反フェミニズムの論点
反フェミニズム(アンチフェミニズム)的言論の盛り上がりが無視できない規模になってきた。少なくない人々がそう感じているようだ。
そこで本稿では、この分野にあまり詳しくない初学者に向け、反フェミニズムとはどのような諸言論によって構成されているのか、可能な限り客観的な視点でまとめてみたいと思う。
筆者の個人的な意見はここでは述べない。あくまで「反フェミニズム」を構成する諸言論の思想地図を作成することが目的である。
それでは始めよう。
①平等主義からのフェミニズム批判
反フェミニズム論壇において現在(2021年4月)活発に議論されているテーマのひとつが、社会的不平等の文脈に基づく異議申し立てだろう。
これらの主張はふたつに大別できるように思う。男性差別に対する異議申し立てと、告発権力の格差に対する異議申し立てだ。
「マスキュリズム」もしくは「弱者男性論」
マスキュリズム/弱者男性論とは、男性差別に対する異議申し立て運動だ。
彼らの主張を一言でまとめると
「フェミニストは世界が男尊女卑で溢れていると語るが、世の中はそれほど男性有利に出来ているわけではない。むしろ男性が不利な立場に立たされている面が多くあり、彼/彼女たちはそれを見逃している」
とでも要約できるかもしれない。現在(2021年4月)のインターネットでは「マスキュリズム」よりも「弱者男性論」の方がおそらく通りが良い。
ちなみに「マスキュリズム」を直訳すると「男性主義」というような意味になるが、「男性学」(メンズ・スタディー)と呼ばれる一派とは主張を根本的に違えている点に注意が必要だ。
彼らはフェミニストたちの主張とは裏腹に、多くの面で男性が差別されていると主張する。具体例を挙げると、
・戦時において男性のみが兵士として徴用される
・肉体的に危険な仕事(土木作業員、漁師、下水処理作業員など)は男性に優先的に割り振られる。
・ホームレスの90%以上が男性によって占められている。
・自殺者の70%近くが男性によって占められている。
・ひきこもり、孤独死などの社会的孤立者のほとんどが男性である。
・過労死ラインを超える過重労働に晒される労働者のほとんどが男性である
・幸福度を数値化すると男性の幸福度は女性のそれより際立って低い
・法制度において、男性を差別する様々な条項が存在する(親権制度、遺族年金など)
・性犯罪やセクシャルハラスメントの被害にあっても、男性はそれを訴えることができない。
などなど。取り上げたのはあくまで主張の一部だ。
このような構造をマスキュリストは「ガラスの地下室」と呼ぶ。フェミニストが主張する「ガラスの天井」(女性が一定以上の地位に着きづらい構造を指した造語)に対して、男性には「ガラスの地下室」(悲惨な地位に男性が着きやすくなる構造)があるのだとする考え方だ。
さて、「男性が不遇な境遇に留め置かれている」とする世界観についてはマスキュリスト/弱者男性論者におおむね共有されているが、その原因に対する考え方には大まかに二通りある。
「性役割」によるものだとする考えと、
「告発権力の男女差」によるものだとする考えだ。
以下ではその二者の相違について解説する。
「性役割規範」or「かわいそうランキング」
男性は多くの場面で差別され、女性と比べて不遇な状況にとどめ置かれている。マスキュリストたちはそう考える。ではその原因はどこにあるのだろうか。
1970年代から2000年代までの伝統的なマスキュリストは、その原因を性役割の中に求めた。構築主義的ジェンダー論に立脚し、女性が性役割に囚われているのと同様に、男性もまた性役割に囚われているのだと考えたわけだ。
ゆえに古典的マスキュリストは、真の男女平等のために男性に課せられた性規範を(女性に課せられた性規範と同様に)解体していこうと考える。これはいわゆるジェンダーフリー思想などとも極めて近しい考え方だ。
もう一方の主張が、男性が不遇な状況に留め置かれるのは生得的な男女の性的魅力格差が原因だとする考え方だ。これらを説明するタームとして現在(2021年4月)最も普及しているものに「かわいそうランキング」がある。
「かわいそうランキング」とは評論家の御田寺圭によって2018年に提唱された概念で、世間から「かわいそう」と思ってもらえるか否かに大きな男女格差があるとする考え方だ。
男性の社会的不遇はこの「かわいそう」と思ってもらえる力の弱さによって生じており、男性の困窮者は「かわいそう」と思ってもらえないが故に「自助・互助・共助・公助」の網から外れ、ガラスの地下室を転落していく。御田寺らはそう主張する。
ちなみに「かわいそうランキング」については英語圏でも似た議論がある。
たとえば「犠牲者文化の台頭」(Rise of Victimhood Culture)という概念が英語圏では提唱され始めているが、これはブラッドリー・キャンベルとジェイソン・マニングによって2018年に提唱された概念だ。
MeTooに代表される現在のキャンセルカルチャーが台頭した結果、現代社会においては犠牲者の権力者化が生じている。その中では「犠牲者」であることは力であり権力であるので、みながこぞって「犠牲者」であろうと競争し、結果として競争的犠牲者(competitive victimhood)が生まれる。
とまれ、マスキュリズム/弱者男性論の主張をまとめれば、
「男性は女性に対して(部分的であれ総体的であれ)不遇な立場に立たされている」
という前提がまずあり、その原因として「性役割」または「魅力格差格差」をあげていると概観できるだろう。
ちなみに男性差別の原因として「性役割」を挙げる一派は基本的にリベラルな価値観を肯定する。彼らの究極的な目的は男女双方の性役割を解体し、真の男女平等を目指すことだからだ。ここでは彼らをマスキュリスト左派と呼ぼう。
一方で「告発権力」を男性差別の原因と考える側は、男女平等は根本的に実現不可能であると考える傾向が強い。これは「かわいそう」という感情を起因させる力(英語圏では「sexual capital」などとも呼ばれる)に生来的な男女差があり、それゆえ性規範を解体しても性的魅力資本の格差は解体できないと考えるからだ。これを上と区別してここではマスキュリスト右派と呼ぶ。
②自由主義からのフェミニズム批判
リベラリズム、すなわち伝統的な自由主義的視点からの反フェミニズムも昨今では急激に増加している。彼らの主張はフェミニストたちがある種の「自由」を過度に制限しているというものだ。
「表現の自由」論争
現在インターネットにおける反フェミニズム論壇において、特に盛んに議論されているのが表現の自由にまつわる諸問題だろう。特に漫画・アニメ・ゲームなどの「オタク」的文脈の上に立つ女性キャラクターに対して、フェミニストが集団的に抗議運動を展開する事例が2013年以降に相次いでいる。これにより表現規制に反対する古典的リベラリストたちと、アニメやゲームの愛好家、アニメやゲームの業界団体による共闘関係のようなものが形成されつつある。
フェミニストによる表現規制が日本において本格的な論争を巻き起こしたのは、2013年の人工知能学会の学会誌イラストが恐らく最初の事例だろう。
人口知能学会が学会誌の表紙に女性型ロボットを採用し、米国の大学で教鞭を取る女性研究者によるTwitter上での告発が起こり、それをきっかけにSNS上において「炎上」状態となった。この表紙デザインは後に他のものに差し替えられた。(当時の経緯)
他にも主要な論争として、
・人口知能学会の表紙問題(2013年)
・三重県志摩市の公認キャラクター問題(2015年)
・美濃加茂市の美少女ポスター問題(2015年)
・NHK特設サイトにおけるバーチャルYouTuber起用問題(2018)
・コンビニエンスストアにおける成人雑誌の取り扱い問題(2018年)
・日本赤十字社ポスター漫画問題(2019年)
などがある。
ちなみにフェミニストによる表現規制が反フェミニズムにおける主要な論点となっているのは、日本語圏のみならず英語圏においても同様だ。
英語圏では2014年のゲーマーゲート論争を契機にインターネット上で反フェミニズムが爆発的に流行した。このゲーマーゲート論争は複雑でいくつものトピックがあるのだが、表現の自由を求めるゲーム愛好家&古典的リベラリストと女性差別の観点から表現規制を求めるフェミニストの対立が主な争点であることは本邦における漫画やアニメを巡る論争と全く同様だ。
英語圏(特に米国)には1980年代以降、アンドレア・ドウォーキンやキャサリン・マッキノンらによって牽引された反ポルノグラフィ運動の伝統があるが、近年では「ポルノ」とは言い難いような表現にもその理論が援用され始め、ゲームの内容にまでポリティカル・コレクトネス(政治的な正しさ)を求める風潮があった。
それはセクシーな女性キャラクターや、ゲーム内におけるシナリオにまで及び、ゲームメディアにおける枕営業疑惑(ゲーマーゲート論争)をきっかけにゲームファンの不満が噴出したような形となったわけだ。
ちなみに極めてややこしい話なのだが、表現規制問題についてはフェミニストも反フェミニストも一枚岩ではない。反ポルノグラフィ問題についてはフェミニスト内でもラディカル・フェミニストとリベラル・フェミニストの対立があり、また宗教右派を始めとする伝統主義者(当然根っからの反フェミニストである)がポルノ規制を求めてラディカル・フェミニストと共闘する場面も見られる。
「学問の自由」論争
「学問の自由」は広義には「表現の自由」に含まれるが、語られる文脈が全く異なるのであえて分離する。
フェミニズムが牽引するポリティカル・コレクトネス(政治的正しさ)によって、学問の自由が脅かされているとする議論がある。
この論争が過熱した契機のひとつは、2005年に生じたハーバード大学の学長不信任案事件だろう。「科学と工学分野における高位レベルの研究者がなぜ男性に偏るのか」という疑問について、当時ハーバード大学学長だったローレンス・サマーズが男女の能力分布の統計的差異について言及し、職を追われた事件があった。
類似の事例はその後も継続的に発生し、2017年にはGoogle社において社内フォーラムで男女の生得的差異について言及したエンジニア(ジェームズ・ダモア氏)が解雇され、2019年には心理学者スティーブン・ピンカー氏に対する学会除名嘆願運動が生じた。これらは日本でも大きく報じられた。
「学術界において視点の多様性が許されなくなっている」
「実証的研究がポリティカル・コレクトネスによって妨害されている」
という意見は次第に膨れ上がり、2015年には社会心理学者のジョナサン・ハイト氏と法学者のニコラス・ローゼンクランツ氏によって「学会における視点の多様性を向上させる」ための権利運動(ヘテロドックスアカデミー)が発足している。
「キャンセルカルチャー」に対する批判
以上のような「表現の自由」に関する論争についても、「学問の自由」に関する論争についても、その根底にはポリティカル・コレクトネスに基づく検閲文化(キャンセルカルチャー)に対する批判がある。
映画、アニメ、ゲームなどのフィクションにおける表現、実証に基づく学術研究、SNSや公共空間における発言、それらが以前よりも過度に制限されるようになったと考える人々が多数おり、さらにキャンセルカルチャーの中心にはフェミニズムがあると彼・彼女らは考えているようだ。
実際、創作物おける表現規制論争は女性表徴にまつわるものが突出して多く、学問研究における表現規制もジェンダーの観点から実証研究そのものを批判する事例が目立つ。「中心」であるかどうかはさておき、キャンセルカルチャーにフェミニズムが大きく関わっていることは否定し難い事実だろう。
③伝統主義・共同体主義からのフェミニズム批判
最後に、フェミニズムに対する伝統主義者・共同体主義者からの根強い批判がある。
日本は宗教保守にそれほど大きな力がないので実感しにくいが、そもそもフェミニズムに対する最も古い反対者はキリスト教右派を始めとする伝統主義者たちだった。現代においては宗教保守だけではなく、国家や伝統的家族観などを重視する保守派がここに加わっている。
伝統宗教vsリプロダクティブ・ライツ
基本的な前提として、ほとんど全ての伝統宗教は男女の両性に厳しい性道徳を要求してきた。性交渉における規範を規定し、それを婚姻として制度化し、多くの場合は宗教教団自体がその制度の運用にまで携わった。
フェミニズム発祥の地であるキリスト教圏においては、性交渉は婚姻関係にある男女が繁殖を目的とした場合にのみ限定的に許諾されるという考え方が強く、避妊やフリーセックスや売買春は固く禁じられてきた。
啓蒙思想が普及し始めた18世紀以降、キリスト教的な性道徳に対する反対運動が盛んに生じ始め、メアリ・ウルストンクラフトのような最初期のフェミニストたちもこの論争に加わった。現在ではほとんど忘れられているが、最初期のフェミニズムが目指したもののひとつは「結婚制度の否定」と「自由恋愛の擁護」である。
これらは次第に範囲が拡大され、現在ではリプロダクティブ・ライツ(Sexual and Reproductive Health and Rights)と呼ばれることが多い。この言葉は日本ではリプロダクティブ(生殖)の権利の文脈でのみ語られることが多いが、Sexual(性の)という語から始まることからわかるように、本来は性的自由を含む広範な諸権利についてを内包する概念である。
リプロダクティブ・ライツの範囲は多岐に渡るが、特に論争を引き起こしているのが避妊の権利、堕胎の権利、セックスワークの権利だ。特に堕胎の権利については注目度が高く、アメリカ合衆国のようなキリスト教保守の文化が強い地域においては大統領選においても頻繫に話題になる最重要の政治的テーマのひとつとなっている。
キリスト教の影響があまり強くない日本においては、リプロダクティブ・ライツに対する反発と論争は米国ほど盛んではない。ただし歴史的には優生保護法を巡る論争などがあり、近年でも緊急避妊薬の市販化を巡る論争などがある。
少子化問題を巡る論争
先進国を中心に急速に進行しつつある少子化問題の根源にフェミニズムがあるという議論がある。
先進国における少子化は主に婚姻率の低下によって生じている。いち家族あたりが作る子供の数はほとんど変わっていないが、結婚する男女の数が減っている(非婚化)わけだ。
それでは非婚化はなぜ生じているのか。少なくない専門家が、女性の社会進出と女性の上昇婚志向の影響を指摘している。(代表に東京大学教授 赤川学など)
多くの統計的調査が示すように、女性は配偶者選択において自分よりも経済力がある男性を求める。しかし若年層においては女性の社会進出が進み、男女の所得差がほとんど無くなってしまった。すると現代において、「自分よりも経済力がある男性」を配偶者として獲得するのは難しくなる。
結果として生じるのが未婚化であり少子化である。もちろん共同体の持続可能性を重視する共同体主義者にとって、この状況は好ましくない。
ちなみに少子化問題に対する反フェミニストのスタンスには二通りのものがある。格上の男性を求めてしまう女性の意識変革を志向すべきだとする考え方と、女性の社会進出そのものを制限すべきだとする考え方だ。
前者はマスキュリズム左派と親和性が高い。男女の性役割を共に解体し、婚姻関係における男女の平等性を志向する考え方だからだ。
そして後者はマスキュリズム右派を兼ねている場合が多い。彼らは女性の意識改革に期待することは不可能であると考えており、その理由として男女の生得的な差異を挙げている。
伝統的な家族制度に対する賛否
伝統的な家族制度を擁護する立場からの反フェミニズムもある。日本における初期からの代表的な主張者はユング学者の林道義などだろう。
家族制度における論争の主題は主にふたつある。専業主婦に対する評価と、離婚問題についてフェミニストの責任を問う立場だ。
フェミニストの多くは専業主婦を従属的かつ奴隷的な立場であると否定し、女性も男性と同じく賃労働者としての立場を手に入れるべきだと主張する。しかし一方で伝統的家族制度の擁護者たちは、専業主婦を家族における代替不能なかけがえのないメンバーであると考え、特に子供の健全な生育のために不可欠であると考える。
この問題は著述家の石原里紗の著作をきっけに、主に90年代にヒートアップした。「専業主婦論争」と名付けられ、現在でもジェンダー学の分野では多くの論考がある。
離婚問題については日本よりも英語圏において議論が先行した。離婚が子供に与える悪影響がジュディス・ウォーラースタインらによって発見され、1970年代以降一気に社会問題化したからだ。
増加し続ける離婚や増え続ける婚外子について多くの議論が交わされ、フェミニズムの伸張はその原因のひとつとして問題視された。
あとがき
以上が「反フェミニズム」を構成する諸言論の概観である。可能な限り多くの資料に目を通した上で本稿を書いたが、全ての主要な立場を十全に網羅できたかどうか、全くもって自信が無い。
本稿を一見してもわかるように、反フェミニズムを構成する言論は極めて多様だ。右派・左派の括りを超えて反フェミニズムは構成されており、どのような理由でフェミニズムに対して反対するのかの理由も千差万別だ。
現在の論壇では反フェミニズム的言論を「ミソジニー」「モテない男たちの僻み」などと極めて雑に切断してしまう風潮があるが、そのような安易なレッテル貼りがなんら有益な知的成果に結びつかないことは自明だろう。
本稿がフェミニスト・反フェミニスト双方にとって、現在の思想的状況を解する一助になれば幸いである。
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以下ではマガジン購読者に向けて、筆者が本稿を執筆した動機について、ほんの少しだけ「あとがき」を書いてみようと思う。この記事を書くのに自分は相当の時間を費やしたが、書かねばならないと感じさせる思想的状況があった。それについて少しだけ紙幅を割く。
筆者に本稿を書かせた動機は、反フェミニズムを批判する現代の知識人(特に大学人)たちのあまりに貧しい知見に危機感を覚えるからだ。
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