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「歴史・文化の玄関で学びの旅 若狭小浜美浜編」にモニターの皆さんと行ってきました!前編

#わかさはっくつプロジェクトでは、現在、嶺南の魅力を取り入れたモデルコースを造成中。 先日、【歴史・文化の玄関で学びの旅 若狭小浜美浜編】を開催し、モニター参加者の皆さんからさまざまなご意見をいただいたのでご報告します。

今回学んだことは?

左から、モニターの荒井さん、歴史文化館サポーターの田中さん、モニターの森野さん、岩垂さん、長谷さん、馬渕さん。右端は学芸員の近藤さん

集まってくれたモニターの方は、10〜30代の女性1名と男性4名で、うち2名は県外出身者でした!
「大学OBのグループLINEで、モニター検証の募集記事が流れてきた」という意外なルートから申し込みされたモニターさんもいました。

  【行程】
若狭町歴史文化館
   ↓
脇袋古墳群
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お寺に寄り道
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振り返りワークショップ
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小浜市で夕食
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八百熊川に宿泊
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熊川宿の移住者もりゆかさん講演
   ↓
振り返りワークショップ
   ↓
美浜町で昼食、振り返り

1日目は、普段は入ることのできない嶺南の歴史を深掘りし、
2日目は、嶺南を拠点に活動する移住者の方に、田舎での暮らしや活動を通して感じたことなど、リアルなお話を伺いました。

今回の旅は「歴史・文化の玄関で学びの旅」と銘打っているものの、1日目と2日目のテーマが大きく異なりますので、記事を前後編に分けてお送りしたいと思います。

前編では、『若狭町歴史文化館』や『脇袋古墳群』の見学、学芸員さんの解説を通してモニターの皆さんが学んだこと、大事だと感じたことをシェアしたいと思います。

・コアな情報を持つナビゲーターの存在
・「歴史」に実際に“触れる”
・日常の中にある資源と関わりながら、各々が住む町と比較する

今回の記事では、当日の様子とともにこの3つの学びをひも解いていきます。

コアな情報を持つナビゲーターの存在

施設や古墳について解説してくれた学芸員の近藤さん(写真中央)

いつもの#わかさはっくつモニター検証では、大川はるなちゃんがナビゲーターとして活躍していますが、今回は、その道の専門家が助っ人ナビゲーターとして参加してくれました。

近藤さんは学生の時から、若狭町内の古墳の発掘調査に携わっており、現在は、若狭町の職員として学芸員をされています。

今回のモニター検証では、歴史文化館展示室での古墳の副葬品や埴輪などの展示物の解説にとどまらず、実際に古墳を案内していただき、終始熱量をもって歴史について教えてくれました。歴史に関心のあるモニターからの質問にも、一つひとつ丁寧に回答していただきました。

「若狭町歴史文化館サポーターの会」代表 田中小百合さん

また、近藤さんに加えて『若狭町歴史文化館サポーターの会』の代表である、田中小百合さんにも加わっていただき、埴輪の復元に関するお話を教えていただきました。

若狭町歴史文化館サポーターの会は、町内の古墳を周知するために結成された有志のグループで、出土した遺物の整理作業も行っていらっしゃいます。出土した埴輪の土を洗い流し、埴輪の一片ずつに出土した場所や年月日などの情報を書き込み、最後にパズルのように埴輪を組み立てていく接合作業をするそうです。

モニターの森野さん「近藤さんや田中さんに案内してもらえたことで、普段、歴史文化館や古墳に行っても知りえない情報まで知れたことが楽しかった。恐らく、見学するだけでは物足りなさを感じただろうと思う。また、古墳が大好きな近藤さんが凄い熱意でお話をされていたので、そういうものをしっかり残していかなければならないと感じました」

また、以前から古墳群があることは知っていたというモニターの長谷さんは「古墳に対して知らなかったことが多く、埴輪や装飾品を知ることで時代背景を楽しく学ばせてもらいました。今後、もっと知る機会が欲しいと思いました」と話していました。

「歴史」に実際に“触れる”

今回は近藤さんのご厚意で、埴輪を洗ったり出土品の接合をしたりする部屋までご案内していただきました。しかも、一部の埴輪については、手で触れても良いという承諾をいただき、実物をペタペタ触らせてもらいました。

