【答えを誰が知っている?】
[7月に発送した便りです]
学びラボ ロボット教室の生徒はみんな知っているけれど、はじめたての人や来ていない人が知らないことは、
●「学ぶ」とは、教えてもらうことではなくて、自分から理解しに行くこと。
●ロボットを作るときにやっていること。
①テキストにはロボット作りのすべてが書いてあるのでじっくり読む。
②順番に考えて、一つ一つ試して、自分の知識や能力を積み重ねていく。ロボットの動きの順番も考える。「適当に」では作れない。
③式を計算することが苦手でも逃げない。国語、算数・数学、物理(理科)が必要。
④簡単にできることだけをやっていないで、少し難しそう・面倒そうに見えて避けていたことにチャレンジする。楽しむ。
【答えを誰が知っている?】
[ロボットが思った通りに動かない]
学びラボ ロボット教室ではよくあること。というか、市販品や自分で設計したパーツを組み合わせてロボットを作っている高専や大学の研究室などだとよくある話。 (以下、ロボット教室で実際によくやっていることだけれど、専門用語が並んでいるので、私が言いたいことをすぐに読みたい方は次の空行の先の段落までジャンプしてください)
テキストの通りにやっても、テキストに書いてあるようにロボットが動かないのだけれど、ほかの人は問題なく動いていることがある。教室のテスト検証用ロボットでも、問題がない。
そういうときにはまず最初に、書き込んだというプログラムが適切なものだったか確認し、パーツを一つずつ交換して、どのパーツに問題があるかを探す。ジャンパー線で電子回路を作っているときにはさらに、ジャンパー線が断線していないかテスターで測り、もう1回パーツのプラスマイナスの方向を確認し、ジャンパー線の配線も再度確認する。ジャンパー線で何回もつないでいるときには、端と端で電気が通じていることを確認する。
といったことを、問題が無くなるまで延々と続ける。
先日もある生徒がそういう状況になり、私と2人で一緒になってあーだこーだ言いながら調べていた。すると、その生徒が思わず
「あー、おもしろ!」
普段から「こういうのが、ロボットを作るってことなんだよ。これを経験するのが、このロボット教室がある意味なんだよ。ところで、どこが悪いんだろうね?(^_-)-☆」と私が口にしているせいもあるけれど、まさか生徒の口から聞けるとは想像していなかったので、とてもうれしいことばだった。何をおもしろいと感じたのか聞かなかったが。
ロボットを作ったり、プログラミングしたりというとき、トラブルは必ず起こる。どこかに原因は必ずあるのだけれど、自分が調べないとわからない。だとしたら、おもしろがらなきゃ損。原因を順番に考えていくのは、RPGゲームで装備をそろえるのと同じで、とても面白いこと。ロボット教室の先生は備品のパーツを次々出してきて助けるけれど、その一方でトラブルが起こったからって減点しないし、評価や採点はしないから、安心して思いのまま納得いくまでやればよい。
トラブルのとき「誰かが答えを知っている」と助かるけれど、それはあり得ない。
[どうやったらいいですか?]
ロボット教室で、生徒から「どうやったらいいですか?」と問われることがある。
その時、このように答えることが多い。
「テキストのその問いの辺りをよく読んで、関係ありそうなものが見つからなかったら、この回のテキストの最初から読んで、考えてみて」
もしくは、「どう考えたか、今まで考えたことを教えて?」
もっとも、答えを知っている人からの常識クイズのように、答えを知らないと何を質問しているのかわからない問題もあるので、「わからない」と声を出してくれるのは、お互いのためにもとてもうれしいことである。
でも印象で申し訳ないけれど、「どうやったらいいですか?」と質問する人は、やり方よりも「正解」を待っているように感じることが多い。
もしかしたら、「計算するための式」を教えてほしいのかもしれないけれど、数学や理科の場合は式を書けたらあとは間違えずに計算するだけ。なので、式を教えたら、答えを教えているのと一緒。「式を作れるようになることが勉強すること」。だから、式を教えないで、式の作り方、考え方を伝え、テキストに書かれている数字を入れたら式になるようにホワイトボードなどで説明するようにしている。すると、ポケっとこっちを見ていることがある。「正解」を教えてほしいのだなあ、と感じる。
「正解」を教えてもらえないと、頭がフリーズしたり、聴いたことを無視して行き当たりばったり何の根拠もなくあらゆることを変えて、うまくいかなくなり、絶望したりする。
こういう振る舞いに悪気はないし、本当に困っている。おそらく「学校で何かがあって、無意味な思考パターンや変な決めつけをするようになった」のだとみている。
そんな、「困っている人の思考方法」を理解するヒントになること2つを見つけたので紹介したい。
①どうせ答えがあるんだろう?
