祈りの千羽鶴
「ごめんな、たいしたことないとか言っちゃって」
母さんが出て行ってふたりきりになると、優馬はベッドの脇に腰掛けて申し訳なさそうな顔をした。
「気にするなよ、ほんとうにたいしたことじゃないもん」
和希はまだズキズキとする腕をギプスの上からさすった。意地を張って何でもない振りをする。
和希は休み時間に鉄棒をして遊んでいていたのだが、思わぬところで手が滑り、そのまま地面に落下した。その際に強く肘を打ちつけ、複雑骨折してしまったのだった。
誰が悪いというのではない。自分が勝手にケガをしただけだ。
優馬は落下の瞬間を見ていたわけじゃなかったし、皮膚を破って骨が突き出ていたわけでもなく、見た目にはたいした外傷もなかった。
優馬はクラス会長だからって周りのクラスメイトに呼びつけられただけだった。
痛がる和希を見て「大袈裟だな」とつぶやいたからって責められない。
誰もがあたふたとしていたのに、優馬はすぐに保健の先生を連れてきたし、先生のただならぬ様子に今度はクラス担任のところへもすっ飛んでいった。
こうしてお見舞いに来てくれたのもやっぱりクラス会長だからだけど、もともと根が優しいのだろう。近所のケーキ屋さんで買ってきたというプリンはたったひとつだけ箱に入っていて、なけなしのお小遣いで買ってきたのかと思うと、ちょっと申し訳ないくらいだった。
「プリン、好きだった?」
と、好みまで心配してくれる。
「好きだよ。いつもは3個入った安いプリンしか食べないから。これ、ひとりで食べていいんだよね?」
「まさかオレと和希で半分ずつ食べるつもりだったとか、それはない」
優馬はそういって屈託のない笑顔を見せた。
クラス会長に名指しされたときには心底イヤそうな顔をしていた優馬だったが、彼ほど適任者はいなかった。
一緒に来るつもりだった副会長の谷村さんは用事があると帰ってしまったらしい。
優馬とはそれほど仲がいいというわけではなかったけど、その責任感で授業で配られたプリントなどをひとりで抱えて、病院までやってきたのだった。
学校を休めてうれしいと言った後に渡されて、ちょっと気まずさはあったけど。
「その鶴、もしかしたら千羽ないかもしれない」
優馬が指さしたのは、クラスのみんなが折ってくれたという千羽鶴だった。
ベッドの脇には背の高さくらいの棚があり、着替えや勉強道具などがおけるようになっている。
棚の側面にフックがあるので、そこに優馬が吊り下げてくれた。
「千羽なくてもうれしいよ。みんながオレのために何かしてくれるって、そうそうないことじゃん」
まさか自分にも千羽鶴が届けられるとは思っていなくて驚いた。
相部屋の患者たちの枕元には、みんな千羽鶴が吊り下げてあって、気にかけてもらえてるんだなとうらやましく思っていた。
一本一本、同じ色の鶴を数珠つなぎにしていたり、虹のようなグラデーションにまとめていたり、千羽鶴でもけっこう個性があった。
優馬が持ってきた千羽鶴は、全然バラバラに次から次へ糸を通していった急ごしらえだ。
骨折なんてそんな長期間入院するものではないから、早く届けることを優先させたのだろう。
それでもクラスメイトが気にかけてくれていたことがうれしくて、こうやって飾れるのが誇らしい。
和希が救急車で運ばれた病院は小児病棟があるところで、短期入院も小学生以下ならだいたいそこに入院させらるようだった。
和希が入院した部屋は病床数が6つ。
すでに5人が入院していて、その誰もが持病を抱えた長期入院患者であった。
本来ならそういった患者と部屋が分けられてしたのかもしれないが、ベッドはここしか空いていなかったらしい。
和希が入院する直前もやはり満室であったようなのだが、それまでいた患者は病状がよくなって退院したのか、亡くなったのか、和希は同部屋の患者に聞くことができなかった。
和希は片腕だけの負傷であったので、とにかく退屈だった。
優馬がせっかく持ってきてくれたプリントとノートの写しだったけど、授業中でも動きたくてうずうずしているのに、ひとりで黙々と勉強するのは無理だった。
優馬が帰った後もレクレーションルームなどを行ったり来たりして時間をつぶしていた。
もともと、同部屋の子たちと仲良くするつもりはなかった。
彼らは自分にはわからない病気を抱えていたし、聞いてみたところで理解できそうにもない。かわいそうと同情するのもなんか違う気がしていた。
それに、彼らはもう長く同じ時間を共にしていて、その小さなコミュニティーに入っていけるほど和希は社交的でもなかった。
探索も飽きて部屋に戻ってくると、ふと自分のベッドの下に折り鶴が落ちていることに気がついた。
なにしろこの部屋にはたくさんの折り鶴がある。誰の鶴であるかわざわざ確認するようなことでもなかった。
とりあえず和希は折り鶴を拾った。
それはがさつな折り方であった。
首の部分が斜めの方向を向いているし、羽根の折りあわせの部分がぴったりとしていなくて、白い裏地が見えてしまっていた。
よく見ると、その白い裏地に鉛筆でなにか文字が書かれているのが見えた。和希は片手でなんとか折り目を解体していき、折り紙を広げた。
そこにはひらがなで「もうこなくていいよ」と書かれていた。
和希はとっさにくしゃっと手で握りしめ、ゴミ箱に捨ててしまった。
このメッセージはどういう意味なのか。
学校へ来なくてもいいよということなのだろうか。
誰が誰に宛てたメッセージなのか。
気味が悪すぎて聞けないし、なかったことにしてしまいたかった。
だけど、自分宛じゃないと思いたい。和希は気になってゴミ箱からくしゃくしゃに丸まった折り紙を取り出した。
その折り紙の色と優馬が持ってきた千羽鶴の色を比べる。
赤い折り紙だが、ひとくちに赤といっても色味は違うはずだ。同じ折り紙が使われていなければ微妙な差があるはずだった。
だが、比べてみてもよくわからない。違うようで同じにも見える。
それよりも。
和希は気になってくしゃくしゃになった折り紙を広げた。
千羽鶴から落ちたのなら糸を通した穴が空いているはずだった。
でもこの折り紙には穴が空いてない。もともと吊り下げてある千羽鶴の中にあったものではなかったのだ。
同部屋の誰かが折ったのだろうか?
それとも――
そんなはずはないと首を振る。あんなに良くしてくれた優馬がこんなものを残していくはずがない。
優馬であるはずがない……
本当に?
傷は癒えても言い知れぬ不快感はぬぐえることがなかった。
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