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【エッセイ】やたらと低姿勢な人ほど、プライドが高いことがある

世の中には、誰がどう見てもプライドが高いんだろうなという人がいる。
そういう人は態度や言動から、プライドの高さが垣間見えている。
そういう人と接する時は、プライドを傷つけないようにしなければいけないのが面倒ではあるが、わかりやすい分、見えている地雷を踏まないようにすればいいので、案外簡単だったりするものだ。
 
しかし、世の中には、一見、プライドなんて全くないですよ、というような雰囲気を出しているにも関わらず、実は、内心のプライドがめちゃくちゃ高いという人も存在している。…と思っている。
 
そういう、隠れ高プライドの人は、こちらが遠慮してしまうくらいに低姿勢であり、丁寧過ぎる人に多い傾向があるように思われる。
 
なぜそう思っているのかというと、自分がそっち寄りの人間であると思っているからだ。
自分自身、プライドが高い方だと思っているが、他人から見られた時の自分のキャラクター像として、プライドの高さが似合わなそうであると思っているので、プライドなんてありませんよ、というような振る舞いをしてしまうことが多々ある。
 
仲良くなれば別だが、初対面の人やある程度の距離感がある人には、上手く隠せていると思っている。
そして、プライドが高いと人に思われたくないというところが、プライドの高さを表しているとも思う。
 
自分自身がそうであるように、隠れ高プライドの人が悪いとは言わないが、接する上で気をつけなければいけないところもあると思っている。
それは、パッと見でプライドが高そうな人よりも、隠れ高プライドの人の方が、突然キレてしまうことがあるということ。
 
隠れ高プライドの人は、その性格上、基本的には円滑なコミュニケーションを図りがちだ。
ただ、人とのやり取りの中で、プライドが傷つけられていくと、他人から見れば何の変化もないように思われるが、当人の心の中では、傷がどんどん大きくなっていき、プライドが砕かれた時、人には見られないようにしていた、怒りのコップの水が溢れてしまい、怒りが大爆発しまうことがある。
 
その結果、周囲の人からすれば、普段温厚な人が突然キレた、というように受け取られてしまうのだ。
ただ、キレた本人からしたら、唐突ではなく、それまでの蓄積によって怒ってしまったのだが、普段の自信の行いのため、突然キレた人という印象を与えてしまうことになる。
 
このように、隠れ高プライドの人には、円滑なコミュニケーション能力という長所と、怒りを内に溜め込みやすいという短所がある。
自業自得の部分が全くないわけではないのだが、温厚そう、優しそう、というのにつけ込まれて、傷つけられてしまうことがあるのは理不尽である。
 
ここまでで、結局、何が言いたいのかというと、プライドの高さが一目瞭然の人であろうが、一見、プライドのかけらもなさそうなおとなしそうな人であろうが、相手が傷ついてしまうかもしれないような無礼な言動や、失礼な態度は取らないに越したことはないということ。
 
もちろん、プライドの高い人に対して、過剰に気を使う必要もない。
揉め事は起こさない方がいいが、プライドの高い人が理不尽な場合もあるし、高圧的な態度を取られることもある。
そんな時は、目に見えてわかる地雷をあえて踏んでいき、そのプライドをへし折ってあげるのが仕返しであり、優しさであることもあるだろう。
 
人付き合いというのは、本当に難しい。
考えないのもよくないし、考えすぎもよくない。大切なものではあるが、面倒なものでもある。
だからこそ、この社会は複雑で、生きづらさを感じることもある。
 
それでもまた、プライドなんてまるでないような顔をして、心の中ではプライドの鼻を高々と掲げながら、今日を、そして、明日を生きていこうと思う。
 
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