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【エッセイ】自分の卒業式では泣かなかったが、アイドルの卒業コンサートでは涙を流す
小学校、中学校、高校、大学、人生の中で経験した卒業式というものでは、一切泣いたことがない。
むしろ、泣いている同級生を横目に、より冷静になってしまうという、どこにでもいるような、ひねくれた子どもだったと思う。
ただ、推しているアイドルの卒業コンサートや卒業セレモニーを見ると、自然と涙が流れてしまうようになった。
なぜ泣いてしまうのか。
理由を紐解いていくと、シンプルに、推しがグループを卒業してしまい、寂しくなってしまうからだ。
だが、改めて考え出すと、頬をつたう涙の中には、様々な要因が含まれていることに気づいた。
学校、学生というのもそうだが、グループに所属しているアイドルもまた、いつかは卒業して、終わりが来るもの。
もちろん、生涯現役のアイドルという人もいるが、多くのグループアイドルの場合、デビューした瞬間から、「卒業」の影はちらつくものだ。
学校の場合、留年なんかを除けば、初めから卒業までの期間はわかっている。そのため、自分の中でも準備期間はあるし、入学したからには、卒業を果たすのが責務であるとも言える。
しかし、アイドルの場合、初めから卒業時期を明言する人はいない。
心の中では決めていても、それを公言する人はまあいないだろう。そんなことを最初から言われてしまったら、育てがいがないし、応援するモチベーションも複雑になってしまう。
だからこそ、卒業する時期はわからないし、なんなら、「この子は卒業なんてするわけない」とすら思ってしまっている。
そんな中、卒業コンサートの日を迎え、グループアイドルとしてのラストパフォーマンスを見ると、夢ではなく現実であることを突きつけられるし、おめでたい気持ちと嫌だと思う気持ちで心の整理がつかなくなり、その結果、涙が流れてしまうことにつながる。
他の泣いてしまう要因として、推していたその人の、アイドルとしての世界線が消滅してしまうことも考えられる。
推しが卒業した後も、そのグループが解散しない限り、そのグループは存在し、活動を続ける。
でも、そのグループの未来から、卒業した人はいなくなってしまう。
新曲が出るたびに、「あの子だったらどんなパフォーマンスをしただろう…」や、バラエティ番組で面白い企画をやっていたら、「あの子だったらどんなリアクションをしてただろう…」のように、あるはずのない姿を思い浮かべてしまう。
そうなってしまうことがわかっているから、卒業コンサートを見ている時点で、すでに涙が込み上げてしまうのだ。
それに、グループを卒業した人が、その後も芸能活動を続けるとは限らない。
卒業=芸能界引退という人だっている。
芸能活動を続けようが辞めようが、その子の人生は続いていくわけだが、日常的に見守っていた人の姿を見る機会が減ってしまう。見ることができなくなってしまうというのは、自分の世界を照らしてくれていた太陽が消え去り、夜が訪れたような気持ちになってしまう。
こんなのは応援している方のエゴではあるのだが、それでも、自分のメンタルや生きるモチベーションを支えてくれていた柱の一つがなくなってしまうのは悲しいもの。
その柱が大きければ大きいほど、失ってしまった時のダメージも相当なものになるだろう。
人間はいつだって、何かを得るときよりも、失った時の方が、より感情が動く生き物だと思っている。
「かけがえのない時間」というのは、結局、過ぎてみないと実感できないものだろう。
こんな気持ちになるのがわかっていながらも、これからも推しの応援は続けるだろうし、新しい推しとの出会いもあるだろう。
応援している側の勝手な出会いと別れを繰り返しながら、喜びと悲しみを味わいながら、また涙を流す日がやってくる。
推しの卒業で心が掻き乱され、それをまた別の推しが救ってくれる。
そうやって、感情がジェットコースターのように動くことで、生きていると実感させてくれるのかもしれない。
改めて、アイドルの卒コンで、なぜ泣いてしまうのかを考えてみると、自分という人間が、客観的な人間であることに気付かされる。
どんな人間かというと、己の人生でありながら、俯瞰的に見てしまっている人のことであり、自らのやりたいという衝動よりも、周囲の状況から、自分がやったほうがいいんだろうなというのを察知して、欠けているピースの形になるほうが得意な人のことだ。
反対に、主観的な人というのは、いわゆる主人公気質な人であり、悲劇のヒロイン体質、良くも悪くも我が出せる人のことだと思っている。
簡単に言うと、主観的な人が船長(キャプテン)であり、客観的な人は乗組員(クルー)ということ。
どちらにも長所と短所はあり、どちらが良い悪いというのもない。
客観的な人間であるからか、自分自身が幸せになりたいという願望があまり強くない。
ただ、推している、好きな人には幸せになって欲しいと心から思っている。
卒業は一つの区切りであり、終わりではあるが、新たな始まりの合図でもある。
そんな祝福の意味が込められている涙であるならば、流れることで、自分自身の心が洗われ、救われるような気がする。
喜びの涙や悲しみの涙があるように、感謝の涙もある。
そんな涙が頬をつたうその日まで、推しのことを全力で応援しよう。
推さない後悔より、推して大満足したほうがいいに決まっているのだから。
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