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七つ詣で

 朝のホームルームで遥人はるとの名前が呼ばれた。

 この地区に住む者なら誰もが経験する通過儀礼だ。
 ガチガチに緊張しながら、担任の八代先生にうながされて教卓の前に立つ。
「今日、お誕生日を迎えたのは深津遥人くんです。おめでとう」
 華々しく先生が言うと、13人のクラスメイトは拍手しておめでとうと祝福してくれた。

 遥人は拍手が鳴り止むのを待ち、家でしっかりと復唱して頭にたたき込んだ言葉を一息に述べた。
「ありがとうございます。この村の一員として恥じないような、しっかりとした大人になりなります」
 すでに誕生日を迎えたほかのクラスメイトの言葉をかりただけだったが、みんなはまた拍手をしてくれた。

 この村では7歳になるとようやく村の一員として認められるという、古くからの風習があった。
 だったら7歳までは何者なのかといったら、遥人はよくわかっていなかった。人間ではないのか、かといって神でもないし、存在していないというわけでもない。

 もちろんそれは今では形式的なこと。生まれたときからこの村の一員だ。
 戸籍に登録されるし、公的な福祉もちゃんと受けられる。もっといえば、お母さんのおなかの中にいるときから母子手帳に記録されている。
 けれども、1年生を受け持つ先生が7歳になる児童を祝ってあげるというのもまた、この小学校の古くからのならわしで、今でも名残があるのだった。

 今年1年生を受け持つ八代先生もこの村の生まれである。
 八代先生はクラスで一番始めに7歳になる児童の誕生日に、この村の風習について語った。
 八代先生も1年生のときに担任教師から同じ話を聞かされたという。

 ――みなさんは『通りゃんせ』という童謡を知っていますか。
 むかしは7歳になるまでの子供は神様に守られていると信じられていました。
 なので、7歳の誕生日になると天神さまに今までお守りくださったことを感謝しに行くんです。
 でも、その帰りはもう神様はついていません。
『行きはよいよい 帰りは怖い』というのはそういう意味です。
 厳しいこの世で、しっかりと自分の足で生きていかねばなりません。
 7歳にもなれば、自分のことは自分でできるよねということなのです。

 この村にも同じような風習があります。
 7歳になったとき、天神さまのお社で一晩過ごす「七つもうで」という儀式です。
 むかしはたったひとりで過ごさなくてはならなかったそうですが、今では付き添いの大人がお社の前で待っていなくてはならないという決まりがあります。
 でも、一晩なんて長いですよね。
 今では一時間でも一分でもよいとされています。
 けれども、必ずやらなくてはならないということではありません。
 そのむかし、この村にはこんな風習があったんだよというのを知っておいてほしいのです。

   ※

「ねぇねぇ、遥人も天神さまに行くの?」
 休み時間になるとクラスメイトたちが「七つ詣で」をするのかどうかを尋ねてきた。
「わかんない。お母さん、忙しいし」

 遥人の両親は離婚していて、今は母親と二人暮らしだ。
 この小さな村で、それを知らない者はなかった。
 父はその目を気にしてなのか、しばらくすると村から出て行き、以来、遥人とはたまに電話をするだけの関係になっている。

 養育費をもらっているのか遥人は知らないが、母は遥人に不憫ふびんな思いをさせないために必死で働いている。
 本当に忙しそうにしているのだ。それを遥人はわかっているので、母親に無理はいえない。
 自分から頼むつもりはなかった。

 でも、ごまかしているように聞こえたのか、ひとりの男子児童がからかってきた。
「怖いんだろ? おれなんか1時間もひとりでいたんだぞ」
 自慢げにいうので、遥人もつい大きな声で怖くなんかないといった。
「ひとりでだって行けるくらいだよ」
「うそだね。ぜったい無理だよ」
「平気だもん」

 大口を叩いてしまった手前、行かなければ格好がつかなくなった。
 いったん自宅に戻ると「てんじんさまに ななつもうでにいってくるので むかえにきて」と母親に書き置きを残して出かけた。

 途中、1時間もお社に籠もっていたという同級生に出くわして、これから七つ詣でに行くことを伝えた。
 まだ疑っていたが、お社は村の外れにあるので、同級生もわざわざついてきて確認するようなことはなかった。

