手元の物を使い続けることも、エシカルです。【エシカルって買うだけじゃない】
はじめに
エシカルという言葉は、消費やファッションと並列して語られることが多く買い物をして始めて、エシカルな行動を取れたようなイメージを抱かせてしまっている。ただこれは資本主義として当然の原理が働いているのであって悪だと断罪したいわけじゃない。エシカルな消費行動が広がって、市場が大きくなってエシカル商品が巷に溢れることが目指す未来です。けれど、買わないと「私はエシカルな行動ができていないという思いを抱かせてしまうことは望むところではない。
大切なことはちょうどいい
わかりみ商店のコンセプトは、気軽におしゃれに環境に優しい暮らし、でも無理はしない。ひとことでまとめてしまうと、ちょうどいい暮らしだと思っています。過剰ではなくかといって少なすぎることもない、それがちょうどいい。今日履いた靴を拭いて、磨いて明日も使う。使った食器を洗って乾かして、明日も使う。その工程繰り返しが暮らしです。そこに生まれる大事にする気持ちや愛着は買うことではなく、使って暮らしに馴染んでゆくことで生まれるもののはずです。だからこそ、高い物=大事にするというわけでないことは皆さんもよくご存知なことだと思います。
愛着の正体
愛着は自然と湧く物であり、誰かに強制されて生まれるものではありません。物と過ごした時間、機能、そして物がどうやってここまでやってきたのかストーリーを知るとさらに愛おしく感じられるものだと思うのです。例えば、子どもが書いた母の日の絵は意味をなさない線、ぐるぐる、かろうじて輪郭がわかる円だったりと様々です。でも我が子の名前と絵を見るとそれは巨匠の絵を見たときに劣らない、いやそれ以上の感動があるはずです。生後0日から成長を見守ってきた我が子がお母さんありがとう!の画用紙に絵をかけるほどに成長したなんて。。。。なんと愛おしくて仕方ない!そんな感情が湧き上がるのです。これまで成長してきた記録、歴史、経過をしっているからこそ一本線がが書いてあるこの画用紙が感動傑作になるんです。
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さてやや趣旨と外れた感がありますが、物に対する愛着は知ること、育てることで醸成されることは納得いただいたと思います。ここでようやく本題です。新しいものを買うだけでなく(もちろん買うことを否定するわけではありません)、育てることで愛着を育もうということです。
物を育てる
物を育てる=磨く ことだと思うのです。
ここで冒頭の使った食器や靴磨きの話です。ご飯はテイクアウトを食べて、プラスチック容器のまま、付属のプラスチックスプーンで食べる。靴は磨いたことはなくて、古くなったら新しいものを買って履く。磨くより手間なくすぐ使える方がいい。そんな日常が当たり前になりました。でも物を育てるという視点から、物と向き合って愛着を持ってみませんか?気に入ったお皿に盛り付けるだけで楽しい気持ちでご飯が食べられて、お気に入りの愛着ある靴で出かける日常は、これまでよりもわくわくしているはずです!
おわりに
ここまで読んでくださったあなた、ありがとうございます。私なりに愛着や物との向き合い方を書き連ねてみました。もしもこのnoteを読んで手元にある物を磨いてみたいなと思ってくれたならこんなに嬉しいことはありません。ぜひわくわくする日常を過ごしてみてください。