夢物語
「どうだ。眠れなくなっただろ?」
庄司はニタリと唇の端をつり上げた。
テスト勉強をするため、どうやったら貫徹できるかという話題になっていた。
庄司の頭のよさは普通くらい。自分とそう変わらないところをウロウロとしている。
期末テストの寸前になってそろそろ勉強しなくちゃいけないとわかっているが、気分が乗らない。
自分に甘い昌典は授業以外でも教科書を広げて勉強するのは苦手だった。
小学生までは一夜漬けでも落ちこぼれずになんとかやってきた。中学生になってもそこそこやれるだろうとは思っている。
でも、だんだんと庄司に差をつけられているような気がして、あせっているのもたしかだった。
(庄司のヤツ、抜け駆けしてるんじゃないかな)
勉強なんてしてないよ、一夜漬けで充分――という庄司を信じて今でもいっさい家では勉強してこなかった。
昨日もふたりでオンラインゲームをしていた。だが、庄司はかなり早い時間に寝落ちして、操作キャラクターが棒立ちのままだった。
けれどもさすがに前日ぐらいは勉強するからと、今日は端からゲームの誘いを断られた。
「庄司が役に立たないんだもんな。あれからさ、ひとりでやってたら、もう朝が明けてて。今日もテスト勉強で徹夜とか大丈夫かな」
昌典がぼやくと庄司は「いい話を聞かせてやる」と切り出したのだった。
「オレの遠い友人の話だけど」
「遠い友人?」
「友達の友達のそのまた友達。ま、そんなことは関係ないんだが」
その遠い友人とやらが夢を見たという。睡眠中に見る夢の話だ。これから帰宅して勉強しようってときに、あまりにくだらなくて、歩きながら眠気が差すくらいだと軽口を叩いた。
「そうもいってられなくなるぜ」
明らかにつまらなそうな態度を取ったというのに、庄司は構わずに続けた。
「彼は道ばたで金色のコインを拾ったんだ。クジャクのような絵が彫ってあって、額面を示すような数字は書いてなかった。何のためのコインなのか、素材は何か、それは今でも謎だけど、重さといい、きらびやかさといい、これは相当値打ちがありそうだって信じ込みたくなるようなコインだった」
庄司はまるで体験してきたかのような話しぶりで昌典に聞かせた。
「すると後ろから『それはオレのコインだ』と声をかけてくる者がいたんだ。振り返るとそいつは狼の姿をしていた。人間のように二本足で立って、人間の言葉を話し、人間のような振る舞いをした。彼はコインを奪われたくなくて逃げてしまったんだよ。それからずっと追われる羽目になった」
さして面白くもない話に昌典はあきれていた。得体の知れないなにかに追われる夢なら昌典も見たことがあるような気がする。
「ええと、なんだっけ? 夢の話だよね? それで終わり?」
昌典がすっとぼけたように聞くと、庄司はニヒルに見つめ返してきた。
「そうだよ。夢だ。夢の話。でもまだ続きがある。その夢の話を彼は彼の友達に話した。そしたら、今度は彼の友達がその夢の続きを見たんだよ」
「えぇ? それはある意味気持ち悪い。感情移入しすぎじゃね?」
昌典は顔をしかめたが、庄司はやけに真面目くさった顔をしていた。
「いや、こういうのを『夢物語』っていうらしい。都市伝説が好きな友達がいるんだけど、そういうの、よくあるらしいんだ。それで、そいつもまた夢の続きを見たってさ、オレに話してきたんだ」
「まさか……」
昌典は半ば笑いをこらえるように問い返した。
「まさか、庄司もその夢の続きを見たっていうのか?」
「そのまさかだよ。オレもその夢の続きを見た」
「ホントかよ?」
昌典は鼻で笑ってしまった。信じられるわけがない。
けれども庄司は真顔だった。いつもならこらえきれずに吹き出しているようなところを、いまだ表情を崩しもしない。
「夢の中で気がついたときには手のひらでギュッとコインを握りしめてて。ああこれがそのコインかとすぐにわかったよ。後ろには狼が迫ってきてるから、とりあえず走って、逃げて、逃げて。食われたら終わりだし」
「なにそれ。新たなルール加わってない?」
「夢に続きがなくなったら、もう二度と目を覚ますことができないんだと」
「ふぅん」
狼に食われて死んでしまったら、そこで終わり。現実世界にも戻ってこられないということか。
「それで、今度はオレがその夢の続きを見るっていうの?」
昌典が問うと庄司はなぜか言いよどんだ。
少し、おびえているようにさえ見える。
「それで――それで、逃げまくっているうちに――」
庄司が見た夢にはまだ続きがあったらしい。
「いつの間にか、どこかのビルの屋上に迷い込んだらしくて。追い詰められて、逃げ場がなくなって。狼に食われたらアウトだと思ったら、飛び降りちゃってたんだよね」
「え? 飛び降りたって……それじゃあ……」
死んだらアウトじゃねぇの? 二度と目を覚ますことがないって、それなら目の前にいる庄司はなんなんだよ。
今までの話はまったくの嘘ってことなのか?
いや、違う。狼に食われたらアウトだったか?
昌典は混乱してきて頭を振った。
「ちょっと待て。どういうことだ。ロジカルすぎてわかんねぇよ」
変わらず庄司は能面かぶったみたいに無表情だった――いや、表情を隠しているとでもいうのか、なにを考えているのかわからず不気味だった。
「エレベーターを降りるときって、腹の中がすぅって寒くなるじゃん。飛び降りたときもそんなかんじがして。ものすごいスピードなんだ。どんどん地面が迫ってきて、止められない。そしたら、体がビクッて飛び跳ねたみたいになって、目が覚めたんだ」
「地面にたたきつけられて、跳ね返ったってこと?」
「いや、地面に着く寸前。もうダメだと思ったときに目が覚めた」
「……つまり、まだ夢に続きが残されてると?」
庄司は昌典の目をジッと見つめながらうなずいた。
「どうだ、眠れなくなっただろ?」
庄司は目が覚めたみたいに急に意地の悪い顔をした。
そこでバトンを渡されたら、その夢の続きはもう一秒も残されてないではないか。それをなぜ昌典に聞かせるのか。
「おまえさぁ……」
昌典はそうつぶやいてみたものの、なんといっていいのか言葉が浮かばなかった。
「寝ないで勉強しろ。夢なんて見ている場合じゃない」
そういって庄司は帰って行った。
昌典はそんな話を信じたわけじゃなかった。
家に帰って夕飯を食べて風呂に入り、仕方なく教科書を引っ張り出して机に並べた。
きのうの徹夜が効いている。文字を見ただけでもう眠い。
まぶたが落ちそうになってふと思い出した。
夢には続きがある。
まさか、そんなことが。
一瞬。
ほんのひとときだけ、手のひらに冷たくて、硬い感触があったような気がした――
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