やまびこ男
いつもほとんど同時であった。誰よりも早くリプライをつけてくる人物がいる。
事務的な宣伝であったり、ファンへの呼びかけであったり、日常的なつぶやきだったり。
いつなんどきでも、その人物は龍樹が発信した文章をまるまるそのまま返してきていた。
龍樹は大学に通ってはいるが、駆け出しの舞台俳優でもあった。
小さな劇団で手弁当のような活動していたが、芸能プロダクションに所属させてもらうことができ、ポツポツと活動の幅が広がりつつあった。
SNSは以前から活用していたが、最近ではフォロワーも増えてきた。
とはいえ、コメントがつけばひとつひとつに返事ができるほどの数でしかない。
人気俳優とはまだまだいえぬ、売れない俳優であった。
しかも、コメントをくれるのはほとんど固定メンバーである。
なかでもよくわからないのが、龍樹が書いた文面とまったく同じ文面を繰り返すだけのアカウントだった。
そのアカウントは、一見、龍樹と同じアカウントの綴りに見えた。
アルファベットの「O」と数字の「0」の違いなのか、目をこらして見るも、まったく同じに見える。
同一のアカウントが発行されるわけがないので、別の文字が使われているのだろうが、パッと見た感じは同じである。
そして、そのアカウントは「龍樹」と名乗り、龍樹本人が発信した文面とまったく同じ事を返してくるだけで、そのほかはなにも発信していない。
なりすましともいえぬその行為に、注意をするのも度量がないように見られてしまいそうで、ただ傍観するしかなかった。
そのうち、そいつは龍樹のフォロワーから「やまびこ男」と呼ばれるようになっていた。
フォロワーたちは勝手に盛り上がり、「やまびこ男」よりも早くリプを送ろうと競い合ったが、いまだ「やまびこ男」に勝てる者は現れていない。
そんなある日のことだ。その話をなにげなく同じ事務所の俳優にした。
彼の主軸は舞台ではなく映像作品である。
彼がドラマの宣伝でテレビ出演した際、都市伝説みたいな本当の話しとして紹介したところ、一瞬にしてバスってしまった。
自分に興味を持ってもらえたというよりは「やまびこ男」のほうに注目が集まっていることに、微妙な嫉妬心まで芽生えたが、ともかく、フォロワーが増えて自分のことを知ってもらえるのはうれしかった。
龍樹の投稿も以前より回数が増えていき、そのたびに熱い戦いが始まる。
投稿の内容なんてどうでもよく、それは瞬間風速的で、ゲームを楽しんでいるようなものだった。
そんなわけだからこちらもあまりに無防備になりすぎてしまい、駅前の牛丼屋で何度も投稿していたら、居場所を特定されて見知らぬ人間に取り囲まれてしまうこともあった。
肝が冷えたが、悪い気はしなかった。有名税というやつだ。
そのうち「やまびこ男」は別のところにも現れた。
次々と有名人のアカウントに同様の「やまびこ男」が現れ、自作自演だと炎上もしたが、それがピークだった。
たちまちにして飽きられ、閑散としていくのがわかった。
リプライを送ってくるのは「やまびこ男」といつものメンツ。
――いや、以前より減っているだろうか。
龍樹自身もこの騒ぎを楽しんでしまい、それまで熱心にコメントをくれていた人が野次馬に埋もれていくから、すっかり放置していた。
面倒なファンだと思っていたら、向こうだってこっちの気持ちを察するだろう。
なにせ、俳優なんてごまんといるのだ。
龍樹を推すことに冷めてしまったのなら他をあたるだろう。
有名なんていっても、本当の意味で有名なんかじゃなかった。
名前と顔を覚えられたわけでもない。
仕事だって相変わらずだ。連ドラ出演といっても台詞のないエキストラ。よくて再現ドラマ。
SNSへの投稿は、ぼやきが増え続け、同じ言葉を返す「やまびこ男」にイラッとし、ファンからの励ましもウザくなっていった。
今度の依頼ときたら、やらせインタビューだ。
道行く人にたまたま声をかけて話しを聞くという体なのに、答える内容が決められている。
一応は本当に通りすがりの人にインタビューをするのだが、欲しているコメントが得られなかったときのために用意しておき、世間の声としてねつ造するのだ。
『気が乗らない仕事に行ってくる』
SNSにそう投稿するも、無反応だった。もはや「やまびこ男」さえ反応しない。
どうやら「やまびこ男」はバグであったようだ。プログラムが修正されお祭り騒ぎは終わった。
「なんだよ」
愚痴りながら集合場所へと向かう。
「交通費も出ないのか」
「事務所が搾取してるのか」
「マネージメントの意味ねぇだろ」
「時間ばかりとらせやがって」
延々と文句を吐き続けて、着くころにはすっかり嫌な気分になっていた。
それなりに人通りのある時計台のふもとに、想像よりも小型のカメラを1台もつテレビクルーがいた。
こんなところで打ち合わせをしていたらバレそうなものだが、いまや動画撮影など珍しくもないことなのだろう。
気にとめる者もなく通りすがっていく。
やらせを平然と説明するディレクター。慣れたように聞いている売れない役者たち。
くだらねぇ――と、心の中でつぶやく。
「くだらねぇ」
その場にいた面々が一斉に声をする方を見た。
今の声は誰だ。
自分なのか。
龍樹は視線を浴びてうろたえた。
声に出して発するつもりはなかったのに。つぶやいたのは自分であったのだ。
「あ。いや……なんでもないです。こんな話題が注目されているんだなって、不思議に思ったものですから」
龍樹がいいわけすると、ディレクターは渋い顔をしていった。
「まぁ、そうだよね。だから、きみたちが呼ばれているんだよ? 興味のあるフリできるよね?」
どうせ、オレたち、覚えられてない顔だからかまわないっていうんだろ?
そのへんの通行人と同レベル。
――はっ。やってられるか。
「やってられるか」
気づいたら、また言葉を発していた。
今度こそいいわけできない不穏な空気。
「なんだって?」
ディレクターが睨みをきかせる。
「いえ、だから、これは心の……心のやまびこで……」
「心に思っていたことがつい声に出ちゃったってこと? もういいよ、きみは帰っても」
とてもその場に残れるほどメンタルも強くなくて逃げ出した。
どうなってるんだ。
なんで心の声がこだましてしまうのだろう。
――なんで。
「なんで」
大きな声でひとり言をいう龍樹を周りが警戒しはじめた。
もうしゃべるな。
――やめろ!
「やめろ!」
こんなふうに人の視線を浴びたかったわけじゃない。
――見てんじゃねぇ!
「見てんじゃねぇ!」
それ以来――
あれだけ見られたいと願っていたのに、引きこもって出られない。
SNSなら多少汚い言葉って吐けるのに。
だって、みんなやってるじゃん。関係ないヤツまで便乗して言いたい放題。
けど、現実はそうじゃない。
押しとどめなきゃいけない心の声がある。
――無になりたい。
「無になりたい」
ひとりきりになっても、何かを考えずにはいられなかった。
心の声がこだまする。
心の声はなぜこうもマイナスなことばかりなのだろう。
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