神は周辺に宿る⁉ あの超有名神社に隠された魅力とは【福井県敦賀市を発掘!】
本日の発掘調査は、泣く子も黙る氣比神宮!
敦賀駅から徒歩15分ほどの場所にあり、電車で敦賀に来た人も気軽に訪れることができる、敦賀市を代表するザ・観光スポットです!
国の重要文化財にもなっている大鳥居は、奈良県の春日大社、広島県の厳島神社と並んで、日本三大木造鳥居の1つに数えられています!
かつての越前国の中では、最も格が高いとされる神社(一の宮)とされ、明治維新以降の近代社格制度(神社を等級化した制度)でも最上位の官幣大社でありました!
そんなすでに有名かつ格式高い氣比神宮で、新たに発掘するものがあるのでしょうか?
しかし、今回のサポーターは、『観光ボランティアガイドつるが』の会長・増田正樹さんということで、きっと面白い発掘があるに違いない!
前回も未発掘古墳にたどりついちゃったし!!
という最初の予感通り、今回の発掘では「有名神社に行ったら、あえてメインスポットから離れて、周辺に何があるか探してみると面白い!」ってことを発見しました。
一体どんな発見があったのか、ご覧ください!
神降臨!氣比神宮はじまりの地【土公】
氣比神宮といえば、冒頭で紹介した鳥居と並んで本殿がメジャースポット!(←本殿なのでそりゃそうなのですが!)
なので、とりあえず本殿に向かうのか⁉と思いきや、オンライン(福井県独自の緊急事態宣言下だったため)で参加中の小林局長から「土公さんに行ってほしいです!」とリクエストが!
歴史に造詣が深い小林局長からのリクエスト、必ずパワースポットに違いない!
「(心の声)ドコウさんってなんだろう…。」と思いつつ、何より神宮の聖地ということなので、本殿を華麗にスルーして、土公さんに向かいます!
増田さんいわく、本当に歴史があるのは実は本殿よりも土公さんなんだとか。
一体どういうことなんでしょう?
俄然興味がわいてきました!
そして、少し歩いて辿り着いたのは何の変哲もない駐車場。
寺井隊長「あ!ここ『敦賀祭り』のとき、露店でいっぱいになる場所だ!敦賀祭りのメインは、例大祭っていって『えんやさーえ!』って山車を引くんだけど、子供にとっては露店が思い出深いんだよね~!懐かしい~!」
「で、この辺にお化け屋敷があったんだよね!ボール投げて遊ぶゲームなんかもあって…」
と、寺井隊長が思い出に浸っていると、何やら見えてきました。
え、なんか鳥居が見えるんだけど…
ここ駐車場ですよね?
増田さん「ここが土公さんです!」
おお!
…で、土公さんって何なんですか?
増田さん「土公とは、陰陽道における土地を司る土公神の異名で、目の前の小山(塚)はその神様が祀られた場所だと考えられます。そこに地元の神様である伊奢沙別命 が降臨したと伝えられています」
「で、その神様が降臨した場所があの丘なんです」
ってことは、あの丘が氣比神宮の始まりの場所ってことですか?
普通にすごいっ…‼
ていうかあの丘がある場所って、小学校の校庭の中…に見えるんですけど…。
増田さん「はい、その通りです。昨年度で廃校になっちゃったんですけど、敦賀北小学校の校庭の中にあるんです。実は私もこの小学校の卒業生だったんですけど、先生から『登っちゃダメ!』と言われていました。それだけ神聖な場所ってことです」
あの丘も元々は氣比神宮の境内だったそうですが、戦後、学校用地として譲渡され、切り離されちゃったそう。
最も神聖な場所なのに、現在の境内からは離れ小島になっちゃったってわけです。
なんだかさみしい気もします…。
でも土公さんは、社家文書(神社に関する史料・古文書)にも「触るべからず、畏み尊ぶべし」と書かれている通り、世俗的なことから引き離して区別されるものと考えられていたため、そのまま手を付けずに校庭に残したそうです。
触れてはいけないので、調査も行われておらず詳細は明らかになっていないんだとか。
と、この辺りからボランティアガイドの増田さんの怒涛の氣比神宮ネタが止まらなくなりました。
【天筒山は手筒山であった説】
土公さんの向こうには天筒山が見えます。
天筒山の頂上には広けた場所があって、そこがお釈迦様の手のような形をしていたため、天筒山ではなく、“手”筒山であったとも言われているみたい。
昔は神仏習合で神様と仏様は仲良しだったので、最初にここに降臨した伊奢沙別命という地元の神様も、お釈迦様の手を天から見据えて、ここに降臨することにしたとも言われています。
現在その場所は公園として整備されているようですよ!
ちょっと行ってみたいなあ。
【氣比神宮の大鳥居は今の場所ではなく土公さんの横にあった説】
▲指をさしているところが現在の大鳥居。西側にありますね!
最初にくぐった大鳥居ですが、かつては今の場所ではなく、土公さんのすぐ横、境内から見て東側にありました。
というか、鳥居は参道の入口なので、東や南など陽が当たるところに置くのが一般的なんだそう。
しかし、江戸時代の早い時期に現在の西側に場所が移りました。
なぜ西に持って行ったのかは諸説あるのですが、
ひとつは、現在の鳥居の前に栄えている港町が広がっているから。
もうひとつは、かつては神仏習合だったので、仏教の西方浄土(人間界から十万億土離れた西のかなたに煩悩のない世界がある)という考え方から。
と言われているみたい!