「水中の哲学者たち, 晶文社, 永井玲衣 https://amzn.to/3RNDpGb 」より概要を引用。正確には書籍をご覧ください。
哲学者が小学校に出前哲学授業をしたときのこと。授業で考えたテーマは「大人と子供の違いとは?」。
授業妨害する生徒がいた。発表の時間に、ほかの生徒の発表に割って入るように
「本当は答えを知っているんでしょ?
いいんだよ。早く言って。言っちゃいなよ、答え」
とニヤニヤ笑っていた。
常に誰かが決めた正解があり、それが問われているだけ、という日常。
考えさせる授業じゃなくて、答えさせる授業だろう。これまでもそうで、ずっとそうで、これからもそうだろう、と見切っている。
筆者の哲学者は、その生徒だけではなくすべての生徒にこんなことを思わせるのが、学校や日常になっているのだろうと考えた。
このように思わせる先生や親など大人のことばは、
「これは、そういうものだ。つべこべ言わずに覚えなさい(計算しなさい)」
「ニュートン力学から量子力学に移る時」や「江戸から明治に移る時」じゃあるまいし、とにかくそのまま受け入れろという言い方しかしようがない状況は人類の歴史の中でも多くない。(説明下手を隠すために、「つべこべ言うな」という人は多い)
そんな言葉を頻繁に耳にすると順応してしまい、「答えがあるなら教えてよ」となるのはよくわかる。
②無駄なことをしないで最短ルートで答えを知って、その後やり込む
「「とりあえずやってみて」とか「まずは自分で考えて」が、今の若者に響かない理由。, 雨宮紫苑 https://blog.tinect.jp/?p=77189
だという。最近のYouTubeを含めたSNSでの情報発信と受信、情報交換を見ると、このように考えるようになるのは、人間の自然ななりゆき。「水は低きを流れる」というけれど、手抜きや楽をしたいというのではなく、使えるものがあったら使うのは当然のこと。階段があってもエレベーターを使う人が極めて多いのと同じ。
筆者は、「やり方の正解がわかったあとで努力する。ゲームでラスボスを倒した後でやり込むように」と書く。でも、やり込む人ばかりではないし、「ラスボスを倒したらあとは僕の勝手」となるのが多くの人で、そういう人は「あーあ、簡単だった。つまらん」と言うことだろう。
ブロックのロボット教室で、見本ロボットを見ながら完全コピーで完成させて、このセリフを言う生徒がいたり、満足した顔やほっとした顔をしてノルマをこなした後のように片付け始める生徒がいたことを思い出した。
[どうやったらいいですか?への回答]
以上のように、「努力したって、考えたって意味がない。どうせ正解があるんだから、それを教えてもらってスッキリしたい。その後は好きにしたい」
というのは、人間の技術進歩の過程から考えて当然の考え方。
でも、最初のところで勘違いしている。
ロボットを作るのも、勉強するのも、誰も正解を知らないことに取り組んで、自分で正解を見つけていくこと。たとえば、数学の「リーマン予想」を証明しようと150年間数学者が取り組んでいる。ブラックホールや重力の仕組みなど、正解を誰も知らないことだらけ。歴史でも、古墳に誰が埋葬されているか今ではわからなくなっていることが多い。世の中は、正解がわからないことばかりといってもいい。
取り組みたいと思う人がいないと、人類は答えを得られない。でも、取り組みたいと思わない人にやらせようとは誰も思わないので安心してほしい。
だから、おもしろいし、やりたいことをやってほしい。
たしかに、正解が決まっていることをもったいぶって問題を解かせて点数をつけられて評価されるのは腹が立つかもしれない。競争心が高くて友達との点数比べにテンションが上がる人もいるだろうけれど。
テストなどで問題を出している人が、「私は強い立場だ」と見せつけているのであれば、その人が勘違いしている。その人のプライドを満足させるためにつきあう必要はない。
ロボット教室に来ている立場の人にとって、正解が決まっていることであっても、調べて、考えながら取り組んでいくのがおもしろいし、「調べる」「考える」トレーニングと考えてもらいたい。ロボット教室に来ている今なら間違えてもそんなに恥ずかしくないので、今のうちにいっぱいトレーニングしておいた方がお得。
と納得して、[どうやったらいいですか?](2ページ目)を読むと、意味がわかってくるのではないだろうか。まずは、「正解があるのに教えてくれず、答えさせられているだけ」という決めつけは意味がないので捨てましょう。
(学びラボ 若狭 喜弘)
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