「通過点」にこそ歴史が集中 若狭には“日本唯一”が詰まった古墳群があった!?【福井県若狭町を発掘!】
※こちらの記事は9月上旬に取材を行ったものです
福井県独自の緊急事態宣言下での発掘ということで、現地取材班は最小限の人数かつフェイスシールドをつけて、他のメンバーとはZOOMでつなぐ方法で発掘に出発します!
いつも通り無計画&アポなしでの発掘調査となるのですが、その分私たちは雑談を大切にしています!
今回は出発前の雑談で、
「そういえば若狭町って古墳が多いよね。国道を走っていても、脇に古墳をよく見かけるね!」という話が出てきました。
お!それってちょっとすごいんじゃない!?
サポートメンバーの山川みをさん(株式会社デキタ所属)「それなら歴史文化館に行けばいいかも!」
小林局長「歴史文化館はレプリカじゃなくて、現物が並んでいるから面白いかも!」
と、あれよあれよというまに最初の行き先が決定!
そこでは若狭の古墳、歴史のすごさを知ることができました。
地元では「福井県には何もない!」とよく言われていますが、たっくさんありましたよ!
若狭町の人々にとっては当たり前の風景である古墳。
それが実は、掘ってみるとすごい発見の連続で、大きな価値のあるものだったみたいなんです。
「当たり前の風景に実は大きな価値がある!」と分かった今回の発掘。
一体どんな価値、魅力を発見したのかご紹介します!
もっと注目されるべきでしょ!本物だらけの展示室【若狭町歴史文化館】
若狭町には多くの遺跡があり、世界でも知られている上中古墳群というすごい歴史遺産なんかもあるんです。
『若狭町役場 上中庁舎』の中にある『若狭町歴史文化館』では、そんな若狭町にある古墳からの出土品などを展示しています。
役場の中にあると聞いていたので簡単な展示室なのかな~と思っていたのですが、とんでもない!
実際はとってもすごい場所でした。
なんとここに展示されている出土品の多くが本物で、レプリカは数点しかないんだそうです。
ここでは、若狭町歴史文化課の近藤さん(学芸員)に案内していただきました。
出土品にはどんなものがあるかというと、例えば金色のきれいな耳飾りがありました。
本物の金で、5世紀の中ごろ(西暦450年頃)に朝鮮半島のほうからもらったものだと考えられているそうです。
え⁉1500年以上前のものなの⁉
金ピカだし、普通におしゃれなデザインで、そんなに古いものには見えません!
近藤さん「この時期に海外との交流があるというのは全国的にも珍しく、この地域が早い時期から独自の対外交渉をしていた、つまりそれくらい自立した活動ができる土地であり、独立した古墳文化が営まれていたと言えます」
さらに、なんだかすごそうな3つの甲冑も見ることができました!
(残念ながら写真はNG(;_;)気になる方は実際に行ってみてください^^)
若狭町にある向山1号墳(この古墳もすごいらしい。本州最古の横穴式石室を持つんだとか!)から出土したもので、甲冑が3つもそろって出土するのは全国的にも珍しいことだそう。
金の耳飾りはこのうちの1つの甲冑の内部から出てきたので、持ち主は武人的な要素を持つ男性だったのかもしれません。
ほかにもさまざまな出土品が展示されていましたが、ここまで充実した副葬品(死者とともに埋葬された品物)が揃っている古墳は、この時期(5世紀の中ごろ)にはそうそうなかったようです。
こんなにすごい展示品のほとんどが本物だとは…。
若狭町歴史文化館、もっと注目されるべき場所だと思いました!
そして、若狭ってすごい場所だったんだ!!とみんなで大興奮!
若狭町出身で、発掘プロジェクトプロデューサーの若新さんも、「今は何もない場所だと思われがちだけど、本当に歴史ある場所だったということなんだから、そこをもっと掘り下げたいよね」と嬉しそう。
あとで調べてみると、このあたりの地域(旧上中町・合併して若狭町になりました)には三宅という地域があります。
ヤマト朝廷においてみやけとは全国に設置した直轄地のことを指し、若狭町の三宅も、地名からしてその直轄地のひとつだったと考えられるそうです。
つまり、地位のある人もいたわけで、そんなことから立派な古墳もたくさんあるということなのでしょうか。
さて、展示室だけでも大満足だったのですが、近藤さんはさらに作業室にも案内してくれました。
埴輪を洗ったり、出土品の接合をしたりする部屋のようです。
一般には解放されていないのが残念ですが、今回は特別に見せてもらっちゃいました!