【全国最古の神宮寺は氣比神宮にあった説】
明治時代の廃仏毀釈でなくなっちゃったんですが、かつては氣比神宮にも神宮寺があったそう。
それが文献によると全国最古の神宮寺だったんだとか!
今でもその神宮寺の流れを組む6つのお寺(5宗派)が氣比神宮の周辺にあり、その6つのお寺が一緒にまちを盛り上げたい!と団結し、『角鹿会』と称して活動しているそうです。
【空海と最澄が訪れた説】
日本仏教の二大開祖である最澄と空海も、天皇の命を受け、国家の安定のためにこの土公さんの前で祈祷をささげたそうです!
というわけで、
土公さんはめちゃくちゃ聖地of聖地でした!
…にしては、現代における扱われ方、ちょっと雑じゃないですか?(笑)
それによって、よりミステリアスさが増して、魅力的にも見えたのは確かですが!
増田さんも子供の時はよく分かっていなかったので、かくれんぼして叱られたそうです(笑)
敦賀の名前の由来!?【角鹿神社】
増田さんが「お時間があるならこちらもご紹介を…」と誘ってくれたので、土公さんのすぐ横の神宮境内にある小さな神社へ。
増田さん「角鹿神社といいます」
つぬが!
“つるが”に似てる!
そうなんです!
そのまさかで、ここは敦賀という地名発祥の地!!!
敦賀の地名の由来はいくつかあるそうなんですが、『日本書紀』には、朝鮮半島から任那の王子であった「都怒我阿羅斯等」という渡来人がここに来たことにちなんで「つぬが」と呼ばれるようになったと記されているそうです。
この人が鹿の角のような鎧をかぶっていたことから角鹿という字が当てられたんだとか。
▲敦賀駅前にある都怒我阿羅斯等像
また、その後、中央政権から「好字(良き字)を付けよ」とお達しがあって、大宝律令で「敦賀」となった、という説が有力なんだそう。
現在も、この神社のすぐ横に敦賀市角鹿町という地名があり、かつてそこは政所(政務を執り行う所)であったため、都怒我阿羅斯等を祀った神社をおいたと言われています。
ちなみに敦賀市のマーク(市章)は、周囲の円形は敦賀港を表していて、中央の角は都怒我阿羅斯等にちなみ、角の上部は敦賀港最初の文明施設としての灯台を表現しているんだとか。
ところでこの氣比神宮も戦争の空襲で被害を受け、戦災を免れたのは大鳥居と一部の建物のみだったそう!
そしてもう一つ、中門も戦災から免れました。
というのも、氣比神宮の中門であったものを、昭和17年に海沿いにある常宮神社に移築していたため、戦災を免れることができたんだそう。
こちらもご利益ありそうですね!
現在も常宮神社に行けば見られますよ!
敦賀には松尾芭蕉ゆかりの品がある⁉【松尾芭蕉像】
再び、大鳥居に向かって歩いていると…
松尾芭蕉の銅像が!
日本を代表する紀行文『おくのほそ道』で有名な松尾芭蕉。
『おくのほそ道』は、岐阜県の大垣が結びの地となっていますが、実はその直前は敦賀にいたのです。
各地を満月に合わせて旅程を組んでいた芭蕉は、 中秋の名月に合わせてこの氣比神宮に足を運んでいます。
その際に詠んだ句は、「月清し遊行のもてる砂の上」。
翌日は雨となり、 「名月や 北国日和 定めなき」の句も詠んでいます。
(今夜は中秋の名月を期待していたが、変わりやすい北陸の天気で、あいにく雨になってしまった)
変わりやすい北陸の天気は、今も昔も同じなんですね。
そして、芭蕉が愛でた名月は、2021年10月に「氣比神宮にのぼる月」として、美しい名月の魅力を国内外にアピールする『日本百名月』に選ばれたんですよ。
さらに、『おくのほそ道』の原本は弟子に渡り、現在は敦賀で受け継がれているそうです。
また、松尾芭蕉が『おくのほそ道』の旅で使っていたとされる竹杖や宿帳も敦賀に現存しています。
敦賀在住の所有者さんが、市外への流出を避けるため、宿屋の関係者から購入して自宅で保管していて、それを2017年に敦賀市に寄贈されたんだそう。
おくのほそ道の最終地点は大垣ですが、ここに杖を置いていったってことは、元々の最終目的地は氣比神宮で見る中秋の名月だったのかもしれませんね!
氣比神宮
福井県敦賀市曙町11-68
https://kehijingu.jp/
超有名な寺社仏閣は、あえて周辺スポットに注目!!
寺社仏閣に行ったら、拝殿や本殿を目指す人がほとんどだと思いますが、今回訪れた氣比神宮では、その周りに神聖な場所、歴史を感じる場所をたくさん発見しました!
看板の説明も丁寧に読んでみると、日本史の教科書では知ることができなかった驚きの歴史が記されており、町の歴史を一歩踏み込んで知ることもできました。
寺社仏閣に行く際は、メインスポットの周りに何があるかに注目してみては?
新しい発見があるかもしれませんよ!
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