部屋の中にあった復元途中の埴輪を例にとって、「この破片が埴輪のどこにハマるか」を当てるクイズ大会が即興で実施されていました。埴輪の復元に携わる田中さんに、接合する際のポイントを説明してもらった一同でしたが、クイズでは誰も正解することは出来ませんでした(笑)。

実物の埴輪を触らせてもらう機会はめったにないので、モニターの皆さんからは「今後、もっと体験型ツアーをやった方がいいのでは?」という提案の声も上がりました。

歴史文化館からほど近くにある、脇袋古墳群も皆で訪れました。ここは国の史跡に指定されており、若狭で最大の上ノ塚古墳をはじめ、西塚古墳などがこのエリアに存在しています。

みんなが歩いているところが、前方後円墳(上ノ塚古墳)の前方部です

モニターの岩垂さん「古墳に足を運んだ時はドキドキしました。まず歴史文化館で近藤さんのお話を聞いて、知識を身につけた後に足を運ぶと、より一層解像度が上がって勉強になった」

モニターの長谷さん「田んぼの跡地が古墳の堀だったという話は、古墳に行っただけでは分からない。歴史教科書の中だけで勉強していたようなことも、実際に行って触れてみることで、記憶に残る学びに変わった」

今回、唯一の女性モニターであった馬渕さんは「会社で古墳の話題を上げてもハードルが高いので、歴史に興味を持ってもらうための、間口を広げるようなイベントをするのがいいのではないか」と新たな提案もしてくれました。

日常の中にある資源と関わりながら、各々が住む町と比較する

脇袋古墳群からの景色

脇袋古墳群は、住宅が点在する集落の中に存在します。モニターの皆さんは、古墳もさることながら、周辺の環境も気になったようで。

モニターの荒井さん「古墳にロマンを感じた。ただ、周辺の空き家に目がついた。誰が守っていくんだろうというのが気になりました」

モニターの岩垂さん「古墳自体は学校で習うからみんな知ってるけど、普段触れる機会がないし、自分自身、地元広島の古墳を知らないので、今度帰ったら調べてみたい。あと、夕焼けの田んぼの景色が良かった。SNSに上げたくなるいい写真が撮れた。生活感がある中に学ぶことがある、安心感、ゆったり感があって良かった」

今回の行程

最後に、今回の行程を写真とともにご紹介します。

若狭町歴史文化館

若狭町役場 上中庁舎の中にある文化館です。
若狭町にある古墳からの出土品など(多くが本物で、レプリカは少ない)を展示しています。

展示室では古墳時代の基礎知識から、副葬品や埴輪の説明まで丁寧に説明していただきました。

脇袋古墳群

脇袋古墳群の中でも、西塚古墳、上ノ塚古墳、中塚古墳を見学しました。

脇袋に若狭地域の最初の首長墓が築かれ、その後、立て続けに同じ集落内に古墳が築かれたそうで、その理由は、脇袋の立地に関係があるとか。

かつて脇袋は、京都大阪方面・朝鮮半島方面・越前方面の3つの交通ルートの要所であったため、当時の権力者も脇袋を重要なポイントであると考えていたことが理由だそう。

法順寺

脇袋古墳群を散策中に出会ったお寺。あまりに立派なお寺だったので、いつもの#わかさはっくつのように、「気になるからあっちに足運んでみよう」と立ち寄ってみました。

後から調べてみると、なんと法順寺には、重要文化財の仏像があるそうです!

振り返りワークショップ

ワークショップでは、記事中で紹介したようなさまざまなご意見をモニターの皆さんからいただきました。

解説してくれた学芸員の近藤さんは「皆様からの忌憚ないご意見のなかで、我々が課題として捉えていたこともいくつか頂戴しました。皆様のご意見も参考にさせていただき、今後の脇袋古墳群のさらなる周知に繋げていきたいと思います。何より一番良かったのは、脇袋古墳群を知ってもらえたことです」と話していました。

Bistro mouton(ビストロ ムートン)

小浜市内の“お箸で食べられるフレンチ&イタリアン”『Bistro mouton(ビストロ ムートン)』で夕食をいただきました。

八百熊川

八百熊川』とは、若狭町熊川宿にある古民家と蔵をリノベーションした一棟貸しの宿。1日4組限定で宿泊が可能となっています。

去年のWAKASA発掘調査隊が訪れた際は、まだ工事途中だった八百熊川の『やまね』という棟に宿泊しました!

▼後編はこちら

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