田舎娘からアイドルになった私の経緯と自己紹介
はじめまして、わかなです。
最近、多くの方と関わる機会が増え、「わかなちゃんって何をしているのかわからない」「いつもどこにいるのか掴めない」と言われることが多くなりました。そこで、自分の頭の整理のためも、自己紹介や経歴などをまとめてみようと思います。
少しでも誰かのヒントになれるように、行動に至った経緯やそこでの考えを書いていきます。
少し癖のある人生を送っていますが、どうぞよろしくお願いいたします。
基本情報
最近は都市と地方をつなげる「寿司MeetUp」を立ち上げ、都市と地方のきっかけの格差を解消するために、全国の学生、企業、行政の架け橋になっています。
実は、去年まで仙台でライバーと起業家アイドルとして活動していました。
今までいくつかの選択をする中で、挑戦で可能性を広げ続け、一度きりの人生後悔ない選択をするように心掛けています。
生い立ち。私の原点は山暮らし🏔
宮城県の蔵王町出身です。パラオからの引揚者の曽祖父が開拓した北原尾に、高校卒業までの18年間住んでいました。実家は酪農家です。大自然の中、牛と一緒に育ちました。
朝は「モーー」という牛の鳴き声で目が覚め、たまに牛が脱走することも。幼少期は、よく牛乳をあげるお手伝いをしていました。
実家から最寄りのコンビニまでは、歩いたら1時間半。常に車移動していたので電車の乗り方も高校生になってから覚えました。
自分にとっては当たり前の環境でしたが、成長するにつれて、大自然での生活は貴重な経験だったことに気が付きました。
この山暮らしでひねくれる環境のおかげで素直になりました。この経験が、私の全ての行動力の根源にあります。
仙台と東京のW拠点にこだわる理由
きっかけの格差を痛感した小学生~中学生時代。小学校と中学校では、子供が少なかったためクラス替えがなく、9年間毎日同じメンバーと過ごしていました。いじめの存在はなく、平和で楽しかったのですが、勉強の競争も全くありませんでした。
幼少のころから環境が大きな影響をもたらすことを実感していました。
上京した現在も、仙台と東京の2拠点持ち、学生と社会人の間の橋渡しをすることで、地方におけるきっかけの格差を減らしたいと考えています。
人前で話すのが得意!人気者な高校時代
高校は隣町の自称進学校に進学しました。入部した写真部は活動が少なく、時間に余裕があったので、自分の興味のある「宮城の食」について研究発表に取り組みました。
ここで初めて、自分の好きなことを研究し発表することで、周囲に認められる経験をしました。
自分でプロジェクトを立ち上げ、何度か発表会でも表彰していただきました。友達もたくさんいて、先生も応援してくれたので、とても楽しい高校時代を過ごしました。
違和感を感じた地方での大学生活。
「宮城の食」が大好きだった私は、宮城県内の農学部に進学しました。理系なので授業は忙しく、全て対面授業でした。
ただ、学校生活は自分が想像していたものではなく物足りなさを感じました。勉強もしていたのですが、理系の研究にあまり興味ないことに気が付きました。その反動から、学校外のコミュニティと仲良くなるようになりました。
最初の挫折。そこでの気づいたこと
「宮城の食」が大好きだった私は、姉の勧めで宮城県公認のお米大使オーディションを受けることになります。「好きなことで全国飛び回れたら楽しそう!」そんな動機でした。
オーディションは、最終面接で落ちてしまいました。なんでだろうと考えてみると、周りには有名なインフルエンサーや女医さんがいました。この頃の私は、やる気と元気があるだけのただの農学部大学生でした。その時、自分のしたいことをするためには、何かプラスαの力が必要だと気づきました。魅せ方を学ぶ必要があると実感しました。
最初の第一歩。ミスコン!
魅せ方を学ぶため、学生団体のファッションショーでミスコンに挑戦しました。3か月間、朝4時まで配信や打ち合わせをし、7時に起きて大学やバイトに行く生活でした。初めて1日が24時間じゃ足りない!と感じた経験でした。
コンテストを通じて、たくさんの方を巻き込み、本当にたくさんの方に応援していただきました。スピーチでは満場一致で1位を獲得し、全国選抜モデルに選抜されました。
そのおかげで、全国にミスコンやインフルエンサーの友達ができました。全国選抜モデルの中には、女優やインフルエンサー、アーティストとして活躍してる方がたくさんいました。それまで友人が県内メインだったのが、全国に活躍する同世代のネットワークを広げられたのがとても良かったです。
得意なことでお金をつくる経験
ミスコンを通じて、私は「ライブ配信」が得意なことに気が付きました。自分の「できること」を伸ばしてみよう!と思い、Pocochaライバーになりました。「まずは量を!」と思い、初配信は春休みだったので、友人との予定を全て調節し、1日10時間目標に配信に集中しました。
配信に集中した結果、初月には148名の方が1,000円以上の課金で応援してくれました。1ヶ月で約200万程の投げ銭がありました。
初月で、事務所最速記録や新人賞をとり、ランクはA帯の平均を超え、最高ランクのライバーから配信のやり方を指導してもらいました。
当時はラーメン屋さんで1年間アルバイトを続けていましたが、ライバーで初めて時給ではない方法でお金を得ました。経済的に楽になったことで、交通費の心配がなくなり東京に通いやすくなりました。
月1で東京に通うようになる
この頃、「夢は叶うと信じていますか。2023」のグランドファイナリストとして活動していました。毎月撮影や講義があり、東京に通う機会が増えました。
(世間知らずでまっすぐな頃のインタビュー動画。恥ずかしい、、汗)
夢かなを通して、素敵な女性たちと出会いました。その中でも私の一個上の女性起業家は、日本の着物をグローバル展開していました。同世代で活躍している彼女の姿は、私にとってかっこいい存在でした。
東京に通うようになり、宮城県内にいないような癖の強い人とも出会うことができるようになりました。見えているものの幅が広がりました。
「わーちょん、アイドルになるの興味ある?」
ライブ配信の順位がよかったことがきっかけで、ライバー事務所のプロデューサーから声をかけていただき、オーディションを経て、アイドルになることを決意しました。歌もダンスも未経験でしたが、「新しいことに挑戦してみたい」「一度きりの人生を後悔しないように」と思ったのがアイドルになった決め手でした。
「生きる意味」をテーマにしたロックからバラードまで幅広い楽曲を持つグループ。ファンの呼び方は株主、主催ライブは株式総会。当時のプロデューサーとの出会いがXでつぶやきがあります。
大学の休学を決めたアイドル練習生時代
やりたいことが多すぎて、キャパがオーバーになってしまったときがあります。そのときに、やるべきことの優先順位をつけました。紙に「今、やるべきこと」「今じゃなくてもいいこと」「私がやる必要のないこと」を書き出しました。
「今やるべきこと」に、アイドルデビューに向けた練習、ダンスや歌のレッスン、曲の覚え方、パフォーマンスなどが含まれました。「今じゃなくてもいいこと」に、大学の卒業が入りました。
周りには大学を休学する人はいなく、フル単で授業にも全て出席していたため、大学に通うことが当たり前だと思っていました。しかし、その時に「あれ、大学って今じゃなくてもいいのか」と気づき、休学を決意しました。
ついにわーちょんアイドルデビュー
約5か月の練習生期間を経て、2023年9月10日の主催ライブで追加メンバーとしてデビューしました。
私の担当カラーであるオレンジ色のペンライトが会場中にあふれ、今でもその光景がとてもきれいだったことを思い出します。
「わーちょん!わーちょん!!」というアイドルの掛け声とともに、私の名前がステージ上でもはっきりと聞こえてきました。
当時、私が初めてアイドルとしてデビューした曲の一部をご紹介します。お気に入りの曲です。
正しさよりも、うまくいくかどうかよりも、今この瞬間に湧き上がる衝動を信じて前に進みたい。 夢を追っている方は是非、聴いてみてください。
私の歌声が入っているオリジナル曲もあるので、ぜひご覧ください。
【何者でもない僕】この曲には、起業家であるプロデューサーの思いが込められていて、大きな影響を受けました。
当時、東北から世界を目指して大きなことを成し遂げる起業家に初めて出会いました。その熱意あふれる経営方針や生き方は、今の私にも大きな影響を与えています。
アイドル卒業。予定が白紙に・・・
9月29日に私のアイドル卒業が発表。デビューから表でアイドル活動したのは19日間、ステージに立ったのはたった3回の状態の早い段階で卒業を決めました。
後日、グループは解散の危機になりました。プロデューサーとリーダーのXでのつぶやきです。そこで私が卒業した背景も言及されています。
アイドル活動を優先して大学を休学していたため、今後の予定がすべて白紙になってしまいました。とても絶望的な気持ちでした。
上京したい。でも、ツテがない‥‥
何もない状況で時間だけがあった私は、上京することを決意しました。
ただ、知り合いが全くいなかったので、できるだけ多くの人に会いまくりました。面白い活動をしてる友人や全国選抜モデルの友達など、たくさんの人にDMを送り、紹介に紹介を重ねました。
その当時、時間があったので、一人でヒッチハイクもしてみました。
この頃、仙台市が運営する東北のスタートアップコミュニティ「TOHOKU STARTUP BIOTOPE」にも参加しました。東北にルーツのある大人や学生が多く参加していて、今でもお世話になっている方々と出会いました。
現在① トビタテ留学JAPAN発のシェアハウスで生活
ここで出会ったのが、トビタテ留学JAPANのOBが運営するシェアハウスGATEです。東北大出身のトビタテ1期生が立ち上げたもので、ご縁ができて入居することができました。
住人は留学経験のある人が多く、ジェンダー研究者や国連職員、元VC、女性エンジニア、経営者、中国の大学を主席で卒業した童顔29歳、元気なマッチョ、アフロ、カレー屋さんなど、さまざまなバックグラウンドを持つ面白い人たちがいます。
家に帰ると、屋上でBBQをしたり、コストコパーティーを開いたりしています。安心できるコミュニティで、頼りになる仲間がたくさんできてありがたかったです。
現在② 上場会社CVCでスタートアップと投資家を繋げる
「TOHOKU STARTUP BIOTOPE」では、秋田出身の株式会社ショーケースの代表取締役社長・平野井さんに出会いました。
ショーケースは、入力フォーム最適化のシェア国内No.1の東証スタンダード市場で上場しているSaaS企業です。
当時の活動の様子がラジオに残っていました。出会いから入社、当時のがむしゃらな様子をお話しています。
上京したばかり頃の必死さが伝わってきますね、、(笑)
現在、ショーケースCVCでスタートアップと投資家をつなぐ動画プラットフォームの運営を主に担当しています。日々、エクイティ調達を検討しているスタートアップや、VC、CVC、事業会社の方々とお話ししています。
社会人経験を積むために、週5日出社して社員とほぼ同じスケジュールで働いています。自分の裁量も与えてもらっています。特に、一緒に働いている東大生たちはとても優秀で、彼らのスキルには驚かされることが多いです。平野井さんの近くで優秀な人たちと働くことで刺激を受け、毎日多くのことを学んでいます。
平野井さんのYouTubeは、非常に勉強になるのでオススメ。。!
現在③ 反響大きく、学生団体つくっちゃった
私は山暮らしから上京し、都市と地方の学生間でのきっかけの格差を感じてきました。これまで仙台市、秋田市とコラボし、都市と地方をつなぐ「寿司MeetUpイベント」を地方展開させてきました。
参加者からの感想やメディアでの反響が予想以上に大きく、学生団体としてスタートしました。
この取り組みを全国展開させて、幼少期から感じていた「きっかけの格差」を減らしていきたいです!
現在④ YouTubeで社長の苦労話をインタビュー
現在、YouTubeで「社長の声」というチャンネルを運営しています。私がMCを務めていて、社長たちにインタビューを行っています。
この活動を始めたのは、幼少期から地方での情報の格差を感じたからです。社長の苦労や失敗談を聞くことで、普段は知ることができない貴重な話を届けたいと思っています。
最後に
私の強みは、素直・準備力・調整力です。
素直だから、色んな人の意見を広く聞ける。その中でも、成功してる、専門性のある人だけの意見にフィルターをかける。
過去の経験と観察眼からどうやって上手くいってるのかを分析して、経験サイクルを回すことを意識してます。
短くまとめたつもりが長くなってしまいました。。
私のビジョンは「一度きりの人生を後悔ないように。挑戦を続けて世界を広げる」です。
最初の一歩を踏み出したのは大学2年生のとき。好奇心を持って挑戦し続けたら、時間がとても濃密になりました。1年が6年分くらいに感じます。
世界が広がり、物事の捉え方や見え方が変わっていくのが楽しいです。
ここまで読んでいただいたあなたはきっと素敵な方なので、微力ですがお力になれることがあればXやインスタ等でお声掛けください。
まだまだやる気と馬力で精進します。ありがとうございました。
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