中でも存在感のあるこちらの道具が目に留まりました。
なんと、古墳時代の鋤なんだそう。
木製なのにとてもきれいに残っていることにびっくり!
たまたま良い環境に埋もれていたことで、現代までこのようにきれいな形で残ることができたようです。
これは西塚古墳(前方後円墳)のくびれから出土したものなんですが、くびれの部分は古墳では重要な部分であり、さらに西側の開けた側から出土したため、祭祀に使われたと考えられているんだとか。
1500年以上も前に使われていたものがこうやって目の前にあるって、信じられないですよね。
若狭の古墳について俄然興味がわいてきます!
近藤さんによると、旧上中町の中でも脇袋の集落には代々の王様の古墳が集中しており、若狭地方最大の前方後円墳である上ノ塚古墳をはじめ、西塚古墳、中塚古墳は脇袋古墳群と呼ばれ、国の史跡に指定されています。
脇袋は都、朝鮮、越前につながる3点の中心とも言える場所で、当時は重要な場所だったのではないか、とのこと。
すると、「あ!そこってプラントがある場所じゃん!」と若新さん。
脇袋には、福井では有名な『プラント』(SUPER CENTER PLANT−2 上中店)というスーパーがあります。
若新さん「旧上中町ってもともと何もなくて、嶺南ではただの通過点。みんなが買い物に集まるのも以前あった『Aコープ』と小さな商店くらい。
それが、何もない田んぼの真ん中にプラントができるって噂になって、当時はざわざわしたんだよね。
そんな田舎にでかいスーパー作って誰が買いに来るの?
滋賀とか京都からくるって言うけど、そんなわけある?って(笑)。
それがオープンしてみたら、実際に滋賀や京都ナンバーの車が止まってるんだよね!
今でもアクセスがいい土地ってことに変わりはないのかもね」
昔も今も変わらず交通の要所と言える脇袋。
そこに歴史が集中し、
現代ではプラントができ…。
プラントのあたりを掘り返したら昔の偉い人の痕跡があるかも!と笑っていましたが、冗談ではなく、このあたりにはまだまだたくさんの貴重な遺産が本当に眠っているのではないでしょうか。
実際、脇袋古墳群は現在発掘調査の真っ最中とのこと。
近藤さんの母校である花園大学の考古学研究室の学生や院生たちが今まさに発掘調査をしているということで、ご案内していただくことになりました。
道中、プラントにもちゃ~んと寄って行きましたよ(笑)
土曜日ということもあってか、車が次々と出入りして混雑していました。
周りに目立った建物がないため、大きさ以上の存在感もあるし、そのたたずまいはまさに現代の古墳⁉といった感じでした!
若狭町歴史文化館
福井県三方上中郡若狭町市場20-17
https://www.town.fukui-wakasa.lg.jp/jomon/rekibun.html
ただいま発掘中!日本唯一と呼ばれる日も近い⁉【脇袋古墳群】
若狭町歴史文化館から車で5分ほどで、脇袋古墳群に到着!
ここは国の史跡に指定されており、上ノ塚古墳や西塚古墳などがこのエリアに存在しています。
▲一部分だけに密集しているのは栗の木で、その下が糠塚古墳
▲こっちのもこっとしているところは西塚古墳!
こうして離れて見ると、畑の真ん中に古墳がぽつぽつと点在しているように見えますが、中には高さが5~6mもある古墳もあり、見えているのはそのてっぺん付近のほんの一部。
つまり、まだまだ地下深くに潜っている部分がたくさんあるということなんです。
そして脇袋古墳群の中でも、上ノ塚古墳は若狭地方最大の前方後円墳であり、若狭地方で最初の首長墓(王様の墓)なんだとか。
全長100m、後円部の直径64m、前方部の幅60mということは、ちょうど学校にある25mプールを4×4で並べたくらいの大きさってことですよね。
想像できない大きさです!
大きすぎるスケールに圧倒されていると、まず案内されたのは上ノ塚古墳の前方部分。
大きな穴を掘っていました!
