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私は「家」に居場所がなかったけど、外の世界に救われたという話

私の居場所は、自分の“家”ではありませんでした。

子どもにとって、家庭環境が良いに越したことはないというのは、子を持つ親なら、誰もが思うのではないでしょうか。

だから、私は3人の子育てをするようになった今、とても不思議に思うのです。

世間一般で語られるような“良い家”のイメージとは違う環境で育ったのに、なぜ、私は“悪”に走らずに大人になれたのかと。


ワカルク代表・石川沙絵子へのロング・インタビューシリーズ。ワカルクのルーツでもある石川個人の人生観・仕事観や、ワカルクという会社に込められた想いなどを全6話でご紹介します。

※本インタビューは、社外ライターによる約5か月に渡る取材をもとに執筆/構成を行っています。
(インタビュー/執筆:藤森ユウワ)


少し冷めた目で「他の家」を見ていた小学校時代

子ども時代の私の家の雰囲気をテレビ番組で例えてみるとするなら、ドラえもんでもなく、ちびまる子ちゃんでもなく

『菊次郎とさき』

という感じでしょうか(実際そうだった、というわけではないのですが)。

だから私にとって、家とはあまり帰りたくない場所でした。

帰りの会が終わり、勢いよくランドセルを背負って校門の外へかけていく同級生の後ろ姿を、私はいつも少し冷めた目で見ていました。

「私と比べたら、みんなよっぽど幸せだよな」と。


「家の外」へ出て行くしかなかった

だからこそ、“家の外”での活動を熱心にやったのだと思います。小学校のときは委員会やクラブ活動に、中学校からは部活動に打ち込みました。

私が進学したのは伝統ある中高一貫の学校。入部したテニス部は中学生と高校生が一緒にやる形式だったので、とても厳しく、毎日ヘトヘトになるまで練習に明け暮れていました。

校則の厳しい学校でしたから、「部室へどうやっておやつを持ち込むか」とか「ソトレン(屋外での練習)の間にどうやってキレイに日焼けするか」とか友だちとそういうことをやって楽しんでいました。

小学生のころと比べれば使えるお金は増えましたし、行動範囲も広がったので、1日のほとんどの時間を学校の友だちと一緒に過ごしていました。

そのおかげで家で過ごす時間が短くなったことが、私にとっては良かったのだと思います。


外の世界には「いろんな家」があることを知った

そして、中学・高校で“いろんな家”の人たちと出会えたこともまた、私にとって良かったのだと思います。

学校には土地柄、さまざまなバックグラウンドを持った人たちが通っていました。

私の実家は自営業ですが、サラリーマン世帯の子もいれば、親が大企業のお偉いさんだったり、テレビで見たことのある有名人だったりする、そんな子たちもいました。

家庭の事情で、いろいろとたいへんそうな子も見かけました。

そういう人たちが身近にいたことで、「あぁ、世の中には“いろんな家”があるのだな」と思い、“自分の家”のことも少し客観的に見られるようになりました。


でも、最後まで私の居場所は「自分の家」ではなかった

高校2年生のとき、姉が大学進学で実家を出ることになりました。私も同じタイミングで実家を出て、近くに住んでいた祖母の家に居候をすることにしました。

父はどう思っていたか分かりませんが、母は私の気持ちを察してくれたのか、特に反対もしませんでした。

家を出て別で暮らすようになった、そのときに、私は「自分の人生がいよいよ開けたような感覚」を覚えました。

結局、17歳で出ていくときまで、私の居場所は“自分の家”ではなかったのです。


小学生のころから、ずっと持ち続けていた「問い」

高校卒業を控え、進路を考える時期になりました。

私には小学生のころから抱いていたある問いがありました。それは、なぜ、人は“悪”に走るという選択をするのだろうかということです。

世の中には“いろんな家”があります。中には家庭環境が原因で非行に走ったり、犯罪を起こしてしまう子もいます。

私はそこに疑問を感じました。

自分の家庭環境を振り返ったとき、私もその人たちと同じように「何かを起こす」という選択肢もあったはずなのです。

なぜ、人は“悪に走る”という選択をするのか
なぜ、私はそれを選ばなかったのだろうか

これが、私が長年抱いていた“問い”でした。


答えを見つけるため「家裁調査官」になりたかった

私は“問い”の答えを、大学での学びで突き止めたいと思っていました。進学先を選ぶときに、二つの方向性で迷いました。

一つは心理学部。
もう一つは法学部です。

法学部というと将来の仕事は公務員や弁護士、裁判官を思い浮かべる方が多いと思いますが、私がなりたかったのは

『家裁調査官』

という仕事でした。家裁調査官とは、家庭裁判所で取り扱っている少年事件などについて調査を行う仕事です。

紛争のさなかに置かれている子どもに面接し、問題の原因や背景を調査して、福祉や医療などの機関との調整を行いながら、当事者にとって最もよいと思われる解決方法を検討し、裁判官に報告する

そんなお仕事です。

私は、より現場に近いところで誰かの力になれる仕事がしたくて、家裁調査官を目指し法学部への進学を選びました。

その後、大学での学びを通じて最終的には違う職業を選ぶことになるのですが、

「人がよりよく生きられるよう、誰かの力になりたい」

という軸は、今でもずっと変わっていません。


家は子どもにとって大切だが、家の外で健全な関係性が築ければ、それもいい

なぜ、人は“悪に走る”という選択をするのか
なぜ、私はそれを選ばなかったのだろうか

こうして振り返ってみると、「家の中か外かに関わらず、健全な関係性や居場所を作れるかどうか」が、その答えなのかもしれません。

私も3人の子育てをしていて、家は、子どもにとって確かに大切なものだと思っています。

ただ、“家の外”にはとても広い世界が広がっていて、いろんな家があり、そこではいろんな人たちが生活を営んでいます。

そうした人たちとふれ合い、自分と比べ、違いを考える。そうすることで、子どもは相対的に

私にとって“家”とは何か
そして、“私自身”とは何なのか

ということを認識し、親とは違う自分だけの世界を作っていくのではないかと思うのです。

私の家のリビングには、ある“絵”が飾ってあります。

将来、子どもたちがみんな家を出て行き、それぞれ“家の外”に居場所を持っている。でも、ときどき“家”にみんなが集まって「私は今、こんなことをしているんだよ」と会話をしている。

そんなイメージを絵にしたものです。

忙しく働きながら子育てをしていると、不安に思うことがあります。「私はちゃんと、子どもたちにとって良い環境を作ってあげられているのだろうか」と。

でも、子どもも、そして親自身も、

“家”という枠にとらわれ過ぎず外の世界へと出かけていき、自分の居場所を見つけること

の方が、それぞれの人生にとっては大切なのかもしれません。

***

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

「自分はちゃんと子育てができているだろうか」

と不安に感じる方にとって、もし、このnoteがなにか少しでもお役に立てていたら嬉しいです。


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