小。
蚰蜒を打てば屑々になりにけり
些事といえば些事。そうした事実を事実のまま描くことに何の面白さがあるのかといわれれば、そうした些事に面白味を感ずること自体にちょっとした面白味があるのかもしれない。「屑々」がこの句を句にしている。
ばばばかと書かれし壁の干菜かな
「ばばばか」とは「婆ばか」という落書きのことか。その落書きの壁に干菜がかけてある。そこに一興を覚えたと。そういう暮しもある。
白牡丹といふといへども紅ほのか
音の運びが心地よい。
大空に伸び傾ける冬木かな
「大空に」「伸び傾ける」「冬木かな」のそのままの順に景が目に生まれてくる心地よさ。「伸び傾ける」というのが句を成り立たせている肝の措辞でしょう。
なつかしきあやめの水の行方かな
「あやめの水の行方」がどう「なつかしき」なのか。それはわからないまま、しかしぼんやりと、その言い回しに艶がある。
枝豆を食へば雨月の情あり
枝豆を食いながら雨月に情を感じている、その感じを詠んだもの。
流れ行く大根の葉の早さかな
「大根の葉の流れ行く」でも「大根の流れ行く葉」でもはなく、「流れ行く大根の葉」と言ったことでスピード感が生まれている。下流に流れ行く大根の葉は波間に見えたり消えたりしながらやがて見えなくなってしまった。
春潮といへば必ず門司を思ふ
なぜ「門司」なのか。しかしこう詠まれると、もう「門司」としか思えなくなる。
炎天の空美しや高野山
高野山の厳粛な空気と夏空。静かな炎天の中を蟬の声が聞こえてくる。
紅梅の紅の通へる幹ならん
幹の内部を詠むというのは前代未聞。うっすらと紅梅の枝までが紅く見えてくる。
たてかけてあたりものなき破魔矢かな
破魔矢がある。そしてその周りには何もない。厳粛な空気があるばかり。その正月の感じ。
羽抜鳥身を細うしてかけりけり
憐れみと滑稽味。
山寺の古文書も無く長閑なり
山寺であるから、古文書もなければ、そこを訪れる人もない。その長閑さ。春の山寺の土の白さや枯れたままの草々、鳥の鳴き声なども感ずる。
春の浜大いなる輪が画いてある
「大いなる輪」が虚子の中では「春」なのだろう。
くはれもす八雲旧居の秋の蚊に
「くはれもす」の妙味。
大小の木の実を人にたとへたり
そういうことをふと考えてみた、そのときの感じを詠んだものと読んだ。
襟巻の狐の顔は別に在り
狐の襟巻をする婦人を思う。その婦人に対するちょっとした感じを詠んでいる。
つづけさまに嚔して威儀くづれけり
こういうところに興味を抱いて一句にする、そういう虚子が親しい。
船涼し己が煙に包まれて
「船涼し」とは、なんて面白いことを言うのだろう。この句を読むたびに妙な可笑しみがわき起こってくる。こういうものの見方をし、それをこう詠むところに虚子らしさを感ずる。
物指で脊かくことも日短
「日短」を感ずるものの一つとして「物指で脊かくこと」がある。そういわれればそうだと思う。
来るとはや帰り支度や日短
幾許かの「理屈」があるけれども、確かにそうだなと思う。
雑炊に非力ながらも笑ひけり
雑炊の湯気がその人物の非力な笑顔に立ち上っている。それがまたくすっと笑える。
白雲と冬木と終にかかはらず
このぼーっと感が虚子。
酌婦来る灯取虫より汚きが
ある酌婦に対する感じを「灯取虫より汚き」と詠んだ。実感を実感のままに。
水飯に味噌を落して濁しけり
それがどうしたというのだろう。しかしそれを面白いと感じたのだ。濁ったということに着目して、それにちょっとした興味を覚えた。それが私には面白く思われる。
大いなるものが過ぎ行く野分かな
「野分」というものの感じが「大いなるものが過ぎ行く」なのだ。
川を見るバナナの皮は手より落ち
相変わらずぼーっとしているのであった。
かわ〳〵と大きくゆるく寒鴉
大きな寒鴉がゆっくりと遠くへ飛んでゆく。いかにも寒鴉という感じ。