基盤の石の調査をしているそうです。
穴はかなり深くて、上からのぞき込むのは怖くて足がすくみました。
小雨が降っている中、学生さんたちは泥だらけになりながら作業していて、(本物の)発掘作業ってとっても過酷なんだと思いました。
するとそこに、発掘を指揮している花園大学の高橋克壽教授も来てくださいました。
雨で作業が中断したのでご案内してくれるとのこと。
見せてくださったのは糠塚古墳の前方部分。
オレンジっぽいかけらがあるのがわかりますか?
これがはにわ!
かつては古墳のまわりを囲むように置かれていたんだそうです。
若狭町の調査では、全国にも例がない遺構や、全国的にも調査が進んでいない貴重な発見が立て続けになされているそうです。
高橋教授「日本唯一の古墳群を、今まさに発掘しているところなんです!」
日本唯一って!すごくないですか!!
若狭町の古墳を全国の人に知ってもらえたら嬉しいな!
とともに、まずはこのすごさを地元の方に知ってもらいたい!と思いました。
脇袋古墳群
福井県三方上中郡若狭町脇袋
https://www.town.fukui-wakasa.lg.jp/jomon/gazo/download/kofun-map.pdf
銀杏観音もすごいけど百体地蔵も必見!【諦應寺】
そろそろいい時間なので、ラストの場所へ!
いくつか案があって迷ったのですが、歴史系のスポットつながりということで、諦應寺に向かうことに。
脇袋古墳群から車で5分くらいの場所にあるお寺なんですが、ここは銀杏観音で有名。
こちらです!!
なんと、銀杏の木に十一面観音立像が彫られているんです。
1850~53年頃(幕末)の不安定な世の中で、飢饉、病気などに対する不安を解消するために当時のご住職が彫ったと伝えられているそう。
現在のご住職によると、「銀杏の木がある場所はお寺への参拝者が必ず通る場所であるとともに、村を見渡せる場所でもあるので、この木に観音様が彫られたのではないか」とのことでした。
「早くコロナが終息しますように」と願いを込めてお参りをし、帰路に…
と思いきや、さらにすごい場所を見つけちゃいました!
駐車場の脇に、たくさんのお地蔵様が!!
200体以上はいそうです。
ネットにもパンフレットにも載っていなかったけど、こっちのほうもすごいんじゃない⁉と本日最後でまた大興奮!
あとでご住職に連絡してみると、「中央の大きなお地蔵様はお寺のものですが、それ以外はお寺での祈祷のお礼や、薬師如来にお参りしたお礼としておまつりされたものだと言われていて、定かなことはわかりませんが、お地蔵様に彫られている年号などから、幕末や明治期から始まったものかもしれない」ということでした。
杉林の中に、無数のお地蔵様が並んでいる様子は少々不気味にも思えましたが、たくさんの人々の感謝の想いがこのような景色を作ったと聞くと、また違った景色に見えてきます。
百体地蔵という名前ですが、実際は250体以上のお地蔵様があるようです。
諦應寺に行く際はぜひ百体地蔵もご覧ください!
諦應寺
福井県三方上中郡若狭町安賀里33-1
https://www.fuku-e.com/010_spot/?id=23
当たり前の風景に知られざる価値があった!
今回は若狭町の旧上中町周辺を発掘してきました!
若狭町歴史文化館では旧上中町の古墳をはじめとする歴史に触れ、その後実際に脇袋古墳群の発掘現場にお邪魔しました。
若狭のほうには古墳が多いと聞いたことはありましたが、ここまで狭い範囲に密集していて、しかも大きさも歴史もこんなにすごいとは思っていませんでした。
「近くに古墳があるのは小学生の頃から知ってたけど、それが普通だと思ってたからね(笑)まさかこんなにすごいとは!」(若新さん)
「これぞまさに、地元の人も知らない若狭のすごさですね」(小林局長)
と、私たちも終始大興奮でした。
「福井県には何もない!」と福井県民はよく言いますが、実は私たちが当たり前だと思っている風景にこそ、大きな価値が隠れていることがあるのかもしれません。
発掘現場では全国にも例がない遺構や、全国的にも調査が進んでいない貴重な発見が立て続けになされているそうです。
若狭の古墳が全国的に有名になる日が来るのもそう遠くないかも!?
まずは地元の方、福井にいる私たちがその魅力を知って、大切にしていきたいなと思いました。
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