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母子留学日記(番外編):自分の子供だからといっても 、自分と同じとは限らない

自分の子供だからといっても
自分と同じとは限らない

前回のnoteに書いていましたが
これは本当に早く気がつくと
もしかして子育てに悩む親御さんにとって
とても気が楽になるのかもしれない

ちょっと長くなりますが・・・

私は子供の頃から外で遊ぶのが大好き
日が暮れるまで野山を駆け巡っていた
色白で華奢で小柄(昔は)だったのに
クラッシックバレエとか習っていたのに
マンションの2階にある自宅まで
雨どいを登って侵入したり
粗大ゴミ捨て場の塀をよじ登り
色んなものを拾って林の中に秘密基地を作ったり
ザリガニ釣ったり虫取りしたり
一緒に遊んでいたのは男子のみ
いわゆる『女の子』というステレオタイプからは
全く反対を生きていたわけです

おままごとをした記憶もなく
当時みんな持っていたであろう
リカちゃん人形もシルベニアも持っていない
ウルトラマンとヘドラなんかを持っていた

クリスマスと誕生日には
竹馬・ローラースケートなど運動系か
仮面ライダーベルトゴレンジャーウルトラマンレコード等々

母はレースのついた白い襟付きのワンピースとか
自分で洋裁して私に着せていたけれど
足元の靴は仮面ライダーだったとかで笑
(そこは譲らない)
そんな素敵なお洋服も
鉄棒でスカート回りしていたりと
なかなかアクティブな子供だった

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母の手作り素敵なお洋服を着てますが・・・

なんでも『自分で!』っていう子供だったらしく
自分で出来ないと嫌なことは
誰が何と言っても自分でやる
人がどうとか考えた事なんて一度もなかった

記憶にある最初の挑戦は幼稚園年長の時
どうしても二重跳びが跳びたくて
階段の5段上から飛び降り
軽く捻挫したり
鉄棒が出来るまで全く家に帰らない・・・
などというレベル
(決してお勉強に関しては
出来ないのが嫌だと思った事がないという)

実際二重跳びが跳びたい気持ちから
誰に言われるでもなく毎日毎日練習して
この事がやがて小学校2回転校しても
身を助けてくれる事となった

子供に習わせたい事とはにも少しだけ触れているけれど

1回目小学校4年生の3学期
関東から関西へ微妙な年齢での引越し
当時色んな小学校の朝礼では
学年全員でグランドに出て
一斉に二重跳びをしていて
引っかかった人から座っていった
そうするとどうなるか?
ずっと跳び続けている人が目立つ!!
こうして見事学年最後の一人となって
『え、あの子体操服の色も違うけど、転入生?すごっ!』
となって馴染みやすくなった

2回目6年生の新学期
親もよくそんな微妙な時期に引越したな〜と思うけれど
(そして引っ越して割とすぐに修学旅行とか)
この学校でも朝礼で縄跳び大会があり
同じく二重跳びで最後の一人になり
二重跳びがすごい子として
すぐに友達が出来た
一芸が身を助けてくれた訳です

そんな私を自由に育ててくれた
自主性を重んじてくれたのは父と母
母と娘の共通点にも少しだけ触れている)
母はいつも夕方になると

ご飯よぉ〜

と公園まで迎えに来てくれた
決して『宿題は?』『勉強しなさい!』『やる事やってから!
などと言われた事はない
無関心とは違って
一人の対等な人間として扱っていたそうで

あ、でも夏休みとかのドリル系だけは
朝やってからだった気がするけれども・・・

おそらく私の事を信用してくれていたんだなと
とことん遊ばせてくれた
毎週末公園にお弁当を持って行って
暗くなるまで家族で遊んで・・・

中学は部活しかしていなかったし
実際中学3年だったかの成績が非常に悪かったのに
(とりわけ他の学年の時も成績は別に良くない)
親のコメント欄を読み返したら
『これからの娘の頑張りに期待しています』
と父が書いていた
こういう風に感じて子育てをしてくれていたんだなと
今になって再確認したし
決して『勉強しろ』と言われた事はない

こんな幼少時代を過ごした私は
同じように
『子供だから言うことを聞かせなくては!』
と思った事はなかったけれども
息子が生まれた時に期待したことが一つだけあった

バァ〜ん!!!

そう、戦隊もののレンジャーごっこや
ウルトラマンごっこが一緒に出来ると思っていた
息子に撃たれて私が倒れる的な

ところが
息子はそういうテレビ番組には全く興味が無く
たまたま主人がお姉ちゃんが生まれた時に買ってきた
プラレール(電車)に興味を持った
近所を走る電車にも興味を持って
踏切も大好き!も大好き!

幼稚園に行ったら
きっと周りのお友達につられて
戦隊モノに目覚めると思っていたけれど
やっぱり鉄道オンリー
公園でも幼稚園でも永遠に
仲良し友達と自転車に乗っている

この時点で悟ったわけです
子供は自分と同じではないし
自分の思ったようには育たない
って事を
戦隊ごっこはしない子なんだなと
(割とこれショックでした)

唯一お友達に感化されて入ったのが
小学校のサッカー部
お!やった〜!体育会系男子になるか?!?
と思っていたら
試合中にグラントで砂の山を作ってしまう
平和主義?!?な男の子

小学1年生の時点でも
試合に負けて悔し泣きする子もいれば
負けてもヘラヘラ笑っている子もいた
もちろん息子はヘラヘラ笑う派で
悔し泣きする友達に
『何で笑ってんだよ!』って怒られてた
それでもあんまり気にしてなかったけれど

この時にも再度気が付いた
子供だってそれぞれ個性があるんだって
産まれてからすぐに
人に負けたく無い気持ち
自分に負けたく無い気持ち
勝ち負けが関係ない気持ち
『自分が悔しく無いのか!!悔しがれ!』
なんて言ったところで
何にも変わらないなと
押し付けてはならないなと
かつて私が勝手に自分に負けたくなかったように
ある程度産まれもった性格があるのだと

だとしたら、息子が息子らしくいられるよう
全力でサポートしようと
とことん『鉄っちゃん』を突き進んでもらおう
最近〇〇博士という子供が減っているらしいし
好きな事に没頭出来るその気持ちは
きっと将来何かの役に立つと
そう信じることにしたわけです

とはいえ
本当に神様は私の忍耐力を試しているようにしか思えない!
と、何度も子育て中に思いました
なかなかユニークな息子の子育ては
やがてアメリカで大きく変化を遂げていくので
日記を書きながら紹介していけたらと思います


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