 歩いて30分ほどの距離だった。
 もう帰ってしまおうかと思った。
 誰も気づきやしないだろう。
 ――いや、まだ日は落ちていない。
 のこのこと帰るところを誰かに見られてしまうかもしれない。

 そんな問答を繰り返しながら歩き続け、とうとう石階段の前までやってきた。
 お社は88ある階段を登った小高いところにある。
 なので便宜上、階段の下にも祠があって、御輿を保管しておく倉庫もここにある。
 お祭りの時にはこの広場に村人が集まり、御輿を担いだあとご神体だけをお社に運んで安置しておくのだ。

 そのお社には7歳未満の子供しか入れないので、このまま少子化が進んでいったらどうしようかといった話しも持ち上がっている。
 遥人もお社に入れるのはこれが最後だった。

 日はすっかり沈み、あたりの山の輪郭がうっすらと見えるだけのなか、1つずつ階段を登った。
 昔は車だってなかったのだから、こうやって集落から歩いてくるのが普通であっただろう。
 一人前になるってのは、こういうことなんだろうなと、遥人は自分自身を頼もしく思っていた。
 躊躇していたのが馬鹿らしくなるほど高揚し、88ある階段も苦とは感じぬうちに登りきった。

 木でできた鳥居をくぐり参道を歩く。
 風に揺れる木々の音だけが聞こえた。
 お社はいつからそこにあるのか、朽ち果てそうなほどに古かった。
 扉は表側にあるかんぬきだけで、鍵はかかっていない。
 遥人はかんぬきの棒を抜いて扉を開けた。

 奥にはご神体を安置しておく祭壇があるが、手前は布団が一組敷ける程度の広さしかない。
 扉を閉めて、祭壇の前にあぐらをくんで座った。
 人工的な明かりのないところをずっと歩いてきたからか、暗さにも慣れて不思議と怖さはまったくなかった。
 ただ、何もしないでじっとしているのが退屈で、なにを考えたらいいのかもわからず、早く迎えが来ないかなということばかりを思った。

 どのくらい時が経ったのか見当もつかず、さすがに迎えが遅いんじゃないかと心配になるころだった。
 がたっと、背後で扉が開く音が聞こえた。

「お母さん?」
 遥人は立ち上がって出口に向かうと、扉の隙間から見えたのは母親ではなかった。
「だれ?」
「私?」
 と、女はいう。長い髪が風にそよいで半分顔を隠す。
「私はね、あなたを迎えに来たのよ」
「……お母さんはどうしたの」

 母親の身になにかあったのか。
 そうでなければ他のひとが迎えに来るはずはなかった。

 きぃと音を立てて扉が開いた。
 知らない女だった。
 着古したカーディガンが肩からずり落ち、裾の長いスカートで、足下がよく見えない。
 小さな村とはいえ、顔を知らない住人がいてもおかしくはない。けれども遥人は薄ら寒くなるような嫌悪感を覚えた。

「あなたのお母さんはね、この村から出て行ったのよ」
「なにいってるの。ぼくを置いてどこかへいくわけないでしょ」
「お母さんの役目は終わったの。これからは私と暮らすのよ」
「そんなわけない!」

 遥人は入り口をふさごうと、半開きになった扉に手をかけた。
 だが、女はものすごい速さで扉を押さえ込んだ。扉はびくりとも動かない。

「あなたはもうお社から出なきゃいけない。もう七つを過ぎたのだからね」

 遥人が後ずさると女は手を差し伸べた。
 しきたりどおりに女はお社の中までは入ってこようとしない。やはり、村の者なのだろうか。
 遥人は身じろぎせず、女の手が届かぬ距離を保った。

「あなたはどうしてこの村に七つ詣での儀があるのかを知らないのね」
 女は嘆くように首を振り、ゆっくり手を下ろすと、つくりごとめいた話しを始めた。

 その昔、この村はとても貧しかった。
 子供を授かっても、育てることができない人たちがたくさんいたの。
 だけど七つまでは神に守られているから不用意に手放せば祟られる。
 だから子供が七つになったとき、天神さまに許しを請いに来た。
 七つの子が大人になるための儀式ではなかった。
 親がそれ以降も育てていけるのかを試された儀式だった。
 お社に子をひとり残し、一晩考えて迎えに行けなかったとき、その子は財宝に変わっていた。
 つまり、都会の金持ちに買われていったのよ。

 ――そんなわけない。
 大人がそんなこと隠して今でもなお『七つ詣で』の儀式をやってるなんて、あるわけない。
 遥人は言い含められてなるものかと身構えた。

「さぁ、行きましょう」
 再び女は手を差し伸べる。
「いやだ。無理矢理連れて行かれても誘拐されたっていうもん」
 なびいた髪の隙間から、女の鋭い眼光がさした。
「まだわからないの? あなたは売られたの。お母さんはお金を受け取ってあなたを売った。私が捕まればお母さんも牢屋に入ってしまうのよ。それで、あなたは幸せ?」

 遥人は母親がどれだけ自分のために一生懸命働いてくれているかを知っていた。
 本当は自分がいないほうがもっと楽に暮らせると思っていたのかもしれない。
 自分がいなければもっと早くに離婚して、あんな男から暴力を受けずに済んだのかもしれない。

「もう七つだから、わかるよね?」
 見透かしたように女はいった。
「さぁ、行きましょう」

 女は参道を鳥居のほうへ向かって歩き出した。
 母が迎えに来ないというのは、そういうことかもしれない。
 遥人は観念してお社を出た。
 女は振り返って遥人の姿を認めると、薄く笑ったように見えた。

 これからどうすればいいのか。
 鳥居をくぐり、石段を降りる。
 父だったら救ってくれるだろうか。
 たまに電話をよこして近況をたずねるくらいだから、自分のことを気にかけてくれていると思いたかった。
 この女について行くくらいなら……。

 目の前を行く女は長いスカートを引きずっていた。
 そうとは気づかずに遥人は裾を踏んでしまった。女がバランスを崩したとき、遥人はとっさに女の背に体当たりしていた。
 手すりもない急な階段だ。
 女は宙をあおぐように80もの階段を転がり落ちていった。
 女の姿はあっというまに闇に飲まれ、女が遠ざかっていく音だけが聞こえた。

 大変なことになった。
 早くここから立ち去らないと。
 遥人は階段を駆け下りて、転がっている女に目もくれず走り抜けた。
 すると、前方からまばゆい光が当てられた。
 車のヘッドライトだ。
 誰かがこちらへやってくる。
 転がり落ちた女が見つかってしまう。
 遥人は急に怖くなって立ちすくんだ。
 もう、逃げようにも逃げようがなかった。

 車は遥人の前に止まり、運転席から誰かが飛び出してきた。
「遥人!」
 聞きなじみのある声に安堵で涙がこぼれた。
 しっかりと抱きしめられ、「お母さん……」と嗚咽をもらす。
「なんでひとりで来たりしたの」
「お母さん……」
「もう二度とこんなバカなことはしないで。お母さん、遥人がいなくなったらどうにかなってしまいそうよ」
「お母さん!」
 遥人はお母さんをぎゅっと抱きしめた。
 どうか、あの女の人を見つけないでと心で願った。

 遥人は車に乗り込むと、疲れ切ってなにも考えることなくすぐに眠ってしまった。

 気づくと朝で、ベッドの上で寝ていた。
 昨晩のことが頭をよぎる。
 夢なんかじゃない。
 女を突き飛ばした手応えが忘れられず、怖くてしかたなかった。

 あの女はどうなっただろうか。
「お母さん……」
「よく眠れた? もう心配かけるようなことしないでね」
 そういっている母も、どこか疲れたようだった。

 それから、何日かが経ち、またクラスメイトの一人が誕生日を迎え、みんなに祝福された。
 彼は村長の孫なので「七つ詣で」を親族そろってやったという。
 死体が転がっていたという騒ぎは起こらなかった。住人が消えたという話も聞かない。
 お社で出会った女がどうなったのか、遥人が耳にすることはなかった。

 あの女はもののたぐいであったのか。
 それとも